イチロー 背番号の重圧と覚悟 “51”譲ったランディ・ジョンソン氏「誰にもできない、彼自身の才能」と功績称える【独占取材】

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2025年03月08日 21:30  TBS NEWS DIG

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日本人初となる米国野球殿堂入りを果たしたイチロー(51、マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)に密着取材。2001年のメジャーデビューから数々の大記録を打ち立てたイチローの功績を振り返り、殿堂入りに輝いた今、永久欠番となった背番号への想いなどに迫る。(第1回/全3回)

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「日米通算4367安打」「年間最多262安打」「10年連続200安打」など、2019年の現役引退までメジャー史に残る偉業を数多く成し遂げ、今年1月22日、資格初年度でついに日本人初の米国野球殿堂入り。さらに背番号“51”は、マリナーズの永久欠番となることが決まり、長く栄誉が語り継がれることとなった。

殿堂入り発表からおよそ3時間後。イチローは、マリナーズの本拠地・Tモバイルパークで会見を行った。球場内では、多くのマリナーズ職員が待ち構え、祝福を受けながら会見場へ向かった。会見では“51”が永久欠番となったことが報告され、入団当初を振り返りつつ背番号“51”について思いを語った。

イチロー:当時“51”をつけることになったときに、(マリナーズにとって)特別な番号だということは認識していました。

かつて背番号“51”をつけていた伝説の左腕、ランディ・ジョンソン氏への思いを吐露。

イチロー:51番をつけた選手が、ただの普通の選手だったら、これはランディ・ジョンソンに対して申し訳が立たないし、そういう覚悟はすごくありましたね。

イチロー:この番号を汚してはいけない。51番というのは、一つ、特にシアトルにとって特別な番号であったこともあって、僕の中にはすごく重く存在していた。今日この日を迎えられたことは、言葉ではもう言い表せないほどの気持ちです。

マリナーズで活躍したイチローへ感謝「彼自身の才能によるものだ」

イチローの殿堂入りが決まった後、かつてマリナーズで同じ背番号“51番”を背負っていたランディ・ジョンソン氏(61)にインタビューを行い、メジャー通算303勝のレジェンドにイチローへの想いについて聞いた。

ランディ・ジョンソンは、1989年〜1998年にマリナーズに所属。その後、ダイヤモンドバックス、ヤンキースなどで活躍し、2009年に現役を引退。サイ・ヤング賞は左腕としては歴代最多の5度受賞を誇る。2015年に殿堂入りを果たし、得票率は97.3%だった。

ランディ・ジョンソン:通常、偉大な選手の番号をつけさせないが、マリナーズはイチローに“51”を背負わせた。イチローは私の10年間の活躍を理解していたと思う。

ノーヒットノーラン、サイ・ヤング賞を球団に初めてもたらすなど、まさに“チームの顔”から“51”を引き継いだイチロー。

イチローは「(背番号)51をなんとしても平凡な数字にはできないという思いもとても強かった」とメジャーデビュー当時の重圧を振り返り、並々ならぬ覚悟で“51”を背負っていたという。

ランディ・ジョンソン:イチローがマリナーズで築いた功績は誰にもできないものだった。それは背番号に影響されず、彼自身の才能によるものだ。イチローは長い間活躍し、私の彼への感謝の気持ちが大きくなっていきました。

レジェンドもイチローの功績を称え、殿堂入りを祝福した。

激しいプレッシャーの中、イチローはその“51”を背負い、ルーキーイヤーから安打を量産。1年目はシーズン242安打をマークし、いきなり首位打者と盗塁王に輝いた。メジャー史上2人目となるリーグMVPと新人王を“ダブル受賞”。さらに2004年にはシーズン最多安打を84年ぶりに更新する262安打の新記録を打ち立て、20年を過ぎた現在もいまだ破られていない大記録となっている。

MLB公式サイトも「20の驚異的な事実」と賞賛

初年度から華々しいスタートを切り、数々の大記録を生み出してきたイチロー。MLBの公式サイトではそれらの功績を、「20の驚異的な事実」として伝えている。ヒットの記録はもちろんだが、“ホームラン”でもその名を歴史に残している。

