船井電機会長が“破産の裏側”を告発「意図的に会社を潰そうという動きがあったのでは」約550人の従業員が突然“解雇”を言い渡され…

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2026年06月27日 09:30  日刊SPA!

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原田義昭氏
破産に異を唱えた船井電機の会長・原田義昭氏(元環境相)は、2024年12月に民事再生法の適用を申請した。だが東京地裁は2025年2月に再生手続きを棄却し、破産開始決定の取り消しを求めて東京高裁に申し立てたが認められなかった。司法の場では、会社再建の道はすでにほぼ閉ざされている。
それでも原田氏は、破産に至るまでの経緯そのものには、いまも納得していない。通商産業省(現・経済産業省)出身の弁護士でもある原田氏が、経営破綻の裏で何が起きていたのかを語った。

◆引き継ぎもない状態で会長就任

――まず、原田さんと船井電機の関わりについて教えてください。代表取締役会長に就任された経緯も含めて教えてください。

原田:もともとは弁護士としてのご縁です。私の事務所に出入りするお客さんの中に、船井電機と関わりを持った方がいて、「先生にも少し応援してくれ」と相談を受けました。最初は顧問弁護士のようなサポートだろうと思っていました。2024年の夏、大阪の本社に呼ばれて役員と面接なども行い、気がつけば、私がいつの間にか代表取締役の会長ということになっていた。引き継ぎもはっきりしないままです。正直、自分でも驚きました。

――会長に就任された2024年8月末から、10月の破産開始決定までの約2か月間、船井電機の経営状況はどのようなものでしたか。どんな課題を感じていましたか。

原田:一番の問題は、情報がまったく入ってこないことでした。旧経営陣から、きちっと経営状況などを聞かなければいけないと、私も積極的に働きかけたのです。けれども、そのころにはもう人がだいぶ抜けていて、社内体制も複雑な状態だった。財務のことや労働問題について聞きたくても、しかるべき人がなかなか出てこない。部長クラスにも個別に会おうと追いかけましたが、有耶無耶になってしまった。ガバナンスを含めて私自身の責任も感じていますが、どうしようもない面がありました。

◆意図的な倒産を疑う、資金の動向

――2021年の買収以降、船井電機から約300億円の資金が流出したと破産申立書に記載されています。この資金流出について、また破産に至った主な要因について、どうお考えですか。

原田:細かい中身までは私も把握しきれていません。ただ、私どもが捉えていた情報では、会社にはまだ不動産もありましたし、資金繰りも、無茶苦茶に倒産するという状況ではなかった。それなのに民事再生棄却という結果になったということは、合理的な理由が見当たらない以上、何かあるんじゃないか。私の立場で言ってはいけないことですが、多少なりとも意図的に会社を潰しようという動きがあったのではないか、と心の底では思っています。もっとも、確証的なものではありませんが。

――前社長の上田智一さんについては、どんな印象をお持ちですか。

原田:一度お会いした程度ですが、ちゃんとした人だなという印象でした。経営者というのは、うまくいくこともあれば、いかないこともある。上場廃止後にミュゼプラチナムなどへM&Aで進出したことも、市場の伸びを考えれば、決して異常な方向ではなかったと、後から振り返れば思いますよ。コロナの影響も、同社に限らず、サービス産業全体にとって本当に大きかったと思います。

◆関知せぬ間に自己破産の申請が

――破産申請直前、創業家側と新経営陣の間で経営権をめぐる対立があったとも報じられています。社内ではどのような状況が展開していたのでしょうか。

原田:私が会長になっていながら、私の知らないところで、いきなり自己破産(準自己破産)の手続きがなされました。申し立てたのは、創業者・船井哲良氏の遠い親戚にあたる取締役の一人、船井秀彦氏でした。身内ではあるけれど、はっきりした立場の方とは私は理解していません。意見をすり合わせようと何度も呼びかけたのですが、結局会うことすらできなかった。本来なら、会長である私や残っている取締役の間で、まず厳しい議論をすべきだった。その手順を踏まないまま、いきなり出された数字だけで決定されるのは、手続き的に少しおかしいのではないか、と思っています。

――破産開始決定の翌日は給料日にあたっており、約550人の従業員が給与を受け取れないまま解雇されました。当時はどのようなお気持ちでしたか。

原田:従業員を全員、講堂のような場所に集めて、「会社を辞める、皆さんを解雇する」といきなり発表したと聞きました。急な解雇と給与の未払いなど情けないことをしてはいけない。これだけの歴史と実績を持った企業として、恥ずかしいことだと思いました。最後の給与は支払われたと聞いていますし、退職金の問題も一応は処理されたとは理解しています。ただ、解雇に至るプロセスそのものが、極めて異例でした。不思議だったのは、労働組合の反応の薄さです。普通は法的整理を伴う再生では、もとの労働者や組合が相当頑張って動くものなんですが、こちらから声をかけても、あまりレスポンスがなかったのです。

◆再建プランの青写真は?

――破産に反対し、民事再生を目指して奔走されました。東京高裁に即時抗告を退けられたときは、どのようなお気持ちでしたか。

原田:率率に言えば、残念です。裁判所は経済のプロが揃っているわけでもなく、結局は出された数字で判断する偏りが生じます。けれども、その数字の前提である保有不動産や施設の評価が十分だったのか、というところに、私はまだ専門的な議論の余地があると思っています。会社にはまだ資産があり、海外(米・中・欧)でも高い評価を受けるブランドと技術があった。十分に立ち直れる力を持っていた会社が、内部の連携不足と、ある種の意図のなかで、あっという間に潰れてしまった。

――破産に異を唱えていた当時、どのような再建プランを描いていたのですか。

原田:柱は二つです。一つは、重荷となっていたAV(音響・映像)事業を整理すること。もう一つが、成長分野へのシフトです。市場ニーズの高い蓄電池事業を中核に据えたいと考えていました。これからの日本の電力を思えば、蓄電は大きい。中国との生産面のつながりをどう活かすかも含めて、社長に検討させていた。資金面でも、エクイティでの調達や、保有不動産・AV事業の売却で道筋を描いていました。会長としての報酬は、1円も受け取っていません。立ち直るまでは、会長も社長も、まったく稼いでいないわけですから。

<取材・文/菅原春二>

【菅原春二】
東京都出身。フリーライター。6歳の頃から名刺交換をする環境に育ち、人と対話を通して世界を知る喜びを学んだ。人の歩んできた人生を通して、その人を形づくる背景や思想を探ることをライフワークとしている。

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