交通事故に遭い、頸髄を損傷した
2018年におよそ9ヶ月におよぶ世界一周の旅を達成した三代(みよ)達也さん(37歳・@wheelchair_traveler_miyo)。介助者をつけず車いすで世界23ヶ国42都市を巡る一人旅を成し遂げた、通称“車いすトラベラー”です。
18歳の頃、オートバイを運転中に乗用車と正面衝突する大事故に遭って頸髄を損傷。両手両足にまひが残ったため、以来、車いすの生活を余儀なくされました。
そんな彼は、自身で“人生最大の挑戦”と呼ぶ新たな旅を終えたばかり。なんと自らの足で立って、歩いて、世界二周目の旅を成し遂げたのです。
◆自分の足で世界一周を成功させたい
この挑戦を成功させるためには、準備が必要。二周目に出発する前、36歳(当時)だった三代さんは16年ぶりにリハビリをスタートさせました。旅の途中で転んだ状況に備え、しゃがんだ体勢から立ち上がる練習に必死に取り組んだのです。
過去のリハビリでも、この「立ち上がりチャレンジ」に成功したのはわずか2度だけ。勢いをつけて立ち上がろうとするも、どうしてもへたり込んでしまいます。
しかし、何百回も繰り返した結果、ついに立ち上がることに成功!
◆三代さんは2度目の世界一周へ
こうして自信をつけた三代さんは、2026年2月に世界二周目の旅へと発ちました。2度目の世界一周は、自らの足で計7ヶ国を行く旅です。
2026年4月に世界二周目を達成したばかりの三代さんに、これまでの人生や海外旅で得た気付き、そしてこれからなどについて話を聞いてみました。
◆「おまえ、甘ったれているな」と言われて前向きになる
――ご自身の足で世界二周目旅を終えた三代さんですが、18歳のときに事故に遭ったときはどんな状況だったのでしょう?
三代:18歳になったばかりの冬、ガソリンスタンドでアルバイトをした帰り道にバイクで乗用車と正面衝突しました。
ふくらはぎはちぎれかけ、眼内はコンタクトレンズがバリバリに破れましたが、もっともショックだったのは頸髄の損傷です。身体の自由をほとんど失い、指や足には大きな障害が残りました。それまで当たり前にできていたことが、ある日突然できなくなったんです。
もともと明確な将来の夢があったわけではありませんが、人生が一度すべてリセットされたような感覚でした。「これからどう生きていけばいいのだろう?」と、先の未来をまったく想像できなくなりました。
――車いすの生活になると知ったときはショックだったと思います。その状態から現在のように前向きになれたきっかけを教えてください。
三代:静岡県伊東市の重度障害者センターで、後に“師匠”と呼ぶことになる先輩と出会いました。彼は自分と同じ頸髄損傷者です。
それまでの自分は食堂へ自力で行けるのに、看護師さんに食事を持ってきてもらったりしていました。その様子を見た師匠から「おまえ、甘ったれているな」と言われたことが、すべて周囲の人に頼る生活を見直すきっかけになったんです。
「チャンスは足元にいくらでも落ちている」という師匠の言葉に背中を押され、初めて電車での一人帰省にも挑戦しました。東京駅で母と再会した瞬間、できることが一つ増えるだけで世界は広がるのだなと実感しました。
この経験が、人生を前向きに歩み始める原点になっています。
◆ハワイでは自分の障害が特別視されなかった
――海外旅に目を向けるようになったきっかけを教えてください。
三代:23歳の頃、職場の同僚から「夏休みにハワイでも行ってみたら?」と何気なく勧められた一言が挑戦のきっかけでした。
海外経験も英語力もなく不安ばかりでしたが、株式会社エイチ・アイ・エスの担当者に「車いすでもハワイに行けますよ」と背中を押され、初めて海外一人旅を決意しました。
準備の仕方もわからないまま担当者に質問を重ね、勢いのまま旅へ踏み出すこととなりました。バリアフリー面の不安は大きかったですが、今では挑戦して本当に良かったと感じています。
ハワイのビーチは車いすでも海辺まで行けるんです。そんな整備された環境に触れ、バリアフリー面での日本との違いに大きな衝撃を受けました。
街には“入れる店”が当たり前にあるし、障害を意識せず行動できる自由を初めて実感しました。
