【箱根駅伝 名ランナー列伝】大迫傑(早稲田大) 駅伝3冠を達成した男が「世界」を目指して選んだ道

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2026年10月15日 06:51  webスポルティーバ

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箱根路を沸かせた韋駄天たちの足跡
連載24:大迫傑(早稲田大/2011〜2014年)

いまや正月の風物詩とも言える国民的行事となった東京箱根間往復大学駅伝競走(通称・箱根駅伝)。往路107.5km、復路109.6kmの総距離217.1kmを各校10人のランナーがつなぐタスキリレーは、走者の数だけさまざまなドラマを生み出す。

すでに100回を超える歴史のなか、時代を超えて生き続けるランナーたちに焦点を当てる本連載。第24回は、世界を見据える姿勢を貫いた早稲田大の大迫傑を紹介する。

連載・箱根駅伝名ランナー列伝リスト

【衝撃のルーキーイヤーは駅伝三冠にも大きく貢献】

「箱根から世界へ」という言葉を圧倒的な情熱で"体現"した選手がいる。名門・早大に悲願だった駅伝3冠を引き寄せ、世界のトップランナーへと駆け上がった大迫傑だ。

 東京都出身の大迫は長野・佐久長聖高に進学。全国高校駅伝では2年時にアンカーとして初優勝のゴールに飛び込み、3年時は1区で区間賞を獲得した。

 早大進学後も快進撃は続く。1年時(2010年)は世界ジュニア選手権10000mで8位入賞。出雲駅伝は2区3位で14年ぶりの優勝に貢献すると、全日本大学駅伝では2区で7人抜きの快走を見せた。11月の上尾シティハーフマラソンではジュニア(U20)日本記録(当時)となる1時間01分47秒で優勝している。

 そして迎えた2011年の箱根駅伝。1区に起用されたスーパールーキーが衝撃の走りを披露する。

 スタートから1kmを2分53秒で通過すると、反応したのは佐久長聖高の先輩でもある日大・堂本尚寛だけだった。5kmを14分33秒、10kmを29分02秒で突っ走る。11.4km付近で堂本を振りきると、独走態勢を築いた。

「スタートから自分の感覚で押していくつもりでした。序盤から抜け出すかたちになりましたが、後ろは気にせず、5km14分30秒ペースでいきました」

 終盤はペースを落としたものの、1時間02分22秒で区間賞。3位以下に1分53秒以上の大差をつけた。このアドバンテージを生かした早大は18年ぶりの総合優勝を飾り、史上3校目の駅伝3冠を達成した。

 2年時はユニバーシアード(現ワールドユニバーシティゲームズ)の10000mで金メダルを獲得。箱根駅伝で再び1区に起用されると、前年以上の積極策に出る。10kmを28分31秒で通過すると、11.7km付近で日体大・服部翔大を引き離した。1時間02分03秒で2年連続の区間賞。だが、本人に満足感はなかった。

「後半は思うようにカラダが動かずに、伸びが少し足りなかった。それが反省点。1分台では行きたかったので、タイム的には課題が残ります」

 チームも5区で東洋大・柏原竜二に突き放され、総合4位。大迫にとって悔しい箱根駅伝となった。

【常識を覆した4年時のアプローチ】

 ロンドン五輪イヤー(2012年)の3年時は5月に10000mで27分台に突入。6月の日本選手権10000mでは2位に入った。箱根駅伝は当日変更で3区に登場。12位でタスキを受け取る苦しい展開だったが、強い向かい風のなかを猛然と追い上げた。9人抜きでチームを3位に押し上げる。

