
五輪やサッカーW杯の協賛で知られるVisaが、音楽界の「推し」を支援し始めた。7月に歌手Adoのライブに協賛し、9月17日には音楽大手ユニバーサル ミュージックと、協業に向けた基本合意書を結んだと発表した。Visaは自らカードを発行せず、会員を直接持たない。その会社がなぜアーティストを押さえにいくのか。
ライブ会場を埋め尽くす歓声、限定グッズを求めて伸びる長蛇の列、そして「推し」のために惜しみなく注ぎ込まれる熱狂的な消費──。
市場規模4.1兆円へと膨れ上がり、可処分所得の4割近くを飲み込む「推し活経済圏」に、世界最大の決済ブランドが牙城を築こうとしている。
Adoのスタジアムライブ協賛を皮切りに、ユニバーサル ミュージックとの戦略的提携を発表。「Visaカード会員限定の優先入場や先行購入」という、ファンが欲しがる限定体験を次々と繰り出している。
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決済の巨頭であるVisaが、なぜこれほどアーティストやレーベルを押さえにかかるのか。ファンの熱狂を購買力へと転換する「熱狂消費の設計図」に迫る。
●4.1兆円市場「推し活経済圏」 観客から“参加者”へ変わるファン
2026年の本屋大賞を受賞したのは、朝井リョウ氏の『イン・ザ・メガチャーチ』(日経BP)だ。日本経済新聞に連載された小説で、舞台は朝井氏のいう「“推し活”を土台とした経済圏」である。朝井氏は版元のインタビューで、普段はビジネス書を読む層に届いている実感があったと話している。
小説の舞台になった経済圏は現実でも膨らんでいる。「推し活総研」(CDG、Oshicoco)が2026年1月に約2万3000人を調べた結果から推計すると、推し活をする人は約1940万人。前年の1384万人から約4割増え、市場規模は約4.1兆円になった。一人一人の入れ込み方も深い。博報堂などの2023年の調査では、推し活をする人は可処分時間の38.8%、可処分所得の37.4%を推しに充てていた。
この消費の動きに決済ブランドのVisaが反応した。スポーツの協賛を続けてきた同社は7月3日の説明会で、日本でのブランド戦略を見直すと表明した。ビザ・ワールドワイド・ジャパンの里村明洋マーケティング本部長はその理由を、ファンが「観客」から「参加者」に変わったからだと説明する。SNSで発信し、ライブに通い、コミュニティに加わる。「見るだけの応援から参加する応援に変わり、購買を動かす時代になっている」(里村氏)
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参加するファンに近づく入り口として、Visaは音楽を選んだ。対象は音楽、アニメ、ゲーム、スポーツ、ライフスタイルの5領域だが、接触頻度、視聴時間、購買への影響度の3つとも音楽が最も高いというデータを里村氏は示した。第1弾はAdoのライブへの協賛だった。
●「Visaを持たないと買えない」体験の裏側
Adoのスタジアムライブでは、クレディセゾンが発行するVisaカードの会員だけが先行抽選に申し込めた。ゴブラン織りのブランケットも同じ会員に限って販売された。7月には「SAISON CARD Digital<Ado>」の募集も始まった。券面はAdoのイメージディレクターを務めるORIHARA氏が今回のために描いたものだ。
ユニバーサル ミュージックとの間でも取り組みの形は同じだ。9月17日の発表会で両社は、原宿・竹下通りに開いたThe Weekndのポップアップストアを例に挙げた。午前10時から11時まではVisaカードの会員が優先して入場できるようにし「グッズの会計にも優先レーンがある」と里村氏は説明した。利用者からVisaはどう見えるのか。7月にそう問われた里村氏は「Visaを持たないと買えない。持っていることでこういうことができるかもしれない、という体験になっている」と答えている。
ただし、Visaは自らカードを発行していない。会員を抱えるのはクレディセゾンのような発行会社(イシュア)だ。そこでVisaは権利元との交渉役に回る。Adoの件では、レーベルのユニバーサル ミュージックとVisaがライブ協賛の話を進め、そこへセゾンを誘った。里村氏によれば、案件はイシュア全体に紹介し、手を挙げた会社と組む。Adoのカードはこの3社で契約を結んだ。同じ形の取り組みは、セゾン以外の発行会社にも広げる考えだという。
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この仕組みでVisaは何を得るのか。里村氏は7月、成果を測る物差しを2つ挙げた。「行きたい場所へ連れて行ってくれるブランド」という認識が広がったかどうかの調査と、施策への参加者数・参加率だ。
