西武黄金時代のキャプテンが考える“野球脳”が優れた選手の正体「城島健司や元木大介が良い例」

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2026年09月02日 16:10  日刊SPA!

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ダイエー時代の工藤公康氏と城島健司氏 ©産経新聞
 1980年代から90年代にかけ、圧倒的な強さでプロ野球界を席捲した黄金期の西武ライオンズ。常勝軍団を類まれなリーダーシップで牽引したのが石毛宏典だ。
 勝ち続けることができた要因を紐解くため、チームリーダーとして重視していたこと、いい指導者と出会うことや教育の重要性などを語ってもらった。

◆走攻守で結果を残した背景にあるのは…

 チームリーダーには、統率力や判断力、決断力、責任感などさまざまな能力が求められる。長らく西武を牽引した石毛は何を重視していたのだろうか。

「大前提として、裏表がない人間であること。真っ当に生きている人間であることが重要だと思います。どんなに良いことを言ったとしても、『なんで、あの人に言われないといけないんだ』と思われたら意味がないです。『ああいう生き方をしている人に言われたら、何も言い返せない』と相手に認めさせられるくらいじゃないといけません。

 あと、自分の場合は群れませんし、人に何かをお願いすることも、頼ることもないです。一人でも生きていける自信があれば、自分の意見をはっきりと言えますし、相手にへつらうこともないです。人間力と言えばいいのかはわかりませんが、芯があるというか、頑固な部分はあったほうがいいと思います」

 石毛はチームを束ねながら、通算打率.283、236本塁打、847打点、243盗塁をマーク。一流の技術を走攻守で発揮した。打つほうも守るほうも、一定の型を持っていてそれが崩れなかった。バッターボックスにいる時の頭の中はシンプルだったという。

「心がけていたのはタイミングです。ピッチャーの一番速い真っすぐにタイミングを合わせて打ちにいっていましたし、変化球でもタイミングが合えば打っていました。要はタイミングさえ合えば、バットを振り出せるんです。

 ピッチャーはバッターのタイミングをずらすために、曲がり球や落ち球を投げたり、間をとったり、投球のモーションをずらしたりするわけで、バッターに考えさせるのがバッテリーの仕事です。バッターはなるべく考えない方がいいのですが、一球一球に間があるので考えさせられてしまう。そこがバッターの弱さかなと思っています」

◆“野球脳”が優れていた、城島と元木

 当時の西武は個々の能力はもとより、一人ひとりがチームの戦術を深く理解し、試合の流れを読む状況判断力にも長けていた。

「野球脳などと言われたりもしますね。自分で言うのもなんですが、私は比較的にそういった能力があったのかもしれません。ソフトバンクやメジャーでもプレーした城島健司なんかもその部分に長けていました。彼はあまり足が速くないのですが、スーっと盗塁をしてしまうんです。ピッチャーが完全に投球モーションを盗まれ、キャッチャーは間に合わないと判断し、送球すらできない。キャッチャーが投げないのが一番良い盗塁ですから。こういうことって、教えられないものなのかもしれません。

 巨人にいた元木大介も状況に応じたバッティングが上手かったですし、相手が嫌がることを率先してやっていましたね。だからこそ“くせ者”と言われたんでしょうけど。ただ、彼が現役の時に言ったことがあるんです。『なんで、もっと普通に打たないの?』と。『なんでですか?』って聞いてきたから、『方向を決めて打ったりするのはいいんだけど、たまに窮屈な感じの不自然なスイングをしたりしているよな。もっと素直に振れよ。プロの右のバッターで、お前が一番いいスイングをしてるんだよ』と言ったんです。

『え、そうなんですか?』って驚いた顔をしていたから、『そうだよ。俺はお前のバッティングが一番好きだな。理にかなっていると思う』と伝えました。足が遅くても盗塁ができる。体が細くてもホームランが打てる。小柄でも速いボールが投げられる。野球脳の話から飛躍してしまいますが、そういうことができる選手はセンスがいいんです。西武でチームメイトだった東尾修さんや工藤公康もそうだと思いますし、長嶋茂雄さんなんかもそうだったんじゃないですか」