深夜のバーで出会った外国人男性から、「なんで車いすに乗ってるの?」とストレートに質問されたことも印象深いです。そのナチュラルなやり取りからは、私の障害が特別視されない心地よさを実感しました。
「踊ろうぜ」と誘われ、「車いすだから無理だよ」と答えると「なんで俺たちと同じように踊ろうとしてるんだ? 音楽に合わせて体を揺らせばいいじゃん」と言われました。その言葉で自分の価値観は大きく変わりましたね。
仲間として迎え入れられる時間を送っている最中、私は自分の障害を一度も意識していませんでした。ハワイでの経験は世界との向き合い方が変わる大きな転機となったんです。
◆「設備」と「人の優しさ」が揃って本当のバリアフリー
――2017年8月から2018年5月にかけて行われた1度目の世界一周旅行に挑戦した経緯を教えてください。
三代:当時は会社で毎日同じようなことを繰り返していました。心身ともに健康とは言えない生活で、将来への不安も大きかったです。そんななか「未来のことばかり考えず、これまでで一番楽しかったことをもう一度やろう」と考えたんです。
思い浮かんだのは、過去に行ったハワイやロサンゼルス、オーストラリアで感じた自由な旅の記憶でした。「また会社を辞めるのかよ」「いい加減に落ち着けよ」と思う自分もいましたし、周囲の批判への恐怖もありました。でも、「自分の心に従って生きよう」と初めて覚悟したんです。
あと、「車いすでも世界は旅できる」と伝えることを自分の“使命”と考えるようにもなっていました。知らないことへの不安を減らし、一歩踏み出す勇気を多くの人に持ってもらいたい。「誰かを後押ししたい」という思いが、1度目の世界一周の原動力でした。
――世界各地を見て、日本とバリアフリーの違いは感じましたか?
三代:日本は設備面で非常に優れていますが、海外では人の助け合いが自然に存在していると感じました。階段だらけの場所でも断られることはほとんどなかった。
設備だけでも足りないし、優しさだけでも足りません。両方がそろって、初めて本当のバリアフリーになるのだと思います。
――世界一周をして三代さんが学んだことはなんですか?
三代:海外を経験して学んだことは、「人は思っているより優しい」という事実です。
どれだけがんばっても、自分一人ではできないことがあります。しかし、時には人に頼り、お願いすることでそれらは実現できると知りました。世界にはバリアが多く存在しますが、人の力によって乗り越えることができます。
加えて、挑戦には恐怖や不安が必ず伴うことも学びました。だからこそ、これから挑戦したい人の気持ちに寄り添いたいと思うようになりました。
――三代さんの“車いすトラベラー”としての活動内容を教えてください。
三代:講演活動、SNSでの発信、旅行企画の監修、教育現場での講義、執筆などを行っています。
旅で得た経験を社会に還元し、障害や病気などのハンディキャップを持った人たちがさまざまなことに「挑戦するきっかけ」を届けることが現在の仕事です。
◆「自分の足で世界一周」目指したワケ
――今回、「自身の足での世界一周」という目標に挑戦しようと決意したきっかけを教えてください。
三代:大阪にある脊髄損傷者専門トレーニングジム「J-Workout」(大阪府大阪市)の方から「どうしてこんなに足が動くのに、活かさないんですか? ポテンシャルがありますよ!」と声をかけられたのがきっかけでした。その一言で、自分の可能性を信じてみようと思えたんです。
ジムで「歩けるようになったら何がしたいですか?」と問われ、改めて自分の人生を見つめ直しました。前回の世界一周では、段差や階段を理由に諦めた景色がたくさんありました。だから、今回の二周目は歩くことで見られる世界に挑戦したいと心に決めました。
車いすだけでなく“歩ける自分”で世界を旅するために、リハビリとトレーニングには本気で取り組んだ。出発してからは7ヶ国を回り、医療従事者やトレーナーにそれぞれのエリアでご協力をいただきました。J-Workoutのトレーナーとはそのうちの5ヶ国ほどを共にしました。
◆挑戦することで見えた景色
――世界二周目の旅で印象的な出来事はありましたか?