「前を追って、順位をしっかりと押し上げることができました。区間賞がとれなかったのは悔しいですけど、最低限の走りはできたかなと思います」

 渡辺康幸監督は、大迫を1区と3区のどちらに起用するか悩んでいたというが、大迫本人は3区を志願していた。

「3区のほうが勢いに乗りやすいですし、追いかけるほうが自分を生かせると思ったんです」

 自分の能力を発揮するために、どう戦うべきか。その答えを大迫は明確に持っていた。

 4年時は米国・カーディナル招待10000mで27分38秒31をマーク。当時の日本人学生最高記録を樹立した。そして大迫は箱根駅伝に向けた常識を覆す行動に出る。

 11月下旬、さらなるレベルアップを目指して渡米。ロンドン五輪長距離2冠のモハメド・ファラー(英国)やゲーレン・ラップ(米国)らが所属していたチームで約4週間のトレーニングを積んだのだ。

 箱根駅伝直前の重要な時期に、チームを離れる。しかも大迫は主将だった。

 渡辺監督は当時、複雑な胸中を明かしている。

「箱根前の大切な時期に、という人もいて、賛否両論あったと思います。トラックで目標をクリアしましたし、僕は『駅伝でも爆走しろ』とは言えなかったですよ。大迫には強くなりたいという欲があったんです」

 自身も世界を目指した渡辺監督は、教え子の覚悟を理解していた。

「本気で世界と戦うためには突き抜けないといけません。僕も自分のなかでは突き抜けたと思っていたんですけど、僕以上に突き抜ける選手は初めてでした」

 最後の箱根駅伝では、1区5位。12月中旬に右アキレス腱を痛めた影響もあり、3度目の区間賞には届かなかった。

「区間賞は取りたかったですけど、自分が持っている力というか、現状で頑張れるだけ頑張ったので、悔いはないですね」

 それでも2区の高田康暉が区間賞を獲得するなど、チームは前年を上回る走りを見せ、総合4位。大迫は後輩たちの奮闘を喜んだ。

「チームのことを考えて走ったので、大きな財産になると思います」

 渡辺監督は主将としての役割と世界への挑戦を両立させる難しさを認めつつ、こう語っていた。

「彼は言ったことを必ずやる男ですし、日本の陸上界を考えた時に、大きく変えてくれる存在になるんじゃないかなと思っていましたね」

 その期待に応えるように、大迫は進化を続けた。

 大学卒業後は米国を拠点に活動し、2015年には5000mで13分08秒40の日本記録を樹立。翌年は日本選手権で5000mと10000mの2冠を達成し、リオ五輪に両種目で出場した。

 マラソン転向後も日本記録を2度更新し、東京五輪では6位入賞。一度は現役引退を表明したが、再び走り始めた。そして2025年12月のバレンシアマラソン。34歳の大迫は2時間04分55秒という、自身3度目の日本記録を打ち立てた。

 箱根駅伝で見せた常識にとらわれない攻めの姿勢。そして誰よりも強くなりたいという欲求。大学時代から変わらない信念が、大迫を世界へと押し上げた。そして、今なお自らの限界に挑み続けている。

●Profile
大迫傑(おおさこ・すぐる)/1991年5月23日生まれ、東京都出身。佐久長聖高(長野)―早稲田大―日清食品グループ―ナイキ・オレゴン・プロジェクト―ナイキ―東京陸協―リーニン。箱根駅伝には4年連続出場し、1年時から1区で区間賞を獲得し、史上3校目の学生駅伝3冠に貢献。2年時も2年連続1区区間賞を獲得するなど、学生界不動の長距離ランナーとして地位を確立した。早くから世界を視野に入れた競技スタイルを貫き、大学卒業2年目からプロランナーとして走り続けている。これまでトラック種目とマラソンでオリンピック出場を果たし、34歳の時には自身3度目のマラソン日本記録を更新した。

【箱根駅伝成績】
2011年(1年)1区1位・1時間02分22秒
2012年(2年)1区1位・1時間02分03秒
2013年(3年)3区2位・1時間04分44秒
2014年(4年)1区5位・1時間02分14秒

酒井政人●取材・文 text by Masato Sakai

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