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150年以上続く京都の老舗・生麩店「麩嘉(ふうか)」が明治時代からつくる生麩饅頭の艶やかにぬれた笹を開くと、たっぷりと水分を保ったみずみずしい生麩饅頭があらわれました。口にすると、ほんのり笹の香り。青海苔風味の生麩と、なめらかなこし餡が混ざり、するすると喉を通っていきます。
麩嘉の生麩饅頭は、京都市左京区の集落「花背(花脊)」で取られた天然笹で包まれています。花背の笹は、約60年周期でおこる自然現象「笹枯れ」で2004年に枯れてしまいました。さらに出てきた大切な新芽を、今度は鹿が食べてしまい再生が難しくなってしまいます。過疎化により笹を採取・加工する担い手不足という問題も追い打ちをかけ、祇園祭のちまきや麩饅頭を包む笹がこのままでは途絶えてしまう状況に。自治体や大学などが再生プロジェクトを立ち上げて努力を重ね、現在は出荷ができるようになってきています。
そんな花背の現状に目を向けた麩嘉の7代目・小堀周一郎さんは、花背の笹を麩饅頭につかうだけでなく、香りを抽出した蒸留酒・スピリッツを開発。京都の特産物を育てる「花背農園」もスタートさせました。小堀さんに取り組みについて聞きました。
京の老舗・生麩店が「花背農園」をスタート
――生麩屋さんでありながら、なぜスピリッツをつくられたのですか?
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花背の笹復活プロジェクトが始まったときに、復活させたら笹を買ってほしいと言われてた。復活させたけれど、最盛期に比べたら量も少なくて、昔僕らが買っていた値段の3倍近い金額だったんです。
でも「買いますよ」と。ただお饅頭を巻くのに使えないようなちっさい笹なども安く売ってもらって、その笹でお酒をつくって販売しようと。捨てるような笹もお金になれば取り手にもメリットがあるし、ブランディングに寄与できるのではないかと考えました。
――笹がお酒につかえると思いつかれていたのですね。
笹は乾燥させると、すごく香りがする植物なので、香りがするものってなんでも油分があるんですよ。油分があるってことは香りが取れるということなので、僕はスピリッツがつくれるなって確信があった。
花背の別所というところは霧が深くて、湿度が高いのと寒暖差がある。そこで育つ花とか植物っていうのが昔から重宝されていた。黒文字(クロモジ・クスノキ科の落葉低木、爪楊枝に加工する)も有名で香りもすごく良いから、黒文字もお酒にしようと。香りを楽しんでもらうためのお酒です。
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――小堀さんがお酒をつくられるのですか?
いや、東京の蒸留酒のエキスパートに頼んでつくってもらった。酒販免許も取ったんですけど、仕入れ値が高いので酒屋に卸せる金額ではなくて麩嘉錦店だけで売っています。
――花背に農園も作られたとか。
はい、柚子と山椒をつくり始めました。鞍馬には木の芽屋さんがいっぱいあるんですよ。鞍馬は山椒の一大産地やったんですね、山椒って言ったら鞍馬っていうくらい。でも今は京都産だけでは賄えていない。山椒を作るのにいい気候なのに、なんで自分らで育てるっていう発想にならへんのやろって。
だから花背で花背の地の山椒を育てています。すごい香りがよくてびっくりしますよ。いい山椒が取れてるっていうことで、使っていただけるようになったら花背の山椒が復活できるかなと思っています。
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自然豊かな京の里山「過疎化が少しでも防げたらいい」
――どんな展開になるのか楽しみです。柚子も育てることにしたのはなぜですか?
柚子も、京都産の水尾(京都市右京区)の柚子はレベルが違う。でも過疎化と高齢化が進んでいます。若い人が住むには魅力がないんですかね。水尾の柚子が手に入らんようになったら、京都の人たちどうすんの?みたいな。
だから種を取って、100ポットくらい育てています。もう3メーターいきましたね。収穫するにはまだあと3、4年はかかるんですけど、水尾の柚子のDNAが残せればと。
――「生まれ育った京都に貢献したい」とおっしゃっていました。
里にお金が落ちて、過疎化が多少でも防げたらいいなと思うんですけど。その土地の魅力とか価値っていうのは、地域の人たちはわからづらいですよね。
麩には全然関係ないことで、訳の分からん労力使ってる(笑)。
蒸留酒は、ふきのとうなどの季節を感じてもらうお酒も開発し、これから毎年やっていくつもりです。日本人なんやから、季節感の大事さを表現するのは僕らの責任でやらないといけないと思うんですよね。機会があったらぜひお試しいただいて、たしかにええなって思ってもらえたらと思います。
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子どもの頃からクリエイティブでありたいと思ってきたという小堀さん。10年と決めて出店したニューヨークのお店を大成功のうちに惜しまれながらも閉じた経験を経て、今度は日本国内に目を向けています。「ニューヨークのお店は自分の中でもチャレンジやったんですけど、成功して終われた。今は考えたことを形にできる」と、ものづくりを楽しんでいます。
(まいどなニュース/Lmaga.jpニュース特約・太田 浩子)