
生成AIによって、情報や経験を文章にして発信するハードルは大きく下がった。一方で、誰でも一定水準の文章を作れるようになったからこそ、「コンテンツの価値はどこから生まれるのか」が改めて問われている。ほぼ同じ時期にnoteをめぐって起きた2つの出来事から、AI時代の発信者に求められるものを考えたい。
●「AI要約」はなぜ批判を浴びたのか?
1つ目の話題は、IT分野の有識者が投稿した記事をめぐる議論だ。その投稿は、ある技術者が書いた専門的な解説記事をAIで要約し、自身の知見を添えて紹介したものだった。しかし「他人の一次情報に依存しすぎている」「発信者固有の価値がないまま自身のコンテンツへ読者を誘導している」と批判を浴び、記事が削除される事態に発展した。
投稿者は「情報自体に著作権はなく、紹介として筋を通している」旨を主張したが、議論は平行線をたどった。ここで問われたのは、単なる著作権という法的な可否ではない。「他人が調べ上げた一次情報を要約するだけなら、なぜこの発信者を介して読む必要があるのか」という、発信者自身の存在意義だったのだ。
|
|
|
|
SNS上では「AIを使った文章作成」の是非がよく議論される。編集やライティングに携わる人の多くは「文章は人間が書くべきだ」という感情を抱きがちで、読者の側にもそうした傾向はある。そのため「実はAIで書きました」と明かせば、評価が下がるケースが多いだろう。
しかしそうした見方を覆したのが、もう一つのnote事案である。
●「ほぼほぼAI」でも価値が落ちない松浦勝人noteの衝撃
エイベックス(avex)会長の松浦勝人氏が始めたnoteは、執筆の実作業を「ほぼほぼAI」が担っていると明かされた後も、その価値や評価が損なわれることはなかった。
松浦氏のnoteでは、「松浦勝人の人生論」と題し、貸レコード店時代から現在に至るまでの一代記が連載されている。制作にあたっては、過去の連載記事(約95万字)やインタビュー、有価証券報告書26年間分、YouTube配信など、膨大な「松浦氏固有のデータ」をAIに読み込ませているという。
|
|
|
|
ここで注目すべきは、「中身の源泉(一次情報)」がどこにあるかだ。
冒頭で取り上げた事例では、核となる専門情報が外部(他者)にあり、発信者は「AIを使った整理役」にとどまっていた。だからこそ「この人が間に入る意味」が問われた。一方、松浦氏の事例では、核となる圧倒的な経験や実績(一次情報)はすべて本人の中にあり、AIは「表現や整理という作業」を代行しているに過ぎない。
●AIは「ライター」、人間は「プロデューサー」という分業
さらに重要なのは、AIに任せっぱなしにしていない点だ。松浦氏自身が初稿を全編チェックし、誤り(AIのハルシネーション)を修正し、語り口を調整している。役割分担で言えば、AIが「ライター・編集者」であり、人間が「原案者・校閲者兼プロデューサー」なのだ。文章の作成をAIが担っていても、「何を語るか」という選択と「発言への責任」は、100%人間に残っている。
ネットユーザーが見ていたのは「AIを使ったかどうか」という手段ではない。「そのコンテンツの価値の源泉はどこにあるのか」だ。AIは文章を整えることはできても、“実業家・松浦勝人の泥臭い人生”をゼロから生み出すことはできない。
|
|
|
|
●「その人である必要性」を示せない発信者は淘汰される
AI時代において、事例の収集や要約といった「情報の交通整理」は、AIが最も得意とする領域だ。読者がAIに直接頼めば済む時代に、わざわざ人間を介する価値はどこにあるのか。
それは、当事者として見聞きした「一次情報」、無数の情報から何を語るべきかを選ぶ「センス(価値観)」、そしてその発言に腹を括る「責任」の3点に集約される。
どれほどきれいにAIが文章をまとめようとも、核となる経験や判断軸が人間にない発信は、容易にAIや他者に代替されてしまう。
AI時代に淘汰されるのは「人間が書いていないコンテンツ」ではない。「なぜ、その人である必要があるのか」を示せないコンテンツなのだ。
著者紹介:城戸譲
1988年、東京都杉並区生まれ。日本大学法学部新聞学科を卒業後、ニュース配信会社ジェイ・キャストへ入社。地域情報サイト「Jタウンネット」編集長、総合ニュースサイト「J-CASTニュース」副編集長、収益担当の部長職などを歴任し、2022年秋に独立。現在は「ネットメディア研究家」「炎上ウォッチャー」として、フリーランスでコラムなどを執筆。政治経済からエンタメ、炎上ネタまで、幅広くネットウォッチしている。
|
|
|
|
|
|
|
|
Copyright(C) 2026 ITmedia Inc. All rights reserved. 記事・写真の無断転載を禁じます。
掲載情報の著作権は提供元企業に帰属します。