
熊本県八代市の球磨川河川敷に設置された臨時ヘリポートに到着された天皇陛下と雅子さま。川を挟んだ向こう側には、煙突倒壊で9人が犠牲になった日本製紙八代工場も。木村敬知事から説明を受けたお二人は、八代市の市街地、氷川町や宇城市の被災地の方角へ向かい深く黙礼された。
令和8年熊本地震の発生から2カ月がたった9月30日に、両陛下は被災地をお見舞いされた。
「もともとお見舞いは、前日の9月29日に実施される予定でした。しかし現地の天候不良のため、29日の朝、翌日への延期が決まったのです」(皇室担当記者)
お見舞いは一日で八代市、氷川町、宇城市を巡る“強行軍”。益城町にある熊本空港から八代市までは自衛隊のヘリコプターで移動することになっていたが、“悪天候でご移動が困難になる見込み”という判断が下ったのだ。
天候回復後の30日、熊本入りした天皇陛下と雅子さまはヘリでの移動中にも、木村知事からの被災地域の状況やおもな被災現場についての説明に耳を傾けられた。
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「上空から被災地を視察しながら、両陛下は沈痛な面持ちを浮かべられていたそうです」(前出・皇室担当記者)
今回のお見舞いについて、名古屋大学大学院教授の河西秀哉さんはこう話す。
「“国民と苦楽を共にする”という姿勢を体現されたご訪問だと感じました。被災者たちが椅子に座っているなかで、天皇皇后両陛下が腰をかがめて話されていたお姿が印象的でした。
被災者が疲れないようにというご配慮だと思いますが、一人一人に中腰で目線を合わせ続けることは大変ですし、なかなかできることではないと思います」
現地の被災者にさらに寄り添うため、天皇陛下はシャツの胸元、雅子さまはジャケットに人気キャラ「くまモン」のピンバッジを付けられていた。
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「木村知事が胸に付けていたバッジに両陛下がお気づきになり、知事が贈呈を提案すると、お二人とも『ぜひ』と受け取られたのだそうです」(前出・皇室担当記者)
震度7を記録した氷川町。町内にある約4000棟の住宅のうち、3割にあたる約1300棟が半壊以上の被害を受けたという。
マイクロバスで移動してきた両陛下は、町立小学校の体育館で、近くの仮設住宅で生活している22人と面会されている。
自宅が全壊した会社員の永田貴士さんは、妻や2人の息子といっしょにその場に臨んだ。永田さんは本誌の取材に次のように語る。
「両陛下からは『(地震発生の)その後、いかがですか』などとお声がけいただき、『仮設住宅の生活にも、徐々に慣れてきています』と、お答えしたのです。
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ほかには地震発生当日にはどこにいたのか、といったご質問もありましたので、当日のことや家の片づけについてもお話ししました。12歳の長男は、『学校の友達と会えてうれしい』といった話をしていましたが、『大変だったね、頑張ったね』と、励ましていただきました。
地震はショックでしたし、後ろ向きになってしまうこともけっこうありました。でも両陛下とお話ししたことで、前向きな気持ちになることができました。家族といっしょに一つずつ積み上げて、新しい生活を築いていきたいです」
実はこの体育館でのご懇談後にハプニングが。小学校の校門を出た両陛下が目をとめられたのは集まっていた子供たちの姿だった。両陛下はほほ笑みながら彼らのほうへ歩まれて……。
氷川町の藤本一臣町長によれば、
「小学校の児童たちがお見送りのために残っている姿をご覧になられ、優しくお言葉をかけていただいたのです。
予定にはなかったことで、両陛下のお優しさが伝わってきました。昨年の水害と今年の地震と、2年連続で被災した住民たちの落ち込んだ気持ちを和らげるとともに、これからも頑張ろうという気持ちを起こさせていただいたと感じています」
氷川町でのご滞在は、予定時間を超えていた。
「過密といえるスケジュールのなかでしたが、両陛下は時間ギリギリまで、被災地の児童たちを一人でも多く励ましたいとのお考えでいらしたのでしょう」(前出・皇室担当記者)
両陛下が熊本に蒔かれた“希望の種”は必ず芽吹くはずだ。
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