1998年 ダイエーホークスのキャンプ 石毛二軍監督(写真右)が王監督(写真左)と打ち合わせ ©産経新聞 1980年代から90年代にかけ、圧倒的な強さでプロ野球界を席捲した黄金期の西武ライオンズ。常勝軍団を類まれなリーダーシップで牽引したのが石毛宏典だ。
今回は理想のキャプテン像をはじめ、ダイエー二軍監督時代に指導した松中信彦とのエピソード、さらには組織が強くあるための条件などを語ってもらった。
◆石毛が思う理想のキャプテンは?
チームメイトとのコミュニケーションを重視する。口数は少なくとも、プレーする背中を見せて引っ張るなど、キャプテンにもいろいろなタイプの人間がいる。石毛が理想とするキャプテン像とは何か。
「どちらの要素も必要です。まず、背中で引っ張るのは野球選手として当然です。生活を安定させるためには、レギュラーを張って試合に出て年俸を上げていかなければいけません。要は自分のために頑張っているわけですが、30代中盤のベテランが頑張ると、『チームを引っ張ってくれている』と周囲が過大評価をしてくれたりします。自分のためだろうが、チームのためだろうが、頑張っていればいろいろな見方をしてくれるわけです。
ただ、今の時代の選手はしっかり話さないと伝わらないことが多いと感じます。会話がないと、『キャプテンはこういうことが言いたかったのかな?』と想像するしかなくなりますし、誤解を招きます。コミュニケーションをとることの重要性は、昔よりも高まっていると思います」
◆二軍監督時代に「長所と短所を発表させた」
石毛はコミュニケーションの重要性を表す事例として、福岡ダイエーホークス二軍監督時代の話を例に挙げる。
「二軍にいる選手全員に、自分の長所と短所を発表させたんです。ある選手が『自分の長所はこれで、短所はこれです』と話した後、その場にいたほとんどの人間が『逆じゃないの?』という反応だったんです。つまり、自分の長所と短所を履き違えているわけです。仮にそのまま放っておけば、短所を長所と思って練習に取り組むことになりますよね。それでは一向に上手くなりません。
プロの世界に入ってくる選手は、それなりにいいものを持っているからプロになれるわけで、最初の1年はあれこれ言わず、本人の自主性に任せてどこまで通用するかを見守る傾向があります。ただ、私はその考え方に対して、『本当にそれでいいのだろうか?』とずっと疑問を抱いていました。『新人選手を一日でも早く一軍の戦力にするのが、自分の仕事なんじゃないのか』と思っていました。そういったことをするためには、選手とのコミュニケーションが必須なんです。
新人選手を野放しにしておくと、勘違いしている選手も多いですし、余計に悪い癖がついてしまって使いものにならなくなる。一度ついてしまった癖を矯正するには、長い時間がかかります」
◆聞く耳を持たなかった松中が徐々に…
“平成唯一の三冠王”として知られる松中信彦も、石毛がダイエー二軍監督時代に指導した選手の一人だ。
「アトランタ五輪で野球日本代表の4番を務め、鳴り物入りで入団してきたのがノブ(松中氏の愛称)でした。1年目のキャンプとオープン戦で力を発揮できず、王貞治監督から『二軍に預けるから』と指導を任されました。一週間くらい彼のバッティングを見ていて、『こういう癖があるバッターは、一軍のピッチャーのキレのあるボールは打てないだろうな』と思いました。
ある日の練習後、『ノブ、ちょっと話をしよう』と声をかけ、バッティングの課題を指摘したんです。『今は強い打球を飛ばすため、こういう感じでバットを振っているよな。だけど、あまり強い打球が打てていないから、今度はこういう風にバットを振ろうとしているよな』と身振り手振りを交えながら伝えました。最初は聞く耳をあまり持たないというか、『そんな話はいいから、早く練習させてくれよ』といった雰囲気でしたが、その後も指摘を続けていたら、『そうなんです。なぜ、そこまでわかるんですか?』と言ったんです」
◆「指導者の仕事」を突き詰めると…
五輪で4番を務め、銀メダル獲得に貢献したほどの選手。自信もプライドもあったのだろう。そんな松中に対して、石毛は諭すように話し続けた。
