【高校野球】「2018年8月12日を一生忘れない」 仙台育英・須江監督が語る、惨敗から始まった日本一への物語

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2026年08月05日 10:10  webスポルティーバ

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名将たちの甲子園初出場物語
須江航(前編)

 甲子園での試合を終えた監督や選手たちは一塁側ベンチ脇から続くスロープをたどって、球場内部の記者会見場へとやってくる。勝利チームはもちろん、敗戦チームの監督も所定のお立ち台に立ち、報道陣からの質問に答える。

「敗軍の将」は潔く完敗を認めたあと、噛み締めるようにこんな言葉を口にした。

【あの選手たちがいなかったら...】

「初めての甲子園で、内容・結果は見てのとおりです。勝ちたい選手を目の前にしながら、勝利に導けなかった。指導者として、2018年8月12日という日を一生忘れないようにしたいです」

 その日、仙台育英は浦和学院に0対9で敗れた。仙台育英にとっては、屈辱的なワンサイドゲーム。だが、須江航監督の表情は、どこか晴れやかだった。

 その時、須江監督は35歳。仙台育英の監督に就任して1年目。「青春って密なので」の流行語は、まだ生まれていない。

 仙台育英学園秀光中で全国優勝に導いた実績があっても、「一部のマニアックな人しか知らなかったでしょう」と本人が自虐的に語るように全国的な知名度はなかった。

 あれから8年近い年月が経ち、今や高校野球界で須江航の名前を知らぬ者はいないといっても過言ではない。そんな須江監督にとって、初めての甲子園はどんな位置づけになっているのだろうか。須江監督に聞くと、万感の思いが溢れた。

「あの選手たちがいなかったら、のちの甲子園優勝は絶対になかった。本当にそう思います」

 当時の選手にはプロへ進んだ者はおらず、今もアマ球界でユニホームを着ている者も多くはない。それでも、須江監督の野球人生を語るうえで、2018年の甲子園初出場は欠かせない経験になった。

【なるはずではなかった高校野球の監督】

 須江監督は仙台育英、八戸大(現・八戸学院大)で学生コーチを務めたあと、秀光中で指導者としてのキャリアをスタートさせている。中学軟式の世界で実績を積み上げるなか、あるアクシデントに襲われる。

 2017年に仙台育英の部内で不祥事があり、佐々木順一朗監督(現・学法石川)が引責辞任。翌年1月から後任として須江監督が就任した。須江監督に言わせれば、「なるはずではなかった高校野球の監督」だった。

 長い活動休止期間、夏の大会直前までの対外試合禁止処分、長年慕われた名監督の退任。須江監督は周囲から「火中の栗を拾うようなもの」と同情されたという。

 しかし、須江監督の実感はまったく違った。

「大変だねと言われましたけど、じつはすごく楽しくて。選手は部活ができない時期が長くて、野球に飢えていました。私も高校野球のことはよくわかっていなかったので、自分がやってきた中学軟式の野球と混ぜ合わせながら、毎日が実験のようなものでした。その両者が化学反応を起こして、選手たちは半年間で驚くような成長曲線を見せてくれたんです」

 宮城大会の直前にようやく対外試合禁止処分が明け、練習試合は数試合こなしただけ。それでも、仙台育英は夏の宮城大会を制した。機動力と守備力を生かしたチームに仕上がり、須江監督は「負けない野球ができるようになってきた」と手応えを深めていた。

 組み合わせ抽選の結果、初戦(2回戦)の相手が浦和学院に決まった。須江監督は浦和学院の戦力を「全国トップクラス。大阪桐蔭の次くらいに力があるイメージ」と分析していた。

 同年の大阪桐蔭は根尾昂(中日)、藤原恭大(ロッテ)らを擁した「最強世代」。結果的に甲子園春夏連覇を成し遂げることになる。

 一方、浦和学院にはのちに早稲田大を経てドラフト1位で西武に入団することになる主砲の蛭間拓哉(西武)や、大型右腕の逸材・渡邉勇太朗(西武)を擁するタレント軍団だった。

【浦和学院は特別な存在】

 埼玉県出身の須江監督にとって、浦和学院は特別な存在だった。

「子どもの頃から浦学のファンでした。私にとっては神のような存在。応援も格好よくて、県営大宮球場では応援団の近くで一緒に応援していました」

 大会主催社が企画する監督同士の対談で、須江監督は森士監督(当時)と対面した。浦和学院の強さを象徴するような人物だ。

「すごい闘争心だな......と感じました。お話を聞いても、ウチにどんなピッチャーがいて、どの打者がポイントになるか、よく分析していらっしゃいました。ウチのようなチームであっても、対策しているんだと驚きました」

 埼玉県の人脈をたどり、浦和学院の試合映像を集めることができた。須江監督には、試合前の準備としてあるこだわりがある。

「できれば選手の人柄まで調べたいんです。その選手が究極の場面で入り込めるのかどうか、人間としての根っこの部分を知りたくて」

 技術だけでなく、選手の内面まで分析する。分析すればするほど、浦和学院の強さを実感したという。

「ウチより二枚も三枚も四枚も上でした。とくに渡邉くんを打つイメージが湧かなかったですね」

 それでも、どうしても勝ちたい事情があった。須江監督は「狼煙(のろし)を上げたかった」と表現する。

「不祥事があって、監督が代わるという悲しい経験をした。誰もが甲子園なんか行けるわけがないと思っているなかで、それでも甲子園出場を決めてくれた。なんとか1勝をして、『この野球部は大丈夫だ』という目に見える成果を出したかったんです。私を受け入れてくれた選手たちに、恩返しをしたい思いもありました」

 そして、須江監督は微笑を漏らしながら、こう続けた。

「浅はかでしたけどね」

 結果は冒頭のとおり、須江監督は敗戦の弁を語る立場になった。それでも、格上の浦和学院に挑んだ一戦は、確実にのちの全国制覇の礎になっていくのだった。

つづく>>

菊地高弘●文 text by Takahiro Kikuchi

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