三代:道中でいろいろなチャレンジをしようとは、出発前から考えていました。結果、エジプトのピラミッドにはのぼれたし、トルクメニスタンの「地獄の門」も歩けました。
最大のチャレンジは、マレーシアのバトゥ洞窟にある272段の階段をのぼること。マレーシアは今回の旅の最後の国でしたが、ここで作業療法士をしている僕の彼女も合流してくれました。
◆自分の足で272段の階段をのぼり切った
片手はJ-Workoutのトレーナー、もう片方は僕の彼女、2人に両手を支えてもらいながら272段の階段はのぼりきることができました。
また、そこには車いすユーザーの仲間たち3人、そしてほかの友人15〜16人も来てくれていました。その友人らとJ-Workoutのトレーナーが車いすに乗った3人を担いで272段のぼりきり、その頂上でみんなで写真撮影することができました。
車いすユーザーが日本からマレーシアへ来ただけでもすごいし、車いすユーザーが272段の階段をのぼったのもすごい。みんなのチャレンジのきっかけになったのがこの旅だったのかなと思っています。
――本当に意味のある世界二周目でしたね。
三代:ありがとうございます。ただ、自分の胸のなかにはもう一つの目標がありました。それは、272段の頂上で彼女にプロポーズをすること。その結果、彼女からOKをもらうことができたんです。
――おめでとうございます!
三代:結婚する時期は未定ですが、頂上で想いを伝えることができました。
◆人生には“成長”という「余白」が残っている
――今回の旅で新たに学んだこと、感じたことはありますか?
三代:旅が終わってシンプルに思ったのは、人生には「余白」があるということです。
今までの自分の人生を振り返ると、28歳で世界一周を遂げ、そこから車椅子トラベラーとして非常に充実した人生を送ってきました。
そして今回、世界二周目というチャレンジに立ち向かうことができた。そのきっかけは、J-Workoutのスタッフさんから言われた「足、動くじゃないですか。なぜ、それを活かさないんですか?」という一言です。完全に充実しきっていると思っていた僕の人生に、まだ“成長”という余白が残っていたことに気付かされた。
――なるほど、そういう意味の「余白」ですか。
三代:僕は車いすでも十分幸せだと思っていました。でも、「歩く」という選択肢ができたことにより272段をのぼることができた。帰国後も飲食店に行く際、「3〜4段の階段だったら歩いて行くわ」と躊躇しない自分がいたんです。
車椅子で19年間生活してきて、自分でも行きやすい場所が僕の視野のすべてだった。でも、数歩でも歩けるようになったことで世界は倍に広がった感じがします。37年の人生、いろいろ楽しんだと思っていました。でも、車いすを理由に諦めていた世界がこれからは普通に楽しめるのかと思ったら、その一言の大切さは非常に重要だと思いましたね。
――その一言も大切だし、一言の重要性に気づく感性も素晴らしいと思います。今まで満足していたけれど、「より素晴らしい世界があるのか」という気づきにつながったのですね。
三代:これは自分では気づけるものではなく、脊髄損傷のプロが言ってくれたおかげだと思います。だから、病院に勤める理学療法士、作業療法士の人たちは「退院後、もっと人生が楽しくなる」と希望を届けられる存在になってほしい。
僕のように治らない障害の場合、セラピストの人たちは動かない体で家で暮らせるようにすることをゴールに据えがちです。でも、自宅に帰るのがゴールではなく、「車いすでも体が動かなくも、工夫や環境次第でいろいろ楽しめることが世の中にはある」と希望を与えてあげてほしいんです。
僕はこの旅で、人生はたった一つのきっかけで変われるという事実に衝撃を受けました。今、37歳ですが、人は変わろうと思えばいつからでも変われる。それが、この旅で感じたことでした。今くすぶっていて「人生、どうでもいいか」と自暴自棄になっている人たちがこの話を知って「自分も半歩でいいから踏み出してみるか」と心が動いてくれたならばうれしいです。
<取材・文/寺西ジャジューカ>
【寺西ジャジューカ】
1978年、東京都生まれ。2008年よりフリーライターとして活動中。得意分野は、芸能、音楽、(昔の)プロレス、ドラマ評。『証言UWF 最後の真実』『証言UWF 完全崩壊の真実』『証言「橋本真也34歳 小川直也に負けたら即引退!」の真実』『証言1・4 橋本vs.小川 20年目の真実 』『証言 長州力 「革命戦士」の虚と実』(すべて宝島社)で執筆。