
『東大・京大入試で培う 多面的に物事を深く捉える複合的思考力』(西岡壱誠 / 東大カルペ・ディエム著)は、入試問題を手がかりに、両校が受験生に求める知性の本質を解説した一冊です。
今回は本書から一部を抜粋し、理系に国語を課す理由や、古文などの問題に表れる2校の違いを紹介します。
なぜ東大・京大は理系にも国語を課すのか
東大・京大に共通しているのは、毎年極めて高いレベルの“思考力の試験”を課しているという点です。そしてその傾向は国語でも例外ではありません。まず大前提として知っておきたいのが、東大・京大は理系受験生にも二次試験で国語を課すという点です。しかも、現代文に加えて古文も出題されます。さらに東大では、漢文も試験範囲に含まれています。このような試験形態を採用している大学は日本でも有数です。では、なぜ両大学はあえて理系に国語を課すのでしょうか?
一般的に、「理系=国語が苦手」というイメージがあります。数学や物理で勝負してほしいはずの理系受験生になぜ国語を解かせるのか? それは端的に言えば、理系の研究にも国語(言語化能力)が不可欠だからです。
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例えば、式を言語化すると下記のようになります。
・Fは“物体に加えられる力”であること
・mは“質量”、aは“加速度”であること
・質量が一定である場合には、力は加速度に比例する
このように式を言語で言い表すことができれば、その意味を記号ではなく、関係性を構造として深く理解することができます。実はこれらすべてが、国語で鍛えられる言語化の能力と深く関わっています。研究者は専門知識を持っているだけでは不十分で、その知を他者と共有し、誤解なく伝え、論文として世界に開いていかなければなりません。
つまり国語の試験は、思考の構造を文章として“可視化する力”を測る装置でもあるのです。
東大・京大の国語が論理的な文章を中心に出題されるのは、将来「知を発信する側に立つ学生」に必要な、言語化して共有する能力を求めているからです。
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東大国語は盛りだくさん!
東大の国語は、文系では現代文・古文・漢文(現代文が2題)の合計4問、理系では現代文・古文・漢文の3問構成です。文理問わず古文・漢文をしっかり読み解く力が求められます。他大学を見ると、京大は現代文2題+古文1題(一部年度で漢文あり)、一橋は現代文2題+近代文語文が基本。つまり現代文・古文・漢文の三本立てを毎年課すのは非常に珍しいのです。京大が漢文を基本的に課さないのに対して、東大は漢文を課す……これはなんでなんだろう? と思う人も多いと思います。
東京大学の公式サイトの「高等学校段階までの学習で身につけてほしいこと」では、古典を必須とする理由について、「日本文化の歴史的形成への自覚を促し、真の教養を涵養(かんよう)するには古典が不可欠である」と明言されています。
「古文だけでよくない? なぜ漢文も?」という疑問は、多くの受験生や保護者から実際に聞かれます。しかし東大が漢文を必須としている理由は、単に「古い教養だから」という曖昧なものではなく、近代日本の知の成り立ちそのものに関わる極めて本質的な理由があります。
まず、古文と漢文は、同じ「昔の日本語」ではありません。役割も思想も、カバーする世界の広さもまったく異なります。
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近代化の過程では、法律・政治制度・学問の方法論・倫理観など、日本の“ 理性の柱” はほぼすべて漢文的世界観から来ています。つまり、古文=「日本の心(感性)」、漢文=「日本の頭脳(理性)」と言ってもよいほど、役割が明確に分かれているのです。
東大が古文・漢文の両輪を課すのは、感性と言語の歴史を理解しながら、世界に通用する理性の普遍性へ接続できる基礎力があるかどうかを測るためなのです。受験科目というより、むしろ“ 知の根幹” を問う試験だと言えるでしょう。
東大古文と京大古文を比べてみると
では、古文について比べてみましょう。東大・京大それぞれの古文の設問を並べてみました。===
2025年度東大国語第2問(古文) 設問傍線部ア・イ・エを現代語訳せよ。「かきくらさるる心地」(傍線部ウ)とは何に対するどのような心情か、説明せよ。「この事、限りなくあはれに覚え侍り」(傍線部オ)とあるが、語り手はなぜそのように感じたのか、説明せよ。「よしなき人の思ひを、我のみ一方にはとどめじ」(傍線部カ)とはどういうことか、説明せよ。傍線部キの歌はどのようなことを表しているか、説明せよ。
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2024年度京大国語第3問(古文) 設問傍線部(1)はどういうことか、説明せよ。傍線部(2)を、適宜ことばを補いつつ現代語訳せよ。傍線部(3)を、適宜ことばを補いつつ現代語訳せよ。傍線部(4)はどういうことか、説明せよ。傍線部(5)のようになったのはなぜか、直前の和歌の内容に基づいて説明せよ。
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さて、何か気づくことはありますか?
