
10月1日から労働施策総合推進法の一部が改正され、全ての企業に対して「カスタマーハラスメント(カスハラ)対策」が義務化されます。具体的には、従業員が相談できる窓口や専門家の設置、従業員を毅然(きぜん)と守る企業側の体制づくりなどが求められます。
これまでは「現場の忍耐」や「個人のスキル」の問題とされていた状況が、改善されるきっかけになればと願ってやみません。
一方、カスハラはグレーゾーンが多いため、自分の行為が「カスハラと認識しにくい」という特性もあります。
弁護士ドットコム(東京都港区)が実施した調査では「カスハラの加害側になったことがある」と答えた割合は約1割で、そのうち7割超は「自身の言動がカスハラに当たる可能性があると認識していなかった」と回答しました。「カスハラの動機」については「正当な批判・論評だと思ったから」が最も多く、約6割を占めていました。
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●カスハラ周知動画が話題に 線引きが難しいケースも
そんな中、話題になっているのが、ANAやJALなどエアライン19社が加盟する業界団体が制作した「カスハラ対応周知動画」です。
「次のような行為はカスタマーハラスメントに該当する可能性があります」という言葉で、9つの項目に分類したカスハラ行為を紹介しています。その内容には「こんなひどいお客がいるのか?」と驚きつつも「これに近いことを、ひょっとしたら自分もやってしまうかも」と思わせるリアルさがあります。
例えば「暴言・大声、侮辱・差別、誹謗中傷」や「脅威を感じさせる言動」の項目にある「バカ」「あほ」「辞めた方がいい」「女のくせに」「男の上司を出せ」「死ね」「仕事をできなくさせてやる」などには、その乱暴さにあきれてしまいます。しかし「過剰な要求」に関する項目の「規定やルールを超えた特別対応を執拗(しつよう)に要求する行為」(補償・付添・アップグレードなど)は、どこからが「執拗」で、どこからが「執拗でない」のか。その線引きはケースによって異なり、曖昧(あいまい)で判断が難しいところです。
言うまでもなく、カスハラはあってはならない行為です。
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しかし、コミュニケーションという視点から考えると、客が投げた「ボール」を、相手(現場の従業員)がどう打ち返すか次第で、グレーゾーンを「カスハラ」にせず、スムーズな解決へ導くこともできるはずです。
●グレーゾーンのカスハラをどう受け止めるか
私自身、国際線の新人客室乗務員だった頃、機内でエコノミークラスの乗客から「アップグレード」を依頼され、ルール通りにお断りしたことがあります。それでも諦めない乗客に「申し訳ございません」と断り続けました。すると乗客はさらに逆上し、機内に響き渡る大声で罵声を浴びせたのです。「お前は謝ることしかできないのか! だからダメなんだよ! 最低だな!」と。
あまりの理不尽さに驚いた22歳の私はその場で号泣し、慌てて飛んできた先輩CAが引き継ぎました。すると、なんとその乗客はそのままエコノミーの座席で大人しく過ごし、機内を出るときには、満面の笑みを浮かべていたのです。
先輩はフライト後に「断ったのは正しい。でも、どんなことがあっても客の前で泣くな!」と一言。どう対処すべきだったかは教えてくれませんでした。
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以降、フライトの経験を重ねるうちに、過剰な要求をされても、うまく対応できるようになりました。
念の為に断っておきますが、カスハラは現場の対応次第、と言っているのではありません。グレーゾーンをカスハラにしないためには、顧客である「私」たちが気を付けるだけではなく、従業員が顧客の真意に少しだけ寄り添うためのスキルや知識を身に付けることも有効だと思うのです。
●カスハラに対する組織教育、札幌市の事例は
そこで参考になるのが、札幌市のケースです。同市では2023年7月に、全国の自治体で初めて「カスハラ対策」をスタートしました。当時、市が実施した調査で、窓口対応する職員の7割が、利用者の対応に「強いストレスを感じている」と回答し「軽いストレス」を含めると約9割に上りました。そこで「職員を守らねば」と、市役所内にカスハラの啓発ポスターを掲示し、啓発活動に踏み切りました。