◆広岡監督に出会えて良かった

 センスがあるに越したことはないが、大事なのは鍛錬で磨き上げていく確かな技術。石毛も、野球は技術のスポーツだと事あるごとに熱弁を振るう。そして、技術はいい指導者から指導を受けることが重要だと言う。

「一番大事なのは技術ですが、センスも大事でしょうね。先日、何かの本を読んでいたら、『才能、指導者、運、努力に順番をつけてください』という問いがあって、ほとんどの人が才能を一番にしていたんです。でも、問題を提起した人は指導者を一番にしていました。『いい指導者に巡り会えないと、自分の才能は開花できない』と。

 いい指導者、いい上司、いい先生に出会って教育を受けることで感化される。それで、自分の殻を破って潜んでいた才能が開花して伸びていく。自分に当てはめて考えると、プロ2年目から指導を受けた広岡達朗監督がそうだったのかなと思います」

◆毎年のキャンプでアップデートされていく

 石毛をはじめ、広岡監督の指導を受けた選手たちがチームの中心となり、長らく黄金期を築いた。先発投手陣には、他のチームにいけばエースになれるようなピッチャーがひしめき、クリーンナップには勝負強さと一発のあるバッターが並び、脇を固めるバッターたちも技術と戦術眼に優れていた。

 特筆すべきは、隙の無さ。プロ野球史に強いチームは数あれど、走攻守すべての面であれほど隙の無いチームはないのではないか。

「確かに強かったと思います。広岡監督が指揮を執った1982年から85年までの4年間では、スキルアップのために組まれたメニューを徹底的にやらされました。キャンプのミーティングでは、必勝法や失敗法なるものが書かれたテキストが配られ、野球脳を鍛えられました。

 第1条には『選手は常にベストコンディションを保て』と書いてあったと思いますが、そういった条文を皆の前に出て説明させられるようなこともありました。ちゃんと理解しているのかを確かめていたんでしょうね。『書いてある通りです』なんて言うと、『ばかやろう』と怒られるのですが(笑)。でも、そうやって言わされることで、『コンディションはどうやって整えるんだ?』と自問自答するきっかけになるんです。コンディションを整えるためには、練習や睡眠、食事、治療などが大事なんだなと。実生活に自然食を取り入れてみたり、いろいろ試すようにもなるわけです。

 そういったことを毎年キャンプのミーティングで指導され、我々は必死にメモをとっていました。2年、3年と経つにつれて頭にインプットされ、メモを見なくても言えるようになりましたし、実践できるようになりました」

◆「こだわりの積み重ね」が強さの秘訣

「『こうすれば勝てる』といった野球の定石みたいなものも書いてありました。それも同じように読まされ、皆の前で説明させられ、グラウンドでもやらされるんです。それが知識となり、血となり肉となって体に染み込んでいく。一度体で覚えると、体が勝手に反応するようになってミスがなくなり、そうなると相手が慌て始め、墓穴を掘ってくれるんです。簡単に言えば、凡事徹底。当たり前のことをしっかりできるようにしていきました。

 毎試合、そのこだわりを持って戦い、その積み重ねが当時の強さにつながっていたと思います。但し、時間はかかりますよ。日々汗を流しながらの練習も当然大事ですが、野球脳をチーム全体に浸透させていくためのミーティングがあり、試合が終わった後には良かった点と悪かった点を整理し、前向きなフィードバックを行う反省会があり、それらを何年も続けていくことで完成したチームでしたから。やっぱり教育は必要なんです」

 黄金期の西武は、決して近道を歩んだわけではない。魔法のような特別な練習や派手な秘策があったわけでもない。誰もが知る基礎を、誰もが真似できないほど愚直に積み重ね、やがて揺るぎない強さとなった。

<取材・文/浜田哲男>

【浜田哲男】
千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界を経て起業。「ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ・ニュース系メディアで連載企画・編集・取材・執筆に携わる。X(旧Twitter):@buhinton

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