
MLBでのヤバすぎる活躍で皆忘れているが、実は日本時代、大谷翔平が先発登板した試合での本塁打は1本だけ
投げて良し、打って良しのエースたちが見せつける"天才"の力。あるいは逆に、まるで期待されていない投手が偶然(?)打った超レアなヒット。数々のドラマを生んできた「ピッチャーのバッティング」が、ルール変更により間もなく"見納め"となる。歴史的名場面をドーンと振り返ります!
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【プロ野球黎明期、投手は打者だった】
もういくつ寝ると、日本からピッチャーの打席が消える。
2027年のシーズンからセ・リーグに導入が決まった、指名打者(DH)制度。これにより、日本プロ野球開闢(かいびゃく)以来、およそ90年続いてきた「ピッチャーのバッティング」というものが、永遠に失われることとなってしまった。
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「残念ですよ。野球とは、打って投げてがあってこそ。ピッチャーも打席に立つのが野球の醍醐味(だいごみ)ですからね」
【延長11回完投&サヨナラ本盗】御園生崇男(阪神/1942.10.24 vs南海) 打てないなら、走って決めればいいじゃない。阪神の主戦投手・御園生は延長11回を投げ抜いたその裏、四球で出塁し三塁まで進むと、打者・三輪裕章への4球目にまさかのスタート。球史唯一の「投手によるサヨナラホームスチール」で試合を決めた。
そう嘆くのは、南海、阪神で投手として通算113勝、そして7本塁打を放った野球解説者の江本孟紀(たけのり)氏だ。
「今は大谷翔平の二刀流が特別みたいに言われますけど、昔は二刀流が当たり前。単純にバッティングがいいピッチャーがいただけじゃなく、9番・ピッチャーというポジションには大きな役割があったんです。それをいまさら、50年も前に人気取りで導入したDH制を持ってきて、本質を変えてしまう。最近はそんな変更ばかりじゃないですか」
DH制のパ・リーグでは、9番・ピッチャーという"ひと休み"を与えない打線が強力なピッチャーを育て、セ・パの格差を生んだ―なんて話もささやかれてきた。だが、ピッチャーの打撃は"自動アウト"になるだけの存在ではない。「打たなくて当たり前」だからこそ、数多くの"まさか"がドラマを生んだ。
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不滅の通算400勝投手・金田正一は、打っても通算38本塁打。3本以上打ったシーズンが7回もある
【ノーノー&3打席連続HR】堀内恒夫(巨人/1967.10.10 vs広島) プロ2年目、19歳の堀内が投げてはノーヒッター、打っては3打席連続本塁打(これだけでも投手では史上唯一)の独壇場。8回に4打席連発を狙うも単打に終わり、ベンチに帰ったところで「あと3人でノーノーだ。しょうがねえ、やるか」と気づいたという「悪太郎」。
プロ野球黎明(れいめい)期、ピッチャーはひとりの打者だった。
1936年、日本初の「4番・ピッチャー」となった金鯱(きんこ)の古谷倉之助(ふるや・くらのすけ)は、同年秋に同じく4番・ピッチャー経験者の藤村富美男(阪神)らと本塁打トップを分け合う。39年には古谷と野口二郎(セネタース)が、両軍そろって4番・ピッチャーで先発する試合もあったとか。
投手専任でも大投手はよく打った。巨人軍の伝説のエース・沢村栄治は37年春に24勝(チーム試合数はわずか56!)、防御率0・81を記録し、打っても打率.276。帝政ロシア出身のビクトル・スタルヒン(巨人ほか/通算303勝)は通算446安打、19本塁打。別所毅彦(南海、巨人/310勝)の500安打もすごいが、金田正一(まさいち/国鉄、巨人)は前人未到の400勝に406安打、38本塁打。投げない試合は代打待機し、「やったるで!」と2本塁打を放っている。
【自らのサヨナラHRで延長11回ノーノー達成】江夏 豊(阪神/1973.8.30 vs中日) 延長11回まで一本のヒットも許さず、その裏に先頭で打席に立ち、ライトスタンドへサヨナラホームラン。ここで「野球はひとりでもできる」との名言を生んだといわれるが、実際は記者の言葉に「そうやね」と言っただけだとか。延長戦のノーヒッターは日本プロ野球史上唯一。
【投手イチローvs打者高津】高津臣吾(ヤクルト/1996.7.20 オールスター第2戦) 全パの仰木彬監督(オリックス)がイチローをマウンドに送ると、全セの野村克也監督(ヤクルト)は松井秀喜(巨人)に代えて、自軍のクローザー・高津を代打起用。球宴史に残る名場面だが、これは「打てなければ松井が恥をかく」という野村監督の思いやりだった。
