ほくでんが支える北海道のママさんバレー、地域に広がる競技の輪

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2026年10月14日 17:01  マイナビニュース

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画像提供:マイナビニュース
北海道電力(以下、ほくでん)が協賛する北海道ママさんバレーボール大会「第39回ほくでんカップ」が9月13日、北海道立真駒内公園屋内競技場で開催された。今夏に北海道内21連盟で行われた予選には、約84チーム、約950人が参加。各地区を勝ち上がった24チームが6チームずつに分かれ、A〜Dの各ブロックで優勝を目指し、しのぎを削った。


Cブロック決勝戦は、室蘭代表の「洞爺湖」と北見代表の「南ひまわり」の対戦となった。第1セットを「南ひまわり」が21−6と大差で奪ったものの、第2セットは「洞爺湖」が21−19で競り勝ち、勝敗は最終の第3セットに持ち込まれた。20−12で迎えた「洞爺湖」のマッチポイント。レフトからのアタックが、「南ひまわり」のコートに突き刺さった。


「洞爺湖」は出場3回目、約10年ぶりとなる北海道大会で初優勝を果たした。黒と橙色のユニフォームに身を包んだ「洞爺湖」のメンバーは、コートとベンチで一斉に両拳をアリーナの天井へ突き上げ、「やったー!」と叫んだ。


大逆転で優勝をつかんだ「洞爺湖」主将の道林智美さんは、「もともと試合の入りがよくないチームですが、決勝はそれがさらに悪い感じに出てしまって、あっという間に第1セットが終わってしまいました。第2セットに入る時に、第1セットのことは忘れて、『ここからスタート』という気持ちに切り替えました。やっぱりバレーボールは楽しいですね」と、優しい笑みを浮かべた。


○北海道に根付くママさんバレー、その歩み



ママさんバレーは、1964年の東京オリンピックで、“東洋の魔女”と呼ばれたバレーボール女子日本代表が当時のソビエト連邦を破り、金メダルを獲得したころから人気に火がついた。その熱は全国へと広がり、各地でママさんチームが誕生。北海道でも1965年には、小学校のPTA活動としてバレーボールチームの運営が始まったという。



当時は高度経済成長期の真っただ中。掃除や洗濯、料理、子育てなど、家事のほぼすべてを担っていた“ママさん”にとって、ボール1つで楽しめるバレーボールは格好の息抜きだった。


1960年代終盤に大ヒットした漫画『アタックNo.1』『サインはV』の影響もあり、主婦のバレーボール熱はさらに高まった。1970年には、第1回全道ママさんバレーボール大会が開催され、同年には第1回全国家庭婦人バレーボール大会も行われた。1973年には「ママさんバレーはママさんの手で」のスローガンを掲げ、北海道家庭婦人バレーボール連絡協議会が発足。6年後には、念願であったママさんによる完全自主運営を果たした。


こうしたママさんバレーの歩みについて、北海道ママさんバレーボール連盟の島崎真知子会長は、「大会が始まったころ、ママさんはプレーに専念するだけでした。しかし、私たちの先輩たちは非常に自立心が強く、『何でも自分たちでやろう』と、審判から大会運営まで、すべてママさんが担う形に変えていきました」と振り返る。



「ほくでんカップ」は、全道21の地区連盟から審判員が派遣され、審判技術の向上を図る場にもなっているという。島崎会長は、「選手の競技力を高めるとともに、ママさんバレーボール連盟の組織固めにも大きく寄与していただいています。新型コロナウイルスの感染拡大によって2回ほど大会を休止した後は、参加チーム数も少し減りましたが、今年は少し戻ってきたと感じます。これも『ほくでんカップ』のおかげです」と話す。



自身も現役選手である島崎会長は、ママさんバレーの今後について、「親子3世代がコートの中で一緒に楽しめるような、生涯スポーツとしてのママさんバレーボールを、ほくでんさんには今後も50年、100年と長くサポートしていただきたいですね」と期待を寄せた。

○ほくでんカップが支えるママさんバレーの輪



1988年には第1回「ほくでんカップ」が行われた。会場となったのは、1972年の札幌オリンピックでアイスホッケーとフィギュアスケートが行われた“聖地”、真駒内セキスイハイムアイスアリーナ(大会開始当時は北海道立真駒内公園屋内競技場)だ。島崎会長は、「ほくでんカップは全道のママさんにとって思いがけないプレゼントのようにうれしく、役員も大会を完全自主運営で果たすべく、意気込んでいました」と当時を振り返る。



厳しい地区予選を勝ち抜いた24チームが集まり、4つのブロックで優勝を争う。各ブロックで1チームずつ、計4チームが優勝する大会として、道内のママさんバレーボーラーの間で定着してきた。より多くの選手がこの舞台に立てるよう、全道大会への出場を隔年とするユニークな決まりも設けられている。



本大会を協賛しているほくでん 広報部 部長の木林尚稔さんは、開会式で「日々の仕事や家事、育児と両立しながら練習を重ねてきた選手の皆さまに敬意を表すとともに、これまでの練習の成果を十分に発揮され、皆さまにとって心に残る素晴らしい大会になることを願っております」とエールを送った。


そして今年、ほくでんは大会との関わりをさらに深めた。


ほくでん 広報部コミュニケーション戦略グループリーダーの塚田篤志さんによると、昨年までは札幌予選と全道大会のみを観戦していたが、今年は旭川や室蘭、後志(しりべし)支部の地区予選や会議にも参加。連盟とともに大会をつくり上げるため、これまで以上に地域との関わりを深めてきたという。



塚田さんは、「当社はスポーツを通じた地域の元気づくりを大切にしています。今後も協賛を通じて本大会がママさんバレーボールの振興や、選手同士の交流を支える場として発展していくことを応援していきたいと思っています」と説明する。



試合の合間に、ほくでんのコーポレートキャラクター「エネモ」の登場が館内放送で案内されると、選手や応援に訪れた家族が次々と記念撮影を楽しんだ。


ほくでんでは、バレーボールだけでなく、幅広い活動を展開している。塚田さんは、「ほくでんカップをきっかけに、当社のことをより知ってもらい、ほくでんのファンになっていただけたらうれしいです」と語る。


こうしたほくでんの支援も受けながら、ママさんバレーは、幅広い世代の女性が競技を続けられる生涯スポーツとして道内に根付いている。



ママさんバレーの輪は、次の世代にも広がっている。北海道江別市出身で、日本代表のリベロを務める山本智大選手(大阪ブルテオン)は、母親が所属するママさんチームの練習を見学し、試合を観戦したことをきっかけに、バレーボールを始めたという。



また、選手が競技を続けるうえでは、家族の支えも欠かせない。洞爺湖の安藤小百合さんは、この日は朝5時半に自宅を出発。スタンドで観戦する夫に3歳と1歳の子どもを任せ、試合に集中した。



「夫もバレーボール経験者なので、練習を手伝ってくれることもあり、本当に助かっています。今日はみんなでけがなく楽しくプレーできたので、おいしいお酒が飲めます!」と、安藤さんは祝杯を思い描き、うれしそうに笑った。(中島洋尚)

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