画像提供:マイナビニュースボルドーの格付けやヴィンテージを完璧に説明しても、会話は盛り上がらない。一方で、何気ない一本のワインが、その場の空気を一変させることがあります。
世界の投資家たちとの交流から見えてきた、「信頼される人」の振る舞いを、『エグゼクティブはなぜワインにはまるのか?』(今野有子/クロスメディア・パブリッシング)から抜粋してご紹介します。
○また会いたいと思われる人
日本において、他者との境界を越えることは「親密さの証(=信頼)」です。しかしグローバルにおいて、他者との境界を越えないことこそが「成熟(=信頼)」なのです。
また会いたい人とは、一緒にいて「自分らしくいられる」と安心できる人です。自分の選択を説明しなくていい。自分の価値観のままでいい。属性でジャッジされない。場に相応しい時間の流れを尊重する。
ワインは、自由を祝福する飲み物です。他者の自由と境界を守れない人は、どれほど高価なワインを開けても、どれほど流暢な英語を話せても、一流の円卓に座り続けることはできません。
エグゼクティブは、相手の選択を変えようとはしません。変えるのは、常に自分自身の振る舞いなのです。
○孤独な島
スタンフォード大学の緑豊かなキャンパスを抜け、アメリカで最もオフィス賃料が高い道と呼ばれるサンドヒル・ロードを通ると、投資家たちの聖地と呼ばれる、メンローパークだ。世界中の富と知性が集まるこのエリアには、派手な看板もなければ、豪華なネオンもな
い。
パタゴニアのダウンベストにジーンズが定番というラフな格好で、平然と数千億円の投資判断を下す投資家たちが集まっている。ここでは、目に見える記号よりも、その人の佇まいや言葉の端々に滲む「見えない教養」が、何よりも確かな通貨として機能している。
私はある夕暮れ、イギリス人の投資家が所有する、歴史を感じさせる石造りの邸宅でのディナーに招かれた。
広々としたホールを抜け、リビングのドアを開けると、暖炉で薪がはじける心地よい音と、使い込まれた上質なレザーソファーの香りが漂ってくる。
世界を動かすビジネスの最前線にいるゲストたちは、驚くほどリラックスした様子だ。彼らはシャンパーニュを片手に、まるで週末の趣味を語るかのような軽やかさで、未来のテクノロジーや宇宙産業の可能性について語り合っている。
私はホストである投資家に目線で挨拶した後、初対面の彼の妻に招待の御礼を述べ、談笑していた。
そこへ、遅れて入ってきた一人の日本人が私の後ろをすり抜け、ホストに話しかけた。まるで「水戸黄門の印籠」でも差し出すかのような、悲壮感さえ漂う決然とした面持ちで、一本のボトルをホストに手渡している。
「これはボルドーの、メドック格付け第三級のシャトーです。日本企業が1983年から所有しておりまして。このヴィンテージはロバート・パーカー95点という、歴代最高スコアを叩き出した伝説の一本なんです。アメリカではもう入手困難だと聞きまして、日本から、完璧なコンディションのものを手に入れてお持ちしました」
東京から出張してきた彼は、機内の限られた時間で必死に暗記したであろう「スペック」を、一文字の漏れもなく淀みなく披露した。
産地、品種、格付け、パーカーポイント、そして希少性。
彼は、世界共通の「正解」を持ってきたという達成感に満ちた笑顔を浮かべていたが、受け取ったホストの表情は、どこか形式的で義務的な微笑みに留まっていた。
「ああ、それはありがとう。素晴らしいね」
会話はそこで、ぷつりと途切れた。
ワインのスペックは、確認された瞬間に「情報」として消費され、その場から消えてしまう。ホストはワイン好きだし、きっともっと盛り上がってくれると確信していたはずだ。
期待外れの彼の落胆が、手に取るように伝わってくる。後から遅れてやってきたもう一人のゲストは、お世辞にも華やかとは言えない地味なラベルの一本を、ホストの肩を叩き
ながら手渡した。
「この間バークレーに行ったら、気になるワインショップを見つけてさ、ちょっと寄ってみた。古いヴィンテージのワインを見つけたんだよね。俺たちが大学にいた時だよな。ま、うまいかどうかはわからないけど、飲んでみようよ。下手したら、大学時代に一緒に飲んだワインかもしれないぜ」
その瞬間、ホストの目が、いたずらを見つけた少年のように輝いた。
「まさか、あの時飲んでた安ワインならとっくにへたってるだろ?もしそうなら、全く期待できないけどな!」
二人は大学時代という「物語」の中に飛び込み、当時の思い出話をデキャンタージュするように語り始めた。
日本人が持ってきた高価なボルドーワインは、「知識」という名の孤独な島に取り残されていた。
○『エグゼクティブはなぜワインにはまるのか?』(今野有子/クロスメディア・パブリッシング)
現代のビジネスシーン、特にグローバルな環境や富裕層ビジネスにおいて、ワインは単なるアルコール飲料ではなく、「共通言語」であり「信頼の指標」となっています。しかし、多くの日本企業のリーダーは「知識がないから」と及び腰になるか、単なる「ラベル(値段)重視の消費」に留まっています。本書は、株式会社アルムンド代表として数々のエグゼクティブにワインを供してきた今野氏が、彼らがなぜワインに心酔し、それがどのようにビジネスの成功(人脈・決断力・品格)に直結しているのかを解き明かす1冊です。