さらに言えば、米田哲也(阪急ほか)は350勝で33本、平松政次(まさじ/大洋)は201勝で25本、堀内恒夫(巨人)は203勝で21本。堀内はノーヒットノーランの試合で3打席連続ホームランという離れ業を演じ、江夏豊(阪神)は延長11回のノーヒットノーランを自らのサヨナラホームランで決着。信じ難いドラマがいくつも生まれてきた。
「堀内には、南海も日本シリーズでホームランを2本打たれて負けましたね。平松もよく打った。彼らは天才ですよ。でも、ブルンブルンと振り回すだけの指名打者が入り、野球が変わってしまうと、"自分で投げて自分で決める"ことができる才能が潰されてしまう。ドラフトでパ・リーグの西武に入った松坂大輔の打席だって、本当はみんな見たかったはずですよ」(江本氏)
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【犠打数上位には平成のエースがズラリ】
ただし、天才とはひと握りの異端だ。2026年のピッチャーの平均打率は.097(9月7日現在。以下同)。打撃のいい床田寛樹、森下暢仁(まさと)を擁する投手打率トップの広島でも.123。では、そんな「打てなくて当たり前」の存在をどう使うか。19年、横浜DeNAのアレックス・ラミレス監督は「9番と1番をつなぎ、下位から上位へチャンスをつくるため」と古(いにしえ)の兵法である「8番・ピッチャー」を令和の時代によみがえらせた。
しかし、最もオーソドックスな作戦は送りバントであろう。平成以降、「ピッチャーならバント」のセオリーにあらがったのは、98年にシーズン打率.250を記録した野村弘樹が9番に入った日の"完全体・横浜マシンガン打線"くらいのもの。
【夜空に消える場外満塁HR】バルビーノ・ガルベス(巨人/1999.8.13 vs横浜) あっという間にハマスタのレフト場外へと消えた推定飛距離140mのグランドスラム。ゴジラ・松井秀喜も「飛距離はかなわない」と舌を巻いたカリブの怪人の一撃は、この年自身2本目の満塁弾。先発として投げた4シーズンで10本塁打を放っている。
【世界記録の18打席連続三振⇔ファウルフライでついにストップ】ドミンゴ・グスマン(横浜/2003.5.13 vs巨人) とにかくバットにボールが当たらなかったドミンゴ。開幕からバットが空を切り続け、MLB記録の14打席をも更新する18打席連続三振。19打席目、一塁ファウルフライで記録が途切れると歓声が湧いた。なおこの年の成績は53打数39三振だが、実は5安打している。
投手の歴代通算犠打数を見ると、1位・山本昌(中日/153犠打)、2位・石川雅規(ヤクルト/150犠打)、3位・三浦大輔(DeNA/112犠打)、4位・桑田真澄(巨人/110犠打)。先発完投が当たり前で、勝利数とホームラン数が比例していた昭和時代とは打って変わり、継投野球となった平成時代を代表する長寿の先発エースの名前が並ぶ。
「僕も現役時代、ヒットを打って勝った試合もあれば、ここ一番でバントを決められずに負けた試合もありますよ。ピッチャーの打席は打つ・打たないだけじゃない。作戦面でも見るべきものがあるのに、それを『いらない』なんて言ってしまうのは、ホームランさえ見られれば喜ぶような人間の発想。僕自身も75年にパ・リーグのDH制導入を経験していますが、全然面白くなかったし、物足りなかった。その翌年にトレードで阪神に行って、また打席が復活するんですけどね。やっぱり面白みでいえば、ピッチャーが打席に立つほうが断然ありましたよ」(江本氏)
【日米史上初「先発投手の先頭打者HR」】大谷翔平 (日本ハム/2016.7.3 vsソフトバンク) プロ4年目で初めて「1番・ピッチャー」で先発した大谷が1回表、初球を右翼席へプレーボール弾。先発投手による先頭打者本塁打は日米プロ野球史上初の快挙だった。しかも投げては8回10奪三振無失点でこのシーズン8勝目。敵地での試合をひとりで支配した。
【"代打に投手"の恐ろしい重圧】
ピッチャーは「打てなさすぎ」でも面白い。その最たる例がドミンゴ・グスマンで、横浜時代の03年、なんと世界記録を更新する18打席連続三振。ほかにも猪俣隆(阪神)はプロ初安打まで実に79打席を要し、大野雄大(中日)にも80打席連続無安打がある。彼らがヒットを打てば大事件、時には三振しなかっただけでも拍手が起こった。
そんな「絶対に打たれてはいけない」存在は、ことのほか相手バッテリーに重圧をかける。"代打にピッチャー"なんてされたときの心情は推して知るべしだろう。
