乗光寺で語り合う住職の豊橋光秀さん(中央奥)と母則子さん(中央奥右)、参加者たち=1日、熊本県球磨村 災害関連死を含め67人が死亡、2人が行方不明となった熊本豪雨は4日、発生から6年を迎えた。球磨川の氾濫で3人が亡くなった熊本県球磨村の神瀬地区は、被災前に549人いた住民が5月末時点で322人まで減少。当時避難者を受け入れた同地区の乗光寺住職、豊橋光秀さん(56)は住民のつながりを維持しようと、月1回集まって語り合う会を続けている。
2020年7月4日早朝。高台にある乗光寺には、住民らが次々と階段を上って避難してきた。「ものすごい音だった。水や土砂が寺の階段まで来ていた」と豊橋さんの母則子さん(85)は振り返る。30畳ほどのお堂で、約40人が夜まで身を寄せ合った。
「逃げてきた人は放心状態で、ぺたんと座り込んでいた」と語る光秀さん。ガス釜で米を炊き、持ち寄った食料を分け合うなどして食いつないだ。国道が寸断され、隣の寺なども合わせ約120人が孤立。地区の外に出られたのは5日目の午後だった。
23年2月に宅地のかさ上げ工事が着工したが、地区の外に移り住む人も多かった。1人暮らしで話し相手のいないお年寄りも多く、住民から「定期的に催しを開かないか」と提案を受けた光秀さんが快諾。毎月1日に語り合う会が始まった。
今月1日の会には8人が参加。餅やサンドイッチ、漬物など各自が持ち寄った軽食を分け合い、お茶やコーヒーを手に語り合った。
参加した有田園子さん(71)は、当時乗光寺に避難した一人。「水害がなかったらどうだっただろうか、と毎日考える」と明かす。豪雨の後は同県人吉市に移り住んだが、「(人吉市では)誰かに話す機会がない。体が丈夫なうちは参加し続けたい」と語った。
多武和子さん(75)は自宅が浸水し、夫と帰省していた娘と共に2階に避難。「川からの水で家が囲まれ、孤立してしまった。道路が川になっていた」といい、4日目の朝に自衛隊のヘリコプターで救助された。「災害は大変だったけれど、もう下を見ずに上を向いている。こうやってつながりがあるから、今は幸せだ」と笑顔を見せた。
今後について光秀さんは「思い出したくないこともあると思うが、ここで振り返って、一歩ずつ進んでいきたい。神瀬の絆をこれからもつないでいきたい」と力を込めた。

豪雨災害当時を振り返る乗光寺の住職豊橋光秀さん(右)と母則子さん=1日、熊本県球磨村

乗光寺で飲み物を手に語り合う参加者たち=1日、熊本県球磨村

乗光寺の階段を指さして当時を振り返る住職の豊橋光秀さん(左)と母則子さん=1日、熊本県球磨村