
名将たちの人心掌握術(3)
ジョゼ・モウリーニョ(前編)
ジョゼ・モウリーニョは監督として一世を風靡した。
40代前半にポルトでポルトガルリーグを連覇。UEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)、チャンピオンズリーグを制覇し、一気に頭角を現した。その後は50年ぶりにチェルシーにプレミアリーグ優勝をもたらし、インテルを45年ぶりに欧州王者へと導いた。レアル・マドリードでも、ジョゼップ・グアルディオラ監督時代の最強バルサと激闘を繰り広げ、スペイン国王杯、ラ・リーガのタイトルを獲った。
約10年でモウリーニョは一気にサッカー界を駆け抜け、注目を集めた。そして2026−27シーズンは、再びレアル・マドリードを率いることになった。なぜ、プロサッカー選手の経歴のない監督がこれだけの統率力を見せているのか?
そこには一般社会にも通じるマネジメントのヒントがあるかもしれない。肩書などなくても、人を率いることはできる。それも「彼のために死ねる」と言わせるほどの引力で、だ――。
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2004年、ポルトで欧州王者になる直前、スペイン在住の筆者はモウリーニョのインタビューをした。ひととおり終えたあとの雑談だった。
――選手歴のない自分でも、選手と対等に接し、その姿を描くことはできると思いますか?
当時、筆者は30代前半だったが、日本に帰国後はヨーロッパでの取材経験を生かし、相手が選手であろうと監督であろうと同じ立場で対峙し、生々しいノンフィクションを書き上げたいと思っていた。選手にゴマをすり、おべっかを言い、監督のご機嫌を取り、媚を売るインタビューはまっぴらごめんだった。しかし、プロ選手歴もない自分がどこまでやれるのか、不安も抱いていた。
「がんばれよ」
「そんなの知らないさ」
「そうなることを祈っているよ」
どんな答えでも、筆者は満足だった。所詮、他人事だ。そうすることは、すでに心に決めていたし、肝心のインタビューはすでに成功していた。
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しかし、モウリーニョは真剣な表情で、こう言った。
【ベンチの選手までが心酔】
「できないはずがないだろう。なぜなら、お前は私にたどり着けた。ほかのポルトガル人記者がひとりもたどり着けないこの私に、だ。それ以上に、俺が言えることがあるか?」
「なんてしびれることを言うのだ!」と、雷に打たれたような気がした。
実際、その部屋の外にたむろしていたポルトガル人記者たちは、ひとりも独占インタビューが取れていなかった。広報担当者からは「一切、彼ら(記者たち)とは話をしないように。私が火だるまになる」とクギを刺されていた。それは、見知らぬ国からやって来た記者が、なぜか大谷翔平のインタビューを取っているようなものだった。
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だからこそ、モウリーニョの言葉に興奮し、勇気づけられた。
同時にこう思った。見ず知らずの東洋人の記者の気持ちを、これほど揺さぶれるリーダーである。現場で麾下(きか)の選手と対峙した時、そのエネルギーはきっとすさまじいはずだ、と。
リーダーの本質は、まずは目の前の人間の心を動かせるかどうかにある。ひとりを魅了できなかったら、集団を惹きつけることはできない。
ポルトの欧州制覇の原動力になったMFで、のちにバルセロナでも活躍したデコはこう語っていた。
「モウリーニョは試合前のミーティングで、"今日の試合展開はこうなる"と予言めいた言葉を口にするんだけど、それがものの見事に的中するんだよ。相手選手のスカウティングは完璧で、おかげで簡単に攻略できた。決して珍しい言葉を使うわけではない。ただ、純粋にアドバイスが的確だったから、選手たちは自然に彼に従うようになったんだ」
モウリーニョは人並み外れた慧眼があった。だからこそ、ベンチに座る選手まで心酔させたのだろう。ポルトで悪童と言われたFWベニー・マッカーシーには、「ベンチ? 監督は自分のことを一番わかってくれている。準備ができたら、必ずピッチに入って活躍できる。彼のために死ねるよ」とまで言わしめた。催眠術でも使ったように、見えていない景色を見せ、最大限の力を発揮させたのである。
筆者も一瞬、心地よい催眠にかかった感覚があったからこそ、それが少しはわかる。
モウリーニョは、自らが感情の塊となって集団を率いることができた。彼自身、とても業(ごう)が深いのだろう。その人間味によって、選手の心と接続できたのかもしれない。
後年、モウリーニョはバルセロナのスペクタクルなサッカーを否定し、ヨハン・クライフのアンチのように振る舞うようになったのだが、実はこんな話をもらしていた。
「自分はスペクタクルなフットボールを目指している。クライフと飛行機で同乗した時、彼の意見をうかがったんだ。そして自分の考えが正しいという確信を得た」
モウリーニョはバルサのサッカーに愛情を抱いているようだった。しかし、チェルシーを率いるようになってバルセロナと対戦した時には、かつてバルセロナで通訳兼コーチとして過ごしたことをメディアに揶揄された。ファンにも「通訳の分際で......」という悪辣な評価を受け続けた。
それによって、バルサへの憧れは憎しみに代わった。敬愛していたクライフがモウリーニョのサッカーをこき下ろしたことも、憎悪の火にガソリンを撒くことになったという。
たぶん、モウリーニョの業にまみれたようなマネジメントは、並の人間には真似できない。たいてい、自らが破滅してしまうだろう。それだけ特別だった。一方でモウリーニョには、自分で自分を演じるようなリーダーの特性があった。
ひとつだけ言えるのは、筆者はその後、選手と並走するようにノンフィクションを書き上げ、それに基づいたフィクションまで作品化することができた。
(つづく)
ジョゼ・モウリーニョ
1963年、ポルトガル・セトゥーバル生まれ。ポルトガル2部でプレーしたが、プロ経験はない。現役引退後、体育の教師やユースチームの指導者を経て、ボビー・ロブソンの通訳としてスポルティングのスタッフ入り。バルセロナでも通訳やアシスタントコーチを務め、2000年、ベンフィカの監督に就任。その後、ポルト、チェルシー、インテル、レアル・マドリードなどを指揮し、多くのタイトルを獲得する。2026年、再びレアル・マドリードの監督に就任。

