
平井克典インタビュー(前編)
目標としていた今季中のNPB復帰がかなわず、元西武の右腕・平井克典は8月19日、10年間の現役生活にピリオドを打つことを発表した。
それから11日後の8月30日。現所属の神奈川フューチャードリームスで、28日の試合から"3連投"となるマウンドに上がった。
「プレーオフ圏内の4位がギリギリ見えているんですよ。監督が『頼む』と言ったら、『わかりました』というのが選手のあるべき姿だと思います。年齢、立場がどうあろうと、僕は『頼む』と言われたところをまっとうしたい気持ちが常にあります」
34歳になっても、観客が100人に満たない試合もあるBCリーグに主戦場を移しても、平井の姿勢は変わらない。監督から勝負のバトンを託されれば、マウンドで腕を振り抜く。それが自分の使命だと考えてきた。
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【シーズン81試合登板の舞台裏】
そんな生き様でNPBの歴史に名を刻んだのが、西武入団3年目の2019年だった。
「チームが連覇した時に、自分がある程度頑張って、その輪のなかに一緒にいられたことが、プロ野球で一番の思い出です」
ホンダ鈴鹿から2016年ドラフト5位で西武に入団し、1年目から42試合に登板。翌2018年には64試合で3勝1敗21ホールドを記録し、10年ぶりのリーグ優勝に貢献した。
そして2019年、シーズン81試合に登板。1961年に稲尾和久が記録した78試合を上回り、パ・リーグ新記録を樹立した。
平成から令和へと時代が移り変わったこの年、平井の「81」という数字は突出している。パ・リーグで2番目に多く登板した松井裕樹(当時楽天、現パドレス)は68試合。西武ではクローザーの増田達至が65試合で、小川龍也が55試合、佐野泰雄が44試合、カイル・マーティンが41試合と続いた。
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数字を並べるだけでも、2019年の平井がいかに多くマウンドに立ったかがわかる。
それから7年。現在のプロ野球では、中継ぎ投手の3連投さえ珍しくなった。解禁されるとしても、シーズン終盤の勝負どころなどに限られることが多い。
ただ、2019年の平井は4月23〜25日のロッテ戦で3日連続登板。初戦の23日には、イニングをまたいで41球を投げている。
この年、3日連続登板が4度、4日連続登板が1度あった。8月18日からの4日連続登板では、「ヤフオクドーム→京セラドーム→メットライフドーム2試合」(球場名は当時)と移動も重なった。
「その頃は優勝争いをしていたので、『どれだけ点差があっても行く』と言っていました」
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4点差以上のリードや僅差のビハインドなど、ホールドがつかない場面でもマウンドに上がった。辻発彦監督(当時)からは、こう言われていたという。
「1点差で負けているのを、2点差にしないでほしい。2点差で負けているのを、3点差にしないでほしい。抑えれば勝てる確率が上がるから、行ってくれないか」
現在の常識に照らせば、考えにくい起用法かもしれない。今は多くのチームが、リードしている試合とビハインドの試合で起用するリリーフを明確に分けている。
【仮に50試合の登板でも結果は一緒】
だが、当時の西武は規格外のチームだった。看板の"山賊打線"が打ちまくり、リーグワーストのチーム防御率だった投手陣をカバーする。試合終盤に僅差でリードされていても、十分に「射程圏内」と考えられていた。
平井自身も同じだった。
「ハイパーに打つ打線でした。相手のセットアッパーやクローザーが出てきても、『関係ないよ』という感じで。1点差や2点差で負けていても、その点差のまま抑えれば勝つ確率が上がる。そこを僕に託してくれるなら、『行きますよ』と言っていました」
もちろん、腕を振り続けた平井にも休養日は与えられていた。
「連投したあとなど、次の日は前もって『休み』と言ってくれました。そういう日は1日、練習の時からグダーっとしていました」
さらに、連投していたのは平井だけではない。3日連続登板は小川が3度、増田が2度、当時ルーキーだった森脇亮介も1度だけ経験している。
ただし、その負荷には大きな差があった。小川、増田、森脇の3人は、合わせて3日連続登板が6度。その間に投じた球数は計236球だった。
一方、平井は3日連続以上の登板が計5度あり、その間だけで258球を投げている。3人のリリーバーの合計を、平井ひとりの球数が上回っていたことになる。
