野球界の二人のレジェンド、イチロー(51)と松井秀喜(50)が10年ぶりに再会し、スペシャル対談が実現した。イチローは2001年にポスティングシステムでオリックスからシアトル・マリナーズへ渡り日米通算4367安打をマーク。松井は2003年に巨人からFA権を行使してニューヨーク・ヤンキースに入団、日米通算507本塁打でチームを世界一に導き、ワールドシリーズではMVPに輝いている。ともに輝かしい実績を残している二人だが、名門・ヤンキースでは、ある葛藤があったという。(第4回/全6回)
【写真を見る】松井秀喜「揺れている自分がずっと...」名門・ヤンキースでの葛藤、イチロー「あの中で自由にはできないよね」
「ヤンキースを一番最初に考えよう」MLBへの憧れ松井秀喜:1999年に、その年(読売)ジャイアンツが優勝できなくて、日本シリーズがなかったんで。ちょうどその頃ヤンキース黄金時代だったんですよ、90年代後半に。ちょうどヤンキースがレッドソックスとリーグチャンピオンシップをやってるって、ニューヨークで。「それ見たい」と思って。シーズンが終わってすぐ、ニューヨークに見に行ったんですよ。
イチロー:あっ!そんなことあったね。
松井:そうなんです。まずヤンキースとボストン(レッドソックス)のプレーオフって、もうそれだけでもうね、あれですよね。それでその試合を見て、ヤンキースタジアムの雰囲気、当時の古い方のね。やっぱり、ピンストライプがかっこよくて。
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イチロー:うんうん。
松井:それ見たときに、もし自分がね、それから3年後ですね、3年後にフリーエージェントになったときに、メジャーに行きたいっていう気持ちがまだあったら、まずヤンキースを一番最初に考えようって。
イチロー:へえーー。
松井:自分は、それだけだったんですよね。自分にとって一番大きかったのも、それ以外に、2001年にイチローさんが(メジャーに)行ったでしょ。毎日、シアトル(マリナーズ)の試合っていうのが、ちょうど日本の午前11時ぐらいから始まるんですかね。当時、ナイター(の試合)で起きて、テレビつけるとイチローさんの試合やってるんですよ。
イチロー:うんうん。
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松井:グラウンド行くまで、シアトル戦をね、いつも見てて、イチローさんのイメージは何となく残ってる。イチローさんが、どういうふうな打席をするのかなっていうのを見てて、メジャーのピッチャー、こういうのがイチローさんを詰まらせることあるんだなとか。でも、なんか段々やっぱり合わせていって、気がついたら3割5分ぐらい打ってるっていうね・・・っていうのを感じたときに、画面で見てるイチローさんを自分自身にスイッチして考えて、それを何となくイメージしていった部分ってのは、正直あるんですよね。
イチローが見た、松井秀喜と名門ヤンキースイチロー:僕としてはおそらく当時から、(松井の)品の良さを感じてたんだと思うよ。だけど、みんなはやっぱ“ゴジラ”。大きいし実際、ゴジラのニックネームもあるし、やっぱホームランガンガン打つイメージだし、その人があんまり品がよくあって欲しくないなっていうね。
松井:ウフフフ(笑)。
イチロー:だからフェンスの方が壊れるイメージでいてほしいという。そんな選手は、なかなかいないからさ。それがやっぱ特別な、もう限られた人間にしかできないことだって思ってたから。だから(当時は)ちょっと品の良さを、からかったところもあると思います。
松井:残念ながら自分はね、30本止まりでしたけど(※2004年、MLBシーズン自己最多本塁打31本)、ヤンキースっていうチームの中での自分の立ち位置っていうことを、どうしても考えちゃったんですよね。それがまあ、結果的に良かったのか悪かったのか、今でもわからないですけど。
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イチロー:うんうん。
松井:ホームランへの意識っていうのが、投手のタイプや試合の展開や、周りの打線との兼ね合いとかによって、それを意識するときとしないときっていうのは、自分の中でやっぱり変えちゃったんですよ。(読売)ジャイアンツにいたときは、あんまりそういうこと考えずに、基本的に全て同じアプローチだったんですけど。ヤンキース行ったときに・・・。
イチロー:いや、確かにあのチームの中ではそれを求められてね、それは考えちゃうよね。
松井:そうなんですよね。だからA.ロドリゲスがいて、J.ジアンビーがいて、B.ウィリアムスもいて、もちろん1、2番にD.ジーターとかね。この中で自分は、どこまでそれ(ホームラン)を追い求めるべきなのか。またそれをチームは望んでるのかっていう、その狭間でいつも、ちょっとね。
イチロー:なるほどね。
松井:揺れてる自分っていうのがずっといましたよね、やっぱりね。だからその辺が多分、イチローさんからしたらちょっと物足りない「松井秀喜」に映ったんじゃないかなって。
イチロー:そうか。だから、僕はマリナーズっていうチームで、自由に1番としてやらせてもらってたけど、そういう環境にないってことだ、やっぱりヤンキースだからね。「松井秀喜」が他のチームだったら、それがもう自由にね、できた可能性もあるわけで。だからやっぱり環境によって、いるチームとか、そういうなんか宿命を常に背負ってきた人だよね。
松井:自分でそうしちゃったのかもしんないですけどね。自分で何か「こういなくちゃいけない」、「こういう自分でいなくちゃいけない」っていう、いい意味でも悪い意味でも、ちょっと考えすぎちゃった部分っていうね。