東大の設問は「何に対するどのような」など比較的具体的に受験生に問うているのに対して、京大の設問はただ「どういうことか」と問うのみで、「適宜ことばを補いつつ」というものの何を補うのかは自分で考える必要があり、より抽象的です。
両者を並べてみると、出題の“思想”がまったく違うことがわかります。実は、一口に古文の問題と言っても出題の目的や設問の性格がかなり異なっているのです。
東大は、文章の論理構造や古語を正確に把握していることを重視しています。つまり、受験生に対し「知の秩序を読む力」を求めているのです。記述の解答欄も狭く、本文から読み取れたことを簡潔にまとめる能力も見ていることがわかります。「この語が何を指しているか」「この構文はどのような機能か」といった“精緻な読解力”を問うているのです。
一方で、京大は文章の文学性・物語性を感じとって思考する力、つまり「知を生成する力」を求めています。記述の解答欄は比較的広く、「本文の主題を自分の言葉でまとめる」「和歌・物語的場面に対して自分の解釈を述べる」など、ある程度受験生の発想力も問われています。
英語の直訳のように単に文中の表現を解答欄に切り貼りするだけでは対応できず、自分なりにまとめ直す力が必要とされています。
両方の設問から「東大らしさ」「京大らしさ」が見えてきませんか?
今まで見てきたように、東大は「知を“正確に・秩序立てて”把握・再現できる能力」を受験生に求めています。
古文出題でも、文章の構造・語句・文法を“精緻に”読み解く力が問われます。知の制度に参加するための知性を選抜するという“秀才的”スタンスなのです。
それに対して京大は、「知を“問い直し・拡張し・自分の言葉で再展開”できる能力」を重視します。
古文出題でも、文学的背景・物語性・和歌などを題材(苦手な人が多いとされる和歌の読解は、京大では頻出です)に、自分自身の思索を立ち上げる余地が用意されている傾向があります。知の制度を内側から更新できる知性を創造したいという“天才的”スタンスです。
このように、面白いことに古文の出題からも両者それぞれの「らしさ」があり、対極となっている構図が読み取れるように思います。
著者:西岡 壱誠(作家・カルペ・ディエム代表)
現役東大生を中心に活動する学術・教育プロジェクトチーム、カルペ・ディエム代表。1996年生まれ。偏差値35から東大を目指すものの、2年連続で不合格に。二浪中に開発した独自の勉強術を駆使して東大合格を果たす。2020年に株式会社カルペ・ディエムを設立。全国の高校で高校生に思考法・勉強法を教え、教師に指導法のコンサルティングを行っている。日曜劇場「ドラゴン桜」の監修や漫画「ドラゴン桜2」の編集も担当。著書はシリーズ45万部となる『東大読書』『東大作文』『東大思考』『東大算数』(いずれも東洋経済新報社)ほか多数。
(文:西岡壱誠/東大カルペ・ディエム)

