電気・ガスが止まる、食べるお金がない、家はナメクジだらけ 競輪・佐々木豪を磨き上げた高校時代のたったひとりの生活

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2026年09月29日 07:10  webスポルティーバ

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【地元のG�気�もたらしたもの】

「艱難汝を玉にす」(かんなん なんじを たまにす)

 これは、"人は苦労や困難を乗り越えることによって磨かれ、立派な人物に成長する"という意味で、競輪選手・佐々木豪(愛媛・109期)の過去を聞くにつれ、このことわざが頭をよぎってきた。

「つらかった時期に、それをつらいと認めてしまうと、そこで終わってしまうと思うんです。周りにも結構言われてきましたが、環境的にはグレてもおかしくなかったと思いますし、自分でもよくグレなかったなと思います」

 今年30歳の節目の年を迎えた佐々木は、自身の過去を語りながら笑顔を見せた。

 彼は現在、約2200人いる競輪選手のなかで、上位約210人が所属するS級1班で活躍する選手だ。8月に地元・愛媛で開催されたG�汽�ールスター競輪では、唯一予選・準々決勝の3レースを1着で通過し、準決勝も勝ち上がった。そして佐々木は初のG�儀莨,膨�んだ。

「動きは本当によかったと思いますし、勘も冴えていて、周りもよく見えていました。決勝では優勝を狙っていましたが、僕は(四国勢の)最後方になってしまって、ほとんど勝負権はありませんでした」

 この決勝では四国勢4人が決勝を走り、優勝は徳島の犬伏湧也(徳島・119期)が勝ちとったが、実に20年ぶりとなる四国勢によるG�祇�覇に愛媛のファンも熱狂。6着となった佐々木にも、感謝とねぎらいの言葉が飛んだ。

「いろんな人が声をかけてくれました。(準決勝は)単騎で走って3着で決勝に残れたので、それに対して『しびれたよ』とか。そう言われたことは、むちゃくちゃうれしかったです」

 地元で受けたファンからの言葉の数々に、佐々木は競輪の魅力を再確認した。

「オールスターの声援は本当にすごくて、あれだけの声援のなかで走れることは人生においてなかなかないことだと思いますし、これまでにない高揚感を味わいました。あの中心にいることができたのは、人生に彩を添える意味でもすごくいい経験ができたと思いますし、感動しました」

 184cm、93kgの体躯で、切れ長の鋭い眼光ゆえに、豪放な性格に見える佐々木だが、その素顔は素直で誠実だ。地元ファンからの声援にも真摯に応えようとし、それらの言葉を原動力に変えようとする姿勢もある。

 そんな彼を形作ったのは、その笑顔からは想像できない、一見不幸にも思える壮絶な高校時代にあった。

【高校での極貧生活】

 幼い頃から佐々木の周りにはつねに競輪があった。「テレビではずっと(レースの)オッズが表示されていた」というほど、父親は熱烈な競輪ファン。佐々木は意味もわからずその数値を眺め、時には父親と競輪場に足を運んでいた。

「小さい頃の夢はお金持ちになることだったので、親父にどうやったらお金持ちになれるのかと聞いたら、『競輪選手になればお金持ちになれる』と言われたので、幼稚園の頃から競輪選手を目指していました」

 競輪選手になる夢を持ち続けていた佐々木だが、そのきっかけを与えてくれた父親は、彼が中学生になる頃には家を離れ、県外で暮らすようになっていた。またフィリピンにルーツを持つ母親は頻繁に母国に帰ってしまい、高校に上がる頃にはたったひとりで生活することに。当然お金もなく「鬼貧乏だった」という。

 佐々木は、なんとかして"将来はお金持ちになりたい"と競輪選手への夢を強固なものにし、高校は自転車競技部のある松山工業高校に進学。しかし、肝心の自転車を買う余裕はなかった。

「お金はなかったんですが、熱意だけはあったので、自転車屋さんに行って事情を話して、『プロになったら払ってくれたらいいから』と自転車を工面してもらいました。だから当時のフレームはその方の弟さんのものを譲ってもらって、みんながいらなくなったパーツを組み合わせて自転車を組み立てました」

 お弁当も含め、毎日の食事は自分で作るなど、身の回りのことは全部ひとりでこなした。時には電気・ガスが止められることもあり、水のシャワーを浴び、暗闇の中で生活したこともあった。

 また、手持ちがなくなった時には、「知り合いの家でご飯を食べさせてもらったり、カップラーメンをたくさんもらったりして食いつないでいた」という。さらに「すごく隙間の多い家だったんですが、梅雨時にはナメクジが大量発生して、その時は本当にやばかった」と想像を絶する生活を送っていた。

 自暴自棄になってもおかしくないような環境だったが、競輪選手になる夢はあきらめなかった。それは自転車を工面してくれた方々、食べさせてくれた方々など多くのサポートがあったからだ。

「僕がプロになりたいと言っていたから、みんなが応援してくれました。だからそれに絶対に応えたいという気持ちがありました」

 高校3年時に日本競輪学校(現日本競輪選手養成所)の試験を受け不合格となるも、そこからはアルバイトをしながら必死に努力を重ね、翌年の試験でなんとか合格をつかんだ。こうしてようやく夢の第一歩を踏み出すことができた。