「『俺たちも通ってきた道だし、ノブの気持ちは多少なりともわかる。今は無駄な努力をしてしまっているんだ。今日から練習ドリルを変えていこう』と伝えたら、彼は承諾してくれました。そこで信頼関係が生まれ、練習もスムーズにいくわけです。その成果として、バッティングの悪い部分を早めに矯正することができたので、『王監督、ノブはいい感じになってきたので、一軍に上げてください』と伝えました。その後、彼は二度と二軍に落ちることなく、三冠王を獲るバッターへと昇り詰めていったんです。
先ほどお話したように、最初の1年はノブの自主性に任せて見守っていようとか、あるいは、『ノブは聞く耳を持っていないから、しばらく放っておこう』などと考えてコミュニケーションをとらずにいたら、どうなっていたか。指導者の仕事とは何かを考えた時、やっぱり野球は技術を使うスポーツなので、我々もしっかりと理論武装をし、選手が納得できる指導をできなければいけませんし、コーチングも学ばなければいけません。
球団は選手に高い契約金や年俸を払っています。できるかぎり早く成長してもらい、一軍の勝利に貢献できる選手になってほしいという思いで、投資をしているわけです。二軍で一年間塩漬けでいいわけがないんです」
◆3時まで飲んでいたら勝てなくなる
選手は結果を出せば年俸が上がっていくが、チームスタッフや球団職員らはそうはいかない。幾多の優勝、日本一を経験した石毛ならではのエピソードも語ってくれた。
「何度も優勝できたおかげで、何度もご褒美の優勝旅行に行かせていただきました。毎年のように行っていたので、『ハワイは飽きたね』などと選手間では話していました。一方、チームスタッフや球団職員は、費用をかけずに海外旅行ができることをすごく喜んでくれるわけです。そういう喜んでいる姿を見たら、自分だけが楽しければいいっていうもんじゃないなと。もっと勝ち続けて、たくさん喜ばせてあげたいなという感情が芽生えたんです。
勝つために、シーズン中の心がけも変わっていきました。遠征時の試合後に飲みに行って、午前0時くらいに帰るのか、もう1軒寄って2〜3時まで飲むのか。勝つことを考えれば、やっぱり早く帰るようになりましたね。当然、寝ないより寝たほうがいいですし、いいコンディションで試合に臨めれば、いいパフォーマンスができて、チームが勝てる確率が上がるわけですから。
背負うものが多くなればなるほど、それらをしっかりと“重荷”として感じることが大切です。当時の西武の選手たち一人ひとりにそういった気持ちがあったと思いますし、優勝する度に人間として成長していったような気がします。成長した人間が組織となって機能していけば、それは強いチームになりますよね」
◆キャプテンとしてやったことはほとんどない
当時の選手たちには主体性があったという。
「自分の生活のために、個人でいい結果を残す。それは、仕事なので当然です。ただ、忘れてはいけないことがあります。プロ野球選手は、球団があるから働けるんです。会社員も、会社があるから働けるんです。自分が多くの時間を過ごす球団や会社を、どういう場所にするのかは自分次第じゃないですか。辻発彦や秋山幸二、工藤公康、ナベちゃん(渡辺久信の愛称)ら、当時はそのように考えて取り組める、主体性のある選手が多かったと思います。
但し、目標を掲げるのは球団であり監督です。広岡達朗監督や森祇晶監督がチームとしての指針をしっかりと示してくれましたし、選手たちも皆が優秀でした。キャプテンとして自分がやったことなんて、ほとんどありませんよ」
さまざまなエピソードからにじみ出る、類まれなキャプテンシー。常勝軍団の中心に君臨し続けた男の思考は深く、言葉には情熱がある。
<取材・文/浜田哲男>
【浜田哲男】
千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界を経て起業。「ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ・ニュース系メディアで連載企画・編集・取材・執筆に携わる。X(旧Twitter):@buhinton