小林美駒騎手
写真/橋本健 ゴールした瞬間ガッツポーズを決めた、その数秒後だった。
函館記念を制したファウストラーゼンの鞍上・小林美駒騎手は、悲願の重賞初制覇を達成。歓喜に包まれるはずだった函館競馬場の空気は、着順掲示板に「審議」の二文字が灯ったことで一変した。
◆歓喜から一転…函館記念で起きた「審議」の一部始終
最後の直線で先頭に躍り出たファウストラーゼンは、小林美騎手のムチに応えてゴールを目指した。それを外から北村友一騎手騎乗のケリフレッドアスクが猛追。先頭に並びかける勢いだったが、ファウストラーゼンが外に斜行したことで、ケリフレッドアスクはバランスを崩す場面があり、先頭に立つことはなかった。
ゴール前の攻防を巡って、SNSでは「降着では」「いやセーフだろ」「何分審議するんだ」といった投稿が相次ぎ、タイムラインは裁決を巡る議論で埋め尽くされた。そして長い審議の末に下された結論は、「着順変更なし」だった。
ただ、小林美騎手には開催日4日間の騎乗停止処分が科された。直線での斜行は危険な騎乗だったと認定されたにもかかわらず、勝利も賞金もそのまま。この裁決に、多くのファンが違和感を覚えた。
◆「やったもん勝ちなのか」ファンから噴出した違和感
ネット上で飛び交ったのは、こんな言葉だった。
「これじゃ、やったもん勝ちじゃないか」
「危険でも先にゴールすれば得をする制度なのか」
「騎乗停止になるほどなら、なぜ着順は変わらないのか」
小林美騎手個人への批判ももちろんあったが、現在の降着制度そのものに対する疑問の声も多かった。
今では、降着が当たり前だった時代を知らない競馬ファンも多い。かつてJRAでは、進路妨害がレース結果そのものをひっくり返すことも珍しくなかった。
象徴的なのが1991年の天皇賞・秋である。1位で入線したメジロマックイーンは、スタート直後に外枠から内へ切れ込んだ際の斜行が問題視され、18着へ降着。スターホースの勝利がレース後に覆るという衝撃的な裁定は、当時を知る競馬ファンの記憶に刻まれている。
この年、JRAは失格制度を見直し、降着制度を導入したばかり。それまでは進路妨害をした馬は原則として失格だったが、新たな制度では「被害馬の次の着順まで繰り下げる」という運用へ改められていた。
当時は、危険な進路妨害そのものを重く見る運用が取られており、危険性が認められれば、着順も動く。それが長らく日本競馬のルールだった。
そのため当時は、JRAだけで年間20〜30件前後もの降着が発生していた。馬券を握るファンにとっては、ゴール板を過ぎても結果が確定するまで安心できない時代だったともいえるだろう。
◆危険騎乗より「着順」を重視する現行ルールへ大転換
ところが2013年、大きなルール改正が行われた。裁決の基準は、「危険だったか」ではなく、「妨害がなければ着順は入れ替わっていたか」へと変更されたのだ。危険行為そのものではなく、競走結果への影響を重視する考え方へ舵を切ったのである。
その結果、降着件数は激減。ルール改正前は年間20〜30件だった降着は、ルール改正後の約10年間で20件余りしかない。数字だけ見ても、裁決の考え方が大きく変わったことが分かるだろう。
今年の函館記念の裁決自体も現行ルールに照らせば一貫した判断だった。小林美騎手の騎乗は危険と認定されたが、妨害がなければ着順が入れ替わったとまでは認められなかった。だから降着にはならず、騎乗停止だけが科されたのである。
実は前日の福島2Rでも審議のランプが点灯していた。進路妨害を受けたとして江田照男騎手が異議を申し立てたものの、これが退けられ、加害側の坂井瑠星騎手には過怠金だけが科された。2日続けて「危険性は認めるが着順は変えない」という現行制度の考え方が示された格好だ。
もちろん危険騎乗にも問題があるが、より注目を集めたのはルールの方だ。今回の裁決は、あくまでも現行ルールに忠実に則っただけ。だからこそ、本当に現在の降着制度が最適なのかという議論が残った。
◆「やったもん勝ち」という印象をファンに与えてしまったワケ
競走結果を尊重することと、危険騎乗を抑止することは、本当に両立できているのか。現行制度は「競走結果」と「騎手への制裁」を切り離し、着順は着順として守り、危険騎乗は騎乗停止や過怠金で処分する。その考え方には合理性もある。
一方で、「危険な騎乗だった」と認定されながら勝利も賞金もそのままという現実が、「やったもん勝ち」という印象をファンに与えてしまうのも事実だろう。
無論、大半の騎手はそんな発想で手綱を取っているわけではない。命を預け合う世界である以上、そのリスクを誰より理解しているのは騎手自身だからだ。
それでも、勝負どころでは紙一重の判断を迫られる。G1の最後の100mともなれば、一瞬の判断で無理やり馬群を割るような場面も少なくない。だからこそ、制度には強い抑止力が求められる。
◆降着制度はこのままでいいのか
「危険でも着順は変わらない」という現在のルールを支持するのか。それとも、「危険だったなら結果も変えるべき」と考えるのか。そこに絶対の正解はないのかもしれない。
ただ一つ言えるとすれば、この週末、競馬ファンの関心を集めたのは勝ち馬の走り以上に「裁決」だったという事実である。
そのルールが「やったもん勝ち」という言葉を生み出してしまうのなら、議論すべきなのは騎手ではなく制度の方だろう。
今年の函館記念は、「やったもん勝ち」と受け止められかねない制度がこのままでいいのか——そんな古くて新しい問いを突き付けた一戦でもあった。
文/中川大河
【中川大河】
競馬歴30年以上の競馬ライター。競馬ブーム真っただ中の1990年代前半に競馬に出会う。ダビスタの影響で血統好きだが、最近は追い切りとパドックを重視。競馬情報サイト「GJ」にて、過去に400本ほどの記事を執筆。