【"あきらめる"をあきらめた】

 日本競輪学校入学までのこの苛烈な生活のすべてが、佐々木の心を磨き上げた。それは競技に向かう姿勢にも表れていった。

 高校時代の練習はロードが中心で、1学年上でインターハイ覇者の小橋勇利(現ロード種目日本代表コーチ)らとともに練習に励んでいた。

「半端ない練習量でした。夜遅くまで走って学校に帰り着くころには真っ暗。僕は弱かったので置いていかれることが多くて、みんな先に帰っていました」

 佐々木はそんな弱い自分に嫌気がさしていた。どうしたら強くなれるのだろうか――。そう思いながら、周囲から大きく遅れ、ひとりで海岸線を走っている時に、ふとひらめいた。

「あきらめるのを、あきらめよう」と。

「僕には"あきらめ癖"があって、あきらめるのが得意だったんですよ。でも逆に考えれば、あきらめるのをあきらめればいいんじゃないかと。きついなと思ってやめたくなった時に、やめたいと思うことをやめようと思えば、そのまま続けられると考えました。そう思ってから、きついことも耐えられるようになりました」

 本人の言う「認識のバグ」が、ここから加速していった。

「当時3回ほど気絶したことがあります。ローラーに乗って1時間キープ走をしていたんですが、残り数十秒になった時に、最後の追い込みをしたんですよ。そうしたらどんどん視界が狭くなっていって、それでもそのまま無視して続けようとしたら意識が飛んでしまって......」

 高負荷トレーニングによるブラックアウトだった。3度目の時には、転倒した拍子に隣に立てかけてあった先輩のフレームを壊してしまった。「それ以来、練習ではパワーマックスという台上トレーニングに変えました」と言って佐々木は笑った。

 限界を気にせず突き進む無謀な一面を持つ一方で、研究熱心なところもある。

「僕がデビューした当時は浅井さん(康太/三重・90期)が全盛期で、浅井さんの乗り方をすごく研究しました。レースのVTRはめちゃくちゃ見ましたし、(競輪開催中の)お風呂で、どの筋肉が発達しているのかを見て分析していました。あとはアップでローラーに乗る姿を見かけた時には、わざと向かいのローラーに乗ってどうペダルを回しているのかと、こそっと眺めたりしていました」

 さらに、わからないことは周囲の選手に積極的に聞いて回った。そうして試行錯誤しながら鍛錬を積む日々が何年も続いた。それができたのも、自分には才能がないと感じていたからだった。

「僕の周りにはつねに天才がいたんです。始めた頃は小橋さんがいて、同期だと太田竜馬(徳島・109期)がいて、愛媛では松本さん(貴治/愛媛・111期)がいました。彼らはゼロからイチを生み出すような人なんですが、僕にはできません。だからいろんな人の乗り方を研究して、イチを10にすることを目指しました」

 その結果、さまざまなタイプの自転車を乗りこなすことができるようになり、「(自転車を組み立てる)ビルダーさんから『何でも乗れるじゃないですか。天才ですね』って言われるようになりました。凡人なのに天才のふりしてます」とはにかんだ。

【みんなの夢のために】

 現在も離れて暮らす父親とは交流があり、競輪選手として活躍する息子を陰ながら応援しているという。佐々木はオールスター競輪のあと、父親と2時間ほど話す機会があった。

「親父が酔っぱらって電話をしてきて、『G�儀莨,鯀�る姿を見せてくれて、本当にありがとう』と言ってくれました。そう思ってくれたのはすごくうれしかったです。まだ道の途中ではありますが、そう言われた時に、自分がやってきたことの意味があったんだなと思いましたね」

 父親との会話によって、佐々木は志を新たにした。次に狙うのはさらなる高みだ。2018年にG�気暴藹仂譴靴榛粥耕擇蓮�2024年以降は年6回あるG�気砲垢戮峠仟海韻討い襦�10月9日(金)〜12日(月・祝)には、今年5回目のG�機崑�35回 �鄂凌堂η廖�世界選手権記念トーナメント」が新潟県の弥彦競輪場で開催されるが、そこにも出場が決まっている。

「デビュー当時からずっと言ってきたことですが、僕は走るからには頭しか狙わない。その気持ちが強すぎて動きが悪い方向に向かうことがあったんですが、オールスターで決勝に乗れて、気持ち的に余裕ができました」

 当然、10月のG�気任眩世Δ詫ゾ,澄�

「本当にG�気漏佑蠅燭い任垢掘▲哀薀鵐廛蠅眩�りたいですよね。それがプロになった当初からの目標なので、その夢は叶えたいと思っています。それに最初は僕だけの夢だったんですけど、それが後援会の方々も含めてみんなの夢になっているので、それがすごく大きなモチベーションになっています」

 育ってきた家庭環境は幸せとは言えないもので、両親を恨んでも仕方ない状況だったが、佐々木の表情からはいっさいそれが感じられず、「不幸だとは思っていない。あれがあったから今の自分があるとめちゃくちゃ思っている」と逆に感謝の念さえ口にする。

 艱難(かんなん)を乗り越え、周りのサポートに感謝し、常軌を逸するほどの努力をしてきた佐々木。この先きっと大輪の花を咲かせてくれるのではないだろうか。それができるだけの心を磨き上げてきたのだから。

【Profile】
佐々木豪(ささき・ごう)
1996年3月16日生まれ、愛媛県出身。幼い頃から競輪選手を目指し、高校から自転車競技を始める。日本競輪学校(現日本競輪選手養成所)には2度目の受験で合格。2016年にプロデビューすると、2年後の2018年にS級に昇級し、同年にG�欺藹仂譟�2024年より全G�気暴仂譴掘�2026年8月のG�汽�ールスター競輪で初の決勝進出を果たした。

text by Sportiva

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