東京都立墨田産院の跡地近くで取材に応じる江蔵智さん=16日、墨田区 東京都立墨田産院(閉院)で1958年に出生後、新生児の取り違えで生みの親と離れ離れになった江蔵智さん(67)=足立区=が、親を特定する調査などを都に求めた訴訟の判決が21日、東京地裁である。江蔵さんは「実の親がどんな人なのか、知りたいだけなんです」と語る。
江蔵さんの育ての母(92)は58年4月10日、墨田産院で男児を出産した。男児は新生児室に移されたが、4日後に母の病室に戻ってきたのが江蔵さんだった。両親は疑うことなく実子として育てた。
「お前は誰とも似てないな」。小学生の頃、正月や盆に親戚が集まると、叔父からよく言われた。江蔵さん自身も弟やいとこと顔を見比べ、似ていないと思っていた。父とはそりが合わず、14歳の時に家を出た。
それから25年後、母の血液型がB型と判明し、親子関係に疑念が生じた。父はO型で、江蔵さんはA型だったからだ。2004年にDNA型鑑定で医師から「あなたにご両親の血は一滴も流れていません」と告げられた。衝撃を受けた一方、父との確執の原因は血筋の違いだとも感じた。
江蔵さんと両親は同年、都に損害賠償を求めて提訴した。一審東京地裁は取り違えの事実を認めたが、賠償請求は棄却。二審東京高裁は産院の責任を認定し、計2000万円の賠償を命じた。
訴訟と並行し、江蔵さんは取り違えられた相手を自力で捜した。産院があった墨田区の住民基本台帳から生年月日の近い70〜80人をリストアップし、当時住んでいた福岡市から通った。一軒一軒訪ね歩く日々は2年以上続いたが、見つからなかった。
自力調査には限界があり、今回の訴訟では都に生みの親を特定するよう求めている。「ルーツを知る権利は当たり前にあるはず。想像もつかない違った人生があっただろう」と江蔵さんは思いを巡らせる。
父は10年前に他界し、施設に入居する母は認知症で意思疎通が困難になった。生みの親も高齢で、もう会えないかもしれない。それでも「実の親はどんな人なのか、きょうだいや親戚から話を聞きたい。出自を知ることで自分の心は洗われる」と判決に期待を寄せた。

幼少期の江蔵智さん(手前)と育ての母(左)(本人提供)(一部、画像処理してあります)