当時、こうした起用法を「酷使ではないか」と疑問視する声は少なくなかった。筆者も強く批判したひとりだった。では、平井自身はどう受け止めていたのか。
「たしかに、あの年をピークにちょっとずつ成績が落ちていきました。でも、あの登板数を理由にしたくないとずっと思っていました。こういう機会だから言いますけど、それが僕の成績が落ちた理由ではない。
あの時にコーチや監督がうまくやれば、もうちょっと成績が伸びたんじゃないかと言われたら、僕はそうではないと思う。仮に50試合で終わったとしても、ちょっとずつズレは生じてきていたので、その先の結果は一緒だったと思うんですよ」
【信じてくれたことがうれしかった】
2020年以降、平井は中継ぎと先発を行き来した。連覇を手繰り寄せた頃のような絶対的セットアッパーではなくなっていった。
だが、もし2019年に81試合も投げていなかったら、その後の野球人生がどうなっていたのか。それは誰にもわからない。もっと長く第一線で投げ続けられたかもしれないし、そうではなかったかもしれない。
NPBが発表した2025年の戦力外・現役引退選手の進路調査によると、対象選手の平均在籍年数は6.8年、平均年齢は27.2歳だった。いつまで続けられるかわからない世界だからこそ、平井は目の前の仕事をまっとうすることを選んだ。
「65歳の定年まである仕事だったとしたら、もうちょっとうまくやっていったと思います。あと20年できる仕事だったら、『今年はけっこういい仕事をしたから、来年は少しくらい手を抜いてもいいんじゃないか』と、帳尻合わせをしたかもしれません。
でも、僕らは明日できなくなるかもしれない仕事じゃないですか。だったら、後悔なく走ったほうがいい。それに対して信じてくれるというか、『頼む』って言ってくれる人がいる限り、僕はマウンドに立つべきなのかなと思います」
チームが勝つ可能性を少しでも高めるため、誰よりも多くマウンドに上がった。「頼む」と言われれば、意気に感じて腕を振った。
「監督の辻さん、投手コーチの小野和義さんが、それだけ信じて投げさせてくれたことに感謝しています。それだけ信じてくれたことがうれしかったです」
平井が年間81試合登板のパ・リーグ記録を更新してから7年。現在のプロ野球では、3連投さえ珍しくなった。それはリリーフ投手にとって、本当に「いいこと」なのだろうか。
「まあ、いいことなんじゃないかなと思いますけどね。どうなんだろうな。それが正解か不正解か、わからないですよね」
【2連投までは推奨したい】
では、もし平井自身が投手運用を預かる立場になったら、どうするのか。
「2連投までは推奨すると思います。どうしてかと言ったら、ベストコンディションに近い状態で投げさせてあげられるからです。それに関してはいいことなのかなと思いますけど、難しいですよね。肩肘を守ると言っても、ケガしているじゃないですか」
2020年代に入り、150キロを超える速球を投げる投手は珍しくなくなった。投手の出力が飛躍的に高まる一方、故障をどう防ぐかという課題は、より大きなものになっている。
「今の連投でもケガするということは、3連投や4連投をOKにしていたら、もっとケガ人が増えているのかな......。野球が今、ちょうど難しい時期を迎えているのかなと思います」
年間81試合に登板したことを、平井は微塵も後悔していない。それでも「2連投まで」を推奨する。その考えには、現役生活最後の舞台となった独立リーグでの経験も影響している。
「独立リーグに来て思いますけど、すごくいろんな情報があふれている世の中だからこそ、ケガが増えているのかなと感じます」
34歳で現役生活最後のシーズンを迎えた2026年。NPBを離れ、独立リーグに身を置いたことで、平井はこれまでとは異なる角度から野球を見るようになった。
つづく>>
平井克典(ひらい・かつのり)/1991年12月20日、愛知県出身。飛龍高から愛知産業大、Honda鈴鹿を経て、2016年ドラフト5位で西武に入団。1年目から42試合に登板し、18年には64試合で21ホールドを挙げてリーグ優勝に貢献。翌19年にはパ・リーグ記録となるシーズン81試合に登板し、リーグ連覇を支えた。その後は先発も経験するなど幅広い役割を担い、西武では通算350試合に登板して29勝25敗、104ホールド、防御率3.39を記録。2025年限りで西武を退団し、26年はメキシカンリーグを経てBCリーグの神奈川フューチャードリームスでプレー。同年8月に今季限りでの現役引退を表明した