イチロー:だからいろいろ染みついてるよね体に、「私」(松井の一人称)含めて。
松井:フフフフ(笑)。
イチロー:その一つだよね、性格染みついてるよね、それ。
松井:まずその自分自身を選手として高める、それはもう当たり前で、大前提として当たり前なんですけど。結局、チームの中での自分自身っていうね。
イチロー:でもそれ聞くと納得だけどね。いや、それはあの中で自由にはできないよなってね。
松井:結局なんだかんだいって、ジーターのチームなんですよあそこはね、当時は。彼がやっぱりそういうタイプの選手じゃないっていうところがやっぱり、自分の中でもね、あったかなっていう、じゃあ自分は、この中でどういうふうにやるかっていう、自然に考えちゃったんですよね、やっぱりね。
規律と伝統を重んじる、メジャー屈指の名門ヤンキースイチロー:どこの球場が一番好きだったか。シアトル以外で、遠征先の球場でどこが一番好きだったかって聞かれると、必ず「古いヤンキースタジアム」(※1923年〜2008年)って答えるんですよ。
松井:ダントツです、自分の中でも。
イチロー:そうだよね。あれはもう痺れるよね〜。僕がライトにいるとボロカス言われるわけだけど。
松井:ハハハハハ(笑)
イチロー:他のイースト(東地区)のチームは、あんまりガラ良くないじゃない。ボルチモアとか。それとまた全然違うんだよね、ヤンキースのファンって。一歩球場を出ると、例えばレストランで会ったら「サインください」って。あ、何か、野球好きなんだなっていう。
松井:そうなんですよ、そうなんですよ。
イチロー:あれを楽しんでるっていうのがすごい伝わってきて、僕は大好きだったんだよね。昔のさ、古いヤンキースタジアムの時(※2009年から現在のスタジアムに移行)ってさ、クラブハウスの雰囲気どうだった?音楽流れてた?
松井:流れてないっす。
イチロー:そうだよね。僕ヤンキースに行って(※2012年7月にマリナーズからトレードで移籍)、それが一番衝撃で。僕は新しい方だけど、何も音がしない。ちょっと緊張感あるじゃない。常に。
松井:(笑)
イチロー:ある時間から、メディアの人が入ってきたりするんだけど、もうそれぞれが、やることやってるっていう雰囲気じゃない。いや、あのクラブハウスは僕一番気持ち良かったんだよ、今までで。大好きだった。だからあのニューヨークの、ジーター(※2014年に引退)のいるヤンキースをギリギリ体験できたことは、すごい財産になったんだよね。今、もう違うでしょ?
松井:違います。
イチロー:聞いたら、もう音楽ガンガンかかってて。
松井:でも、やっぱクラブハウスの雰囲気が変わったと。「お前がいたときとは違う」って言ってました。
イチロー:そういうのってさ、ヤンキースは持ってて欲しいじゃない。伝統として。ヤンキースのクラブハウスはこうだ!髭がどうとか、そんな身だしなみじゃなくて。クラブハウスの雰囲気。ロッカーの雰囲気がさあ、やっぱ特別なんだよね、あれ。他のチームではありえないこと。だけどジーターがいなくなっちゃったら、もうやめちゃうっていうのはあまりにも勿体ないなと思ってね。
松井:そうですね。その文化をなぜ壊したかなと思いますよね。
イチロー:あのチーム(ヤンキース)に行って確かに、あ、これは自分勝手にできないチームだなと思った。自分の役割を、小さくてもいいから重ねていく。重ねていかないと、ここでは生きていけないというのもすぐわかったし、だから今の話とやっぱり繋がるんだよね。
松井:(頷く)
イチロー:チームが勝つことで、すごい喜びを感じたのよ。久しぶりだったなって。あの経験なかったら、その感触を得ずに終わってた可能性あるんで。マイアミに行ったときは、また全然違うチームだから。だからシアトル・マリナーズ(2001〜2012)でニューヨーク・ヤンキース(2012〜2014)、マイアミ・マーリンズ(2015〜2017)で最後シアトル(2018〜2019)に戻るわけだけど。この流れは、そういう意味ではすごく良かった。大変だったけど、ニューヨークに突然行って。
松井:そうですね。
イチロー:で、マイアミ。全然全く知らない場所で、それなりに大変だったけど、終わってみると、いい体験だったなって。
松井:いい体験だと思う。体験というか、いい旅ですよね。
イチロー:ヤンキース(2003〜2009)にいた松井秀喜が、アナハイム(ロサンゼルス・エンゼルス、2010)。で、オークランド(アスレチックス、2011)、レイズ(2012)。
松井:最後はレイズ、タンパベイですね。
イチロー:それって結構、ギャップがあるじゃない。
松井:ありますね。
イチロー:反対のパターンだから。何を感じた?
松井:やっぱり自分が、それまで(読売)ジャイアンツ、ヤンキースで、ずっと来ましたよね。やっぱり全く違う雰囲気。それこそクラブハウス。
イチロー:ちょっとズコッてならない?
松井:ハハハハハ、そうですね(笑)なります。チームを批判してるわけじゃなくて。もうチームの雰囲気というか、文化というか。
イチロー:そうだよね、そうだよね(笑)
松井:言い方悪くすれば“ゆるい”っていうかね。逆にこれ「こんなのでいいのかな」みたいな感じがあるんですけど、でも自分が何かそれをね、「こうじゃないだろう」って言う立場でもないしね、言えることでもないですから。自分は逆にこれに慣れなくちゃいけないんだっていう気持ちでやってました。
イチロー:そっちの方が多分大変だよね。
松井:そうなんですよ。ゆるい方に慣れさせる自分っていうのをね。結構違和感ありましたよね。当たり前だったことが、それはもう必要ないんだっていう、ちょっとズッコケ感みたいなのはありますよね。