史上初!オールスターでランニングホームラン

メジャー1年目から10年連続でオールスターゲームに出場しているイチロー。伝説のランニングホームランが飛び出したのは、メジャー7年目の2007年(当時33歳)。

実況:1球目、いい当たりだ!ライト大きいぞ!伸びる!伸びる!フェンスに直撃だ。転がっている。イチロー3塁まわった!イチロー入ってきたホームイン!ランニングホームラン!これはすごいことをやってのけました。さすがにイチロー!なにかやってくれる男。すごいものをお伝えすることができました。

日本のプロ野球時代も含め、イチローにとっても初のランニングホームランとなり、記念すべき一本に。

“満票”殿堂入りの守護神リベラから自身初のサヨナラ本塁打 

メジャーで通算117本塁打を放っているイチローはかつて「打率2割2分でいいなら40本は打てる」と冗談交じりに語っていた。

だが実際にホームランを狙い打ちし、劇的な結果を生んだ試合がある。

2009年9月18日のヤンキース戦(当時35歳)で1点を追いかける9回裏(1−2)、2アウト、ランナー2塁の場面。相手はヤンキースの絶対的守護神、マリアノ・リベラ(当時39歳)。メジャー歴代最多、通算652セーブを飾り、2019年に史上初の“満票”で殿堂入りを果たした伝説の投手。

武器は「魔球」カットボールで、バットにボールが食い込み、折れてしまうことも。イチローは、その伝説の投手・リベラの決め球を、ここぞという場面で一発で仕留めた。

実況:
初球を打ったー!イチローの打球はライトスタンドに入りました。サヨナラホームラン!マリナーズ、逆転サヨナラ。イチローがリベラから自身初めてのサヨナラホームラン。

そしてこの試合の解説を務めていたのは、佐々木主浩さん。日米通算381セーブを誇り、マリナーズ時代には、3年間(2001〜2003年)イチローと共にプレーした。当時のリベラは、間違いなく球界ナンバーワン投手だったという。



佐々木主浩さん:
左バッターに食い込んでくるあの速いカットボールというのはノーチャンスだっていうのがみんな言ってることなんですよ。それを狙い撃ちにして、ああやってホームランを打てるというのはイチローのバットコントロールと技術の凄さかなと思います。抑えだから一番いいボールを投げてくるんで、それを狙ったと。

“イチメーター”のエイミーさん「彼が100%に値することは誰もが分かっている」

殿堂入りの栄誉に輝いた選手はニューヨーク州(クーパーズタウン)にある野球殿堂博物館に招待され、会見の後、館内を見学するツアーが行われる。

博物館には偉大な選手たちの功績を称えた品々が飾られ、イチローがシーズン最多安打を樹立した時のバットも収められている。

1月23日、殿堂博物館で会見に出席したイチローは、その後の見学ツアーで偉人たちの品々を見つめている中、ある“思い出の品”に目がいった。

イチロー:あれ“イチメーター”あるじゃない。

日本でも有名になった「イチメーター」。熱狂的なマリナーズファン、エイミー・フランツさんの手作りのボードで、ライトスタンドの最前列からイチローのヒットを記録し続け、数々の偉業を見守ってきた。長年応援し続けてきたエイミーさんも、イチローの殿堂入りを自分のことのように喜ぶ。

エイミーさん:(通算4367安打のボードを見せて)これは私が作ったんです。以前貰った(イチローの)サイン入りはもう出したくなかったので新しいものを作ったらその場でサインしてくれたんです。

記者:そのサインはいつ貰ったの?

エイミーさん:これは彼がマーリンズからマリナーズに戻ってきた時にサインを貰いました。たくさんの記録に関われたことは本当に幸せでした。

デビュー以来応援し続けたイチローへの愛は、マリナーズから移籍した後も変わらなかった。

エイミーさん:野球が上手くて見ているのが本当に楽しかったですし、彼が資格1年目で殿堂入りしたことを本当に誇りに思います。そして(得票率)100%ではなかったことは残念ですが彼が100%に値することは誰もが分かっています。

イチローの功績はマリナーズで活躍した名選手からも称えられ、その勇姿はしっかりとファンの心に刻まれている。

(第2回に続く)

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