
10月8日、中日が工藤公康氏に監督就任を要請したことが、複数メディアで報じられた。これまで監督人事が取り沙汰されるたびに、決まって名前が挙がる工藤氏だが、地元・愛知に本拠地を置く中日再建のため、再びユニフォームを着ることになりそうだ。
工藤氏は現役時代、西武、ダイエー、巨人、横浜でプレーし、通算224勝をマーク。14度のリーグ優勝、11度の日本一を経験した。また2015年から2021年までの7年間、ソフトバンクの監督を務め、リーグ優勝3回、日本一5回を達成。2017年からは4年連続日本一という偉業を成し遂げた、まさに「優勝請負人」である。
このニュースを感慨深く受け止めている人物がいる。西武時代の恩師であり、球界の大御所として知られる広岡達朗氏だ。
【愛弟子・工藤公康への思い】
愛弟子の新たな挑戦について尋ねると、広岡氏はまず、監督として成功するための条件を語り始めた。
「ただ監督の首をすげ替えて、すぐれた頭脳の持ち主に置き換えればいいと思うのはド素人の発想だ。ひとりでああだこうだとやっても限界があるし、ひとりで何十人もの選手をコントロールできるわけがない。適切なスタッフ体制が整わなければ、どんなにすぐれた理念を持っていても、十分に発揮できない。
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まず、誰を連れていくかがポイントになる。やっぱり工藤の野球理論をきちんと理解している人間がふたりぐらいは必要だし、二軍監督ともうまく連携を取っていかなければ、チームの強化にはつながらない」
広岡氏にとって、工藤氏は特別な存在である。1981年、西武の監督に就任した年のドラフト会議で、社会人野球の熊谷組への入社が内定していた工藤氏を6位で指名した。
実は、その指名を根本陸夫管理部長に進言したのが広岡氏だったという。40年以上の歳月が流れた今も、指名に至る舞台裏を鮮明に覚えている。
「ドラフト会議の直前に、管理部長だった根本陸夫さんに『今年のなかで一番いいピッチャーは誰ですか』と尋ねたんだ。そうしたら『名電の工藤だ』と即答するもんだから、『どうして指名しないんですか』と聞いたら、『熊谷組に絶対行くから、指名しても来ない』と答えた。
そこで『来なくてもいいから、交渉権だけは獲ってくれませんか』と頼んで指名した。決して出来レースじゃない。西武は誠心誠意交渉できる球団だから、交渉権さえ獲っておけば、どうにかなると思ったから頼んだんだ。根本さんからしたら『しょうがねえな』って感じだったんだろうな」
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40年以上も前の出来事を、まるで昨日のことのように語る。その口調からも、工藤氏に対する特別な思いが伝わってきた。
【広岡達朗が認める工藤公康の探究心】
西武に入団した工藤氏は、高卒1年目から一軍で27試合に登板。翌1983年も23試合に登板し、徐々に経験を積んでいった。なぜ、広岡氏は若き左腕を一軍で育てようと考えたのか。
「工藤は要領がよくて頭がいいから、二軍に置いたら適当にこなして、真面目にやらないタイプだと思った。そんなことくらい、監督だったら見抜けないといけない。入団した時からカーブは十分に使えたし、フォームも直すところはなかった。だから一軍に置いて育てようと思ったんだ。球数はそんなに多く投げさせていない。長いイニングは使えなくても、1イニングだけなら十分に期待に応えてくれた」
才能を認めていたからこそ、安易に二軍で経験を積ませるのではなく、一軍の厳しい環境に身を置かせた。そこには、選手の性格まで見抜いた広岡氏なりの育成哲学があった。
そしてプロ3年目の1984年には、工藤氏に新たな試練を与えた。
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「工藤に『やっぱりハングリーでないと人間は本物になれないから、アメリカの1Aに行け』と言って、留学をさせた。向こうでハングリー精神を叩き込ませようと思ったんだ。それが本当に勉強になったらしい。帰国してから話を聞くと、『向こうのハングリーは日本と全然違って厳しいですね』と言っていた。本人もハングリー精神の必要性を肌で感じたんだろう。
それから工藤は複数の球団を渡り歩いて、いろんな経験をしている。たしか巨人在籍中だったと思うが、取材で会った時に『おまえの活躍は隔年じゃないか。もうちょっと真面目にやれ』と言ったら、『いや、毎年真面目にやってますよ』と飄々と返してきたことがあったな。引退後は大学院に行って、運動生理学から心理学まで、さまざまな分野を研究して野球に生かしている。たいしたもんだ」
工藤氏は現役引退後、筑波大学大学院に進学。ソフトバンクの監督在任中だった2020年には体育学の修士号を取得し、2022年には博士課程へ進んだ。
長い現役生活で培った経験に満足することなく、運動生理学やスポーツ医学など、科学的な知見を積極的に取り入れてきた。時代の変化に取り残されるどころか、積極的に新しい知識を吸収し、野球への理解を深め続けている。
広岡氏が常々説いてきた「人生は死ぬまで勉強」という教えを、工藤氏は誰に言われるでもなく実践しているのだ。
【「嫌われてなんぼ」広岡達朗の監督論】
ただし、どれほどすぐれた野球理論を持っていても、それだけで低迷するチームを再建できるほど、プロ野球の世界は甘くない。広岡氏は、監督として最も重要な資質について、こう語る。
「自分の考え方を組織全体に浸透させることは、本当に難しい。球団は監督を替えるだけで成果が出ると考えてはいけない。監督やコーチには、選手や組織を的確に把握し、コントロールする力が必要なんだ。選手に依存して『頼む』だけの監督は必要ない。選手から単に『いい監督』と言われることも、必ずしもいいことではない。勝つ監督というのは、選手に嫌われてなんぼよ」
広岡氏らしい、厳格な指導者論である。そして、過去の名将たちの例を挙げながら、工藤氏の前途が決して平坦ではないことを強調した。
「古くは三原脩の近鉄、古葉竹識の大洋、森祇晶の横浜と、前の球団で何度も優勝し、日本一にもなった名将が、次の球団に請われて行っても、思うように勝てずに辞めていくケースがあった。工藤だってソフトバンクで何度も優勝しているけれど、王貞治の後ろ盾があって、潤沢な資金と恵まれた環境が整っていたという部分も考慮しなければならない。中日はソフトバンクほど資金力があるわけじゃないし、長く低迷しているチームだ。そこからどう立て直していくのか、見ものだな。あえて火中の栗を拾いにいく、その男気は大いに称賛するよ」
"広岡イズム"を受け継ぐ正統な継承者のひとりとも言える工藤氏。はたして中日を再び優勝争いのできるチームへと押し上げ、球史に名を刻む名将たちと肩を並べることができるのか。
最後に、愛弟子への期待を尋ねると、広岡氏は真顔でこう言った。
「あいつが結果を出すまでは、まだまだ死ねんな」
松永多佳倫●文 text by Takarin Matsunaga