さらに、電話対応が主要業務の「市民の声を聞く課」では「暴言などのカスハラ行為の予防」を目的とした通話の録音を、住民に告知し、試行的に実施。問い合わせなどの録音は企業では一般的ですが、カスハラの予防目的と宣言しての実施はかなり踏み込んだ対策でした。
札幌市は「啓発活動の効果はあった」とした上で、2024年からは広聴部門でも通話の録音を開始しました。加えて「世間話などで長時間の拘束に及んだと判断した場合、30分から1時間をめどに対応を打ち切る」「脅迫や強要などの行為があった場合に、ちゅうちょせずに警察など関係機関に連絡する」などと明記した「広聴部門におけるカスタマーハラスメント対策マニュアル」の運用をスタートしたのです。
同市が策定した「札幌市職員カスタマーハラスメント対策基本方針」では、具体的な項目として「職員への教育・研修」を明記しています。単に「毅然と断る」ことだけを教えるのではなく、正当なクレームとカスハラを正しく見分ける知識や、初期対応での対話スキル、現場で孤立しないための報告手順などを共有。さらに幹部層に向けた講演会なども開催し、組織全体での意識共有を図っています。
●カスハラ対策で今求められていること
こうした研修で特に重視されているのが「アサーティブ・コミュニケーション」(相手を尊重しつつ、自分の主張も適切に伝える手法)です。
初期の電話応対や接客時における不用意な一言で相手を過度に刺激し、カスハラを「誘発」させないための「初期消火」のスキルや、自社に非がある場合の真摯な謝罪方法などを、ロールプレイを交えて体得する――。グレーゾーンをカスハラ化させないための現場教育こそが、今まさに求められているのです。
識者の中には「(昨今の)カスハラは『従業員側の対応にも問題がある』とみなすレベルを超えている」と主張する声もあります。しかし、カスハラもまた「人と人の関わり合いの中で起こる摩擦」の1つです。
そこに「人」と「人」の関わりがある以上、コミュニケーションの問題と捉え、客の言動をエスカレートさせない視点も必要です。相手の視点に立ち、求めている情報を真摯かつ明確に提供する。目線や態度、言葉遣い一つでも、対話の質は大きく変わります。
職員と市民、従業員と消費者、サービスを提供する側と受ける側といった「対外的なコミュニケーション」だけでなく「職場のメンバー同士の良好なコミュニケーション」も大切です。孤立を防ぎ、現場を守るためにも、経営者やリーダーは今回の法改正を機に現場へ足を運び、その空気をとことん肌で感じ取ってほしいと思います。
●河合薫氏のプロフィール:
東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。千葉大学教育学部を卒業後、全日本空輸に入社。気象予報士としてテレビ朝日系「ニュースステーション」などに出演。その後、東京大学大学院医学系研究科に進学し、現在に至る。
研究テーマは「人の働き方は環境がつくる」。フィールドワークとして600人超のビジネスマンをインタビュー。著書に『他人をバカにしたがる男たち』(日経プレミアシリーズ)など。近著は『残念な職場 53の研究が明かすヤバい真実』(PHP新書)、『面倒くさい女たち』(中公新書ラクレ)、『他人の足を引っぱる男たち』(日経プレミアシリーズ)、『定年後からの孤独入門』(SB新書)、『コロナショックと昭和おじさん社会』(日経プレミアシリーズ)『THE HOPE 50歳はどこへ消えた? 半径3メートルの幸福論』(プレジデント社)、『40歳で何者にもなれなかったぼくらはどう生きるか - 中年以降のキャリア論 -』(ワニブックスPLUS新書)、『働かないニッポン』 (日経プレミアシリーズ) 、『伝えてスッキリ! 魔法の言葉』(きずな出版)など。
新刊『「老害」と呼ばれたくない私たち 大人が尊重されない時代のミドル社員の新しい働き方』(日経BP 日本経済新聞出版)発売中。
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