2つの物差しに決済額は入っていない。ただ、決済への効果はスポーツの事例からうかがえる。サッカーW杯のビューイングパーティは、イシュアが会員を招待する形で220人を集めた。応募にはイシュアごとに利用額や利用回数の条件がある。「条件に合うように皆さんが頑張る。想定値をかなり超える形で消費もされた」(里村氏)。音楽で同じ設計をするとは説明していないものの、Adoのカードにも入会の翌月末までに1万円以上使うと2000円を戻す特典が付く。限定の特典に利用条件を付ければ、会員の利用額が増えるというわけだ。
●単発IPから「幅」のプラットフォームへ ユニバーサル×Visaが描く世界進出
会員限定の特典で利用を促す手法は、Visaだけのものではない。JCBは5月、プレミアムカードの会員に限ったライブ「JCB THE LIVE」を11月に開くと発表した。協力するのはVisaと同じユニバーサル ミュージックである。
9月のVisaとの基本合意について、ユニバーサル ミュージック上席執行役員の玉木一郎氏は発表会後の囲み取材で、特徴を「幅」という言葉で説明した。玉木氏は、1つのIP(知的財産)と1つのメーカーや販売店が組む形と比べてみせた。これに対して同社には、松任谷由実のように上の世代が支持するアーティストもいれば、小中学生がファンのアーティストもいる。「答えは1つではない。幅の広いことが、この両者が組む特徴だ」。玉木氏はそう表現した。
Visaの側にも同じ幅がある。里村氏は7月、アーティストには若手からシニアまでがいて、それによって組むイシュアのタイプが変わると話していた。世代の違うアーティストと、会員層の違うイシュア。2社が組めば、この2つを案件ごとに組み合わせられる。玉木氏もVisaと組む理由として、世界最大の決済会社であること、幅広い発行会社と付き合いがあること、多くの消費者とつながっていることの3点を挙げた。
組み合わせの先には海外進出もある。Visaは2024年にK-POPの授賞式「MAMA AWARDS」のタイトルスポンサーとなり、2026年まで3年間の独占スポンサー契約を結んでいる。「K-POPがとっくにできていたとすれば、J-POPは本当にこれから」と玉木氏は話す。
同社がカバー曲を配信するYouTubeチャンネル「Re:Re:Re:TUNE」は、玉木氏によると登録者が200万人近く、聞き手の約半数が海外にいる。ただし、今回の合意はVisaの日本法人によるものだ。リリースも、アジア地域の音楽フェスティバルでの連携を「視野に」協議を進めるという書き方にとどめている。玉木氏は「日本を中心に同心円的に広がっていったら」と期待を語った。
●ファンを怒らせたら終わり 「熱狂の設計者」に求められる節度
アーティストとイシュアの組み合わせが増えれば、限定の特典も増えていく。ただ、ファンダム経済ではファンへの向き合い方を誤ると逆効果になる。Visaの会員だけが買えるということは、会員でないファンは買えないということでもある。里村氏も7月、限定感や独占感を出す際には「自分たちは参加できないのかという、変な恨みにつながらないよう、寄り添い方に気を付けたい」と話していた。
ユニバーサル ミュージックの側も線を引いている。玉木氏がVisaと組むにあたって重く見たのは、同じ方向を向いてものを作れるかどうかだ。「安易な道を求めると、それぞれのアーティストにとっては必ずしも幸せではないかもしれない」
『イン・ザ・メガチャーチ』は、ファンダム経済を3つの視点から描く。朝井氏の言葉では「構築する側」「仕掛けられる側」「かつて深くのめり込んでいた側」だ。同じ熱狂でも、立つ側が変われば見え方は変わる。特典の条件を満たそうと会員が利用額を増やすことは、構築する側から見れば施策の成功である。仕掛けられる側から見れば、推しのために出費を重ねたことになる。Visaとユニバーサル ミュージックが立つのは構築する側だ。里村氏が「変な恨み」を口にし、玉木氏が「安易な道」に触れたのは、それぞれの立場からファンの熱狂に手を入れる危うさを、当事者として自覚しているからだろう。
その自覚を保ったまま規模を広げられるか。限定の特典は、組むイシュアや会員が増えるほど限定ではなくなる。ユニバーサル ミュージックはJCBとも組んでおり、他の国際ブランドが別のレーベルやIPと組む余地もある。似た特典がどのブランドでも手に入るようになったとき、イシュアが手を挙げ続ける理由を、Visaは利用額や参加率の数字で示せるか。限定の価値を保ったままどう広げるかは、推し活で顧客を囲い込もうとする企業に共通する課題だ。
(金融ジャーナリスト 斎藤健二)
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