「よくないことは指摘しないと、組織として強くなれない」 18歳の森下暢仁が語っていたリーダーの資質

0

2026年09月30日 07:01  webスポルティーバ

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

webスポルティーバ

写真

流しのブルペンキャッチャー回顧録
第16回 森下暢仁(広島)

『みんなのカープ県民大会議』というテレビ番組をご存じだろうか。ドラフト直前、「今年の広島カープはどのような選手を指名し、チームを強化すべきなのか」──。そんなテーマを掲げ、200人ほどのカープファンが、おなじみの真っ赤なユニフォーム姿でズラリと居並ぶ。

 スタジオには、大野豊、小早川毅彦、緒方孝市らレジェンドOBに加え、カープ愛あふれるタレントたちも控え、喧々囂々(けんけんごうごう)の議論を繰り広げる。私はその番組で、40人ほどのドラフト候補選手について説明する役を務めている。

 こんな「偏愛」に満ちた番組が、なんと公共放送のNHKで始まり、今年で9年目を迎える。カープのことだけを心配し、カープだけを応援する番組だから、NHK広島放送局の制作で、基本的には広島県内向けの放送だ(現在はNHK ONEでも視聴可能)。

 あまりにも偏った内容だからだろうか、スタート当初は深夜帯で放送されていた。ところが、これが当たった。高視聴率と県民からの大きな支持を得て、3年前からはゴールデンタイムに進出。途中に定時番組を挟みながら、堂々2時間半ほどの「生放送」である。今やすっかりNHK広島放送局の看板番組となった。ちなみに、今年の放送は10月9日午後7時30分スタートである。

 2019年10月16日に開催された第2回の放送当日、衝撃が走った。本番準備に大忙しだったスタジオが、一瞬にしてパニックになった。「カープ、明治大・森下暢仁を1位指名と公表」の一報が飛び込んできたからだ。そういう番組だから、「今年のカープはドラフト1位で誰を指名すべきか」を論じ合う時間は、番組のキモである。ところが、いきなり「森下1位」で決まってしまった。

 では、そのために用意していた30分ほどの"尺"をどうするのか。局内が蜂の巣をつついたような騒ぎになっているところへ到着した私は、「なんだ、簡単じゃないか」と思った。

「森下に決まったんだから、彼のことを話せばいいんですよ。僕がやりますよ」

 森下暢仁とは、どんな人間なのか。どんな投手なのか。その30分で私が話したのは、ほぼこんな内容だった。

【高校生離れした芯の強さ】

 初めて森下の取材をしたのは、彼が大分商3年の6月だった。すでに夏の大分大会の組み合わせも決まっていて、頭のなかに浮かぶのは、決していいイメージばかりではないはずの時期だ。それでも森下は、平然と言いきった。

「不安ですか? まったくないです。いろんな想像はありますけど、夏を前にした不安っていうのは、全然ないですね」

 こちらの目をとらえたまま、語尾までメリハリの利いた話しぶりだった。

「自分は、打たれたくないんで」

 このひと言には凄みがあった。相手が高校生であることを、一瞬忘れた。心の奥底に秘めた激しいマグマのようなものが、はっきり伝わってきた。

「性格はきついですよ、森下は。表面がやさしそうなんで、そういうヤツだと思われることが多いんですが、ほかの選手にもはっきり言いますし、芯の強さがあります」

 入学した頃はやんちゃだった森下を、とことん指導してきたのが渡邉正雄監督(当時/現・佐伯鶴城監督)だ。

「じつは、森下のブルペン、一度も見たことがないんですよ。なんでも自分で考えてできるヤツですから。投げない日は、バッティングも抜群なのでショートで試合に出たり、練習でも『どこにいるのかな?』と思うと、ショートでノックを受けていたり......。それでも不思議とケガをしないんですね」

 これに対して、森下が反応する。

「ちゃんと注意してやっていますから。『次の瞬間はこういうプレーになるな』『打球はこう跳ねるな』ってわかるから、そこはうまく体をかわすようにしています。ちょっと想像すればわかることですから」

 バッテリーを組む捕手にも、言うべきことは言う。でも、決して文句を言っているような口調ではない。むしろ、部下が上司を諭すような口ぶりだった。

「オレより、もっと内野手や外野手に声をかけてほしいんです。バックが見えているのって、キャッチャーだけじゃないですか。もっと人に厳しくてもいい。チームメイトでありながら、それぞれライバルでもあるんですから、よくないことはよくないって指摘しないと、組織として強くなれないじゃないですか」