2000年以降でも、当時まだ交流戦がなくプロ初打席が代打だった松坂大輔(西武)がヒットを放ち、桑田真澄(巨人)がバスターを成功させ、野手である嶺井博希の代打で登場したジョー・ウィーランド(DeNA)が四球を選ぶなど、打撃に秀でたピッチャーが代打に起用され結果を残したケースがある。
【平成の怪物、プロ初打席は代打でタイムリー】松坂大輔(西武/2000.8.7 vsオリックス) 9回2死満塁。野手を使い切り、DHも解除していた東尾修監督は登板予定のない2年目の松坂を代打に送る。横浜高校で4番も務めた松坂は、7球目をセンター前に2点タイムリー。まだ交流戦がなかった当時、ファンがようやく見られた待望のプロ初打席だった。
【「代打・桑田」でバスター成功】桑田真澄(巨人/2002.6.19 vs横浜) 打撃だけでなく走塁やフィールディングも含めた「野手力」では歴代投手の中でも最強との呼び声高い桑田。延長11回無死一塁。投手・岡島秀樹の打順で出てきたのは野手ではなく、17年目で初の代打起用となる桑田。送りバントの構えから一転してバスター、打球はシフトで空いた三遊間を抜け、仁志敏久の決勝打につなげた。桑田のセンスを信頼した原辰徳監督の名采配。
02年、河野昌人(広島)が代打で登場し、あと少しで逆転スリーランの大ファウルを放ったこともスリリングな出来事だったが、やはり最大の事件は20年、延長戦で野手を使い果たした中日の与田剛監督が2死満塁で送り出した「代打・三ツ間卓也(みつま・たくや)」だろう。現在は神奈川県でイチゴ農家を営む三ツ間氏が回想する。
「投げる立場からすれば、ピッチャーの打席はひと息つけるありがたい存在ではありました。でも打たれたり、四球を出すと流れが一気に悪くなる。後でコーチにも怒られますし『絶対に打たれちゃいけない』っていうヘンなプレッシャーはありますよ。僕の代打は延長戦の2死満塁でしたから、相手ピッチャーの石山泰稚(たいち/ヤクルト)さんも大変だったと思います。さすがに三振でしたけど、最後のボール、気迫のこもったキレキレのスライダーでした(笑)」
【日本シリーズの流れを決定づけたサヨナラ打】
そんなピッチャーの打撃が"流れ"を大きく左右するのが短期決戦だ。
86年の日本シリーズ、広島−西武の第5戦。3敗1分けと崖っぷちの西武は、延長12回にピッチャーの工藤公康がサヨナラ安打。すると、ここから4連勝で逆転日本一。58年の西鉄も、巨人に1勝3敗と追い込まれた後、エース・稲尾和久のサヨナラ本塁打から3連勝。「神様・仏様・稲尾様」の伝説にはバットも大きく寄与していた。
【日本シリーズ第5戦、起死回生のサヨナラ打】工藤公康(西武/1986.10.23 vs広島) 初戦引き分けの後、3連敗と追い込まれた西武。第5戦、同点の延長12回1死二塁の場面で、10回からリリーフ登板していた工藤が津田恒実からサヨナラヒット。息を吹き返した西武は4連勝で逆転日本一。日本シリーズのDH制採用が隔年だった時代が生んだドラマ!
CSが制度化されてからも、17年のファイナルS第3戦、DeNAは井納翔一の決勝打でポストシーズン史上初の「投手の決勝打による1−0勝利」。その勢いで広島を下し、"下克上"の日本シリーズ進出。また23年の阪神も、広島とのCS初戦で先発の村上頌樹(しょうき)による史上初の「ポストシーズン初登板で勝利投手+決勝打」。そのまま日本一まで駆け上がった。
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もちろんDH制には利点もある。ピッチャーに代打を出す必要がなくなり、完投数が増えたという結果もあった。
「確かにパ・リーグはDH導入以降、東尾修(西鉄)や村田兆治(ロッテ)だとか、一気に完投数が増えた。でも、期待できるのはそれくらいですよね。
やっぱりね、野球の本質を考えると、スーパースターをつくらなければいけないんですよ。今は大谷翔平という"打って投げる"の最高傑作がいるわけでしょ。打てるピッチャーの可能性をみすみす捨てるのはもったいないですよ。セとパの平等性を保ちたいなら、隔年でDHを採用すればいいんです」(江本氏)
多くの思い出を残しながら、日本におけるピッチャーの打席はこの秋でひとまず"見納め"。残りはセのCS、日本シリーズも含めて1ヵ月と少々だ。
その見どころのひとつは、三浦大輔に並ぶ投手歴代タイ記録の24年連続安打を昨季まで継続してきた石川雅規の引退試合であろう。ヤクルトの小さな鉄人が記録を更新するか。もし打席に立てるのなら、目に焼きつけておきたい。
取材・文/村瀬秀信 写真/共同通信社 時事通信社 産経新聞社 日刊スポーツ/アフロ