【ものすごいスピンで空振りを取りたい】

 ブルペンに移動して、森下の球を受ける。足が長くてしなやかな両肩の線、首が長くて頭が小さい。スリムなユニフォーム姿のシルエットもいい。

 立ち投げで軽く投げたボールがもう強い。これが「できるヤツ」のバロメーターだ。ヨーヨーをこちらに向かって投げたような、糸を引く自然な伸び。パッシャーンとミットにめり込む。時計の文字盤でいえば、ほぼ12時の角度。真っすぐタテに振り下ろす腕の軌道が美しく、リリースの位置も高い。

「座るよ!」

 そう告げると、やさしげだった顔がキリッと締まった。右腕が柔らかくしなり、指先がパチッとボールを切る。

「外いっぱいを狙う時は、リリースで指先の位置をちょっと外側にずらすんです」

 すばらしいバックスピンだった。抜けた逆球でもスピンが生きている。ただ、また抜けた。今度は棒球になった。

「場外まで運ばれるなぁ、これじゃあ」

 森下はスパイクで足元をガッと蹴った。いい根性だ。

「さあ、こっちだ! 1球だけ持って来い!」

 白い糸が引かれた。ホームベースの角を切り、怒りを帯びたようなボールが外角低めに構えたミットへめり込んだ。

「自分の場合、ストレートの腕の振りで投げた変化球は、すべて緩急になって、結果的にバッターのタイミングを外すことになると思っています。フォームは膝の使い方がチェックポイントで、踏み込んだ左膝がつっぱるとボールは高く浮く。90度ぐらいの角度があると、上体が前に乗って低くいきます」

 自分から「実演」して見せてくれる選手は一流だ。

「ほしいのは、腕の太さです。筋肉量が増えれば、腕の振りの速さが変わると思うんです。もっとスピンがかけられる」

 最後の「スピン」の言葉に力が入った。この快腕の矜持なのだろう。

「空振りを取りたいんです。ものすごいスピンのかかったやつで!」

【チームのためなら嫌われ役にもなる】

 高校最後の夏は大分大会決勝で明豊に惜敗し、卒業後はプロには進まず、明治大へ進学した。1年春からリーグ戦に登板し、東京六大学では4年間で42試合、15勝12敗、防御率2.42。4年春には全日本大学野球選手権で明治大を38年ぶりの日本一へ導いた。大学日本代表にも2年時から3年連続で選ばれた。

 4年時には、3学年上の柳裕也(中日)に続いて「エース兼主将」を担った。

 リーグ戦前のオープン戦だったと思う。試合後、ベンチ前の円陣で善波達也監督(当時)が小言を並べた直後、森下がナインに怒号を飛ばした。

「おまえら、監督さんからあそこまで言われて、それでいいのか!」

 監督の意図を汲み取った主将が、あえて火の粉をかぶってチームを引き締めた。全日本大学野球選手権でもそうだった。苦戦していた試合の後半、ブルペンでの投球を止め、大急ぎでベンチへ戻ってきた。

「明治はこんな試合しかできんのか! バッター、なんとかならんのか!」

「御大」こと島岡吉郎監督の「なんとかせい!」が、よみがえったようだった。善波監督は、そんな森下をこう評していた。

「森下はほんとに変わりましたね。4年生で主将になってからは、エースでありながら厳しいリーダーでね。『自分は嫌われてもチームのためになるなら』って体を張って役目を果たしてくれました。ほんと、頭が下がります」

 そんな話を、私はスタジオで30分間しゃべり続けた。番組は大盛況のうちに終わった。

 森下暢仁とはどんな人物なのか──カープファンの疑問にも、少しは答えられたのではないか。そして翌日のドラフト会議。広島は宣言どおり、1位で森下を指名した。

 あれから7年。森下は今、広島でプロ7年目のシーズンを戦っている。今季は不調に苦しみ、プロ入り後初めて不振による二軍再調整も経験した。チームも低迷するなか、私は高校3年生だった森下の言葉を思い出す。

「よくないことはよくないって指摘してくれないと、組織として強くなれないじゃないですか」

 やさしそうな表情の奥に、激しいものを秘めていた「外柔内剛」の18歳。明治大では、自分が嫌われることを恐れず、チームのために声をあげる主将になった。「組織」を考え、「リーダーシップ」を発揮してきた若き硬骨漢が立ち上がるとすれば、それは「今」なんじゃなかろうか──。秋の夜長に、そんなことを思う。


森下暢仁(もりした・まさと)/1997年8月25日生まれ、大分県出身。大分商高では1年夏の甲子園に出場するも登板機会はなし。明治大では4年時に主将兼エースを務め、全日本大学野球選手権で38年ぶりの優勝に貢献。2019年ドラフト1位で広島に入団した。1年目の2020年に10勝3敗、防御率1.91をマークして新人王を獲得。翌2021年の東京五輪では侍ジャパンの一員として金メダル獲得に貢献した。2025年には自身初の開幕投手を務めた

安倍昌彦●文 text by Masahiko Abe

    ニュース設定