
幸福の科学学園・ドミニカ人留学生バッテリー物語(前編)
幸福の科学学園にプロ注目のドミニカ人バッテリーが存在するらしい──。
その怪情報を耳にして以来、気になって仕方がなかった。すでにプロ3球団のスカウトが視察を済ませているという。
栃木県の情報通に問い合わせてみると、幸運にもふたりのプレー動画を見ることができた。ふたりともやや力まかせではあるものの、たくましい体とパワフルな打撃が目をひいた。映像には、一塁に向かってヘッドスライディングするシーンも収められていた。
日本野球に順応しようという、ひたむきさも伝わってくる。私は幸福の科学学園に取材を申し込むことにした。
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【森繁和が結んだ縁】
幸福の科学学園とは、宗教団体・幸福の科学が創立した全寮制の高校である。栃木県那須郡那須町の教団施設の敷地内に中学・高校が建てられ、2010年に開校した。
東京から片道200キロ超の自動車移動の末、私は「幸福の科学 総本山・那須精舎」の銘板のある門を抜け、教団施設へと入った。なだらかな坂に続く桜並木をのぼり、案内板に従って高校のグラウンドへと向かう。車を降りると、高校野球部の棚橋誠一郎監督と後藤克彦部長が出迎えてくれた。
「遠いところを、わざわざありがとうございます」
そう言って笑顔を見せた棚橋監督は、県内でも有名なベテラン野球人だ。烏山高では作新学院の江川卓(元巨人)の攻略に執念を燃やし、明治大では野球部主務を務めた。指導者としては烏山高、作新学院大の監督を務め、高校野球のテレビ解説者としても馴染みの存在だった。2019年より幸福の科学学園の監督を務めている。
「つい先日も、森繁和さんが指導にいらっしゃったんですよ」
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そう教えてくれたのは後藤部長だ。元中日監督の森繁和は、幸福の科学学園の特別コーチを務めている。駒澤大のOB同士のつながりから幸福の科学学園と縁ができ、特別コーチとして指導するようになったのだ。
じつはドミニカ人留学生の橋渡しをしたのは、森特別コーチだった。中日のコーチ時代から外国人選手発掘のためドミニカ共和国へと渡り、独自の人脈とルートを築いてきた。そこで日本の高校野球を経験したい若者のなかから2人が選ばれ、幸福の科学学園へとやってきたのだ。
棚橋監督と後藤部長と雑談していると、ユニホームをまとったふたりの大男がグラウンドに足を踏み入れた。投手のエミール・プレンサ(3年)は身長190センチ、体重107キロ。捕手のユニオール・ヌニエス(3年)は身長185センチ、体重90キロの威容である。
エミールの父はドミンゴ・グスマン。2000年代に横浜(現・DeNA)、中日、楽天でプレーした元プロ野球投手である。中日に在籍した2004年には10勝を挙げ、リーグ優勝に貢献している。当時中日のコーチを務めていた森特別コーチとは、師弟関係にあった。
【低反発バットで場外弾】
日本に来た経緯を聞くと、エミールはこう答えた。
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「おれはお父さんが日本のプロ野球選手だった。森さんと連絡してもらって、『あなたの子どもどうですか?』みたいに言われた。『日本語か英語わかりますか?』と聞かれて、『わからないです』と言った。『日本に行きたいですか?』と聞かれて、『はい、行きたいです』と言った」
日本語でのコミュニケーションも大きな支障はない。理解できない単語は翻訳アプリを使って対処するが、私のインタビュー中には1回しか翻訳アプリを起動しなかった。
「ドミニカにいた時から、わたし寿司大好きです。お父さん、日本の料理が好きで食べてました。カニ、サーモン、生で食べます。カップラーメンも、ペヤング(カップ焼きそば)も大好きです」
たどたどしくも、懸命に日本語で思いを伝えようとしてくれる。一人称が「わたし」「おれ」とめまぐるしく変遷するのもいじらしく、愛嬌のある表情には父・ドミンゴの面影があった。
留学生に日本語を指導する茨田大智コーチは、「エミールは何も考えていないように見えて、さりげなく椅子についたゴミを払ったうえで目上の人に差し出したり、意外と気が利くんですよ」と評した。
エミールは投手として最速144キロを計測し、打者としては高校通算15本塁打を放っている。現段階では投球よりも、打撃面の評価が高いようだ。
打撃練習では本塁から約90メートルの左翼フェンスを軽々と越え、深い森へと消えていく推定120メートル級の特大弾を何本も放った。ただパワーがあるだけでなく、スイングにキレがある。インパクトの瞬間に「キィン!」とひときわ強烈な打球音が響き渡った。棚橋監督は「低反発バットでも左中間に場外ホームランを打ったんですよ」と教えてくれた。
足も速く、登板しない時には中堅の守備につく。球際に強いプレーが魅力だという。
【フォーム改良で球速アップ】
投手としては粗削りで、棚橋監督は「三振を15個取るような試合もあるけど、同じくらいフォアボールも出るんです」と苦笑する。それもそのはずで、本格的に投手に挑戦したのは昨年の1月から。まだ1年あまりしか投手経験がないのだ。
最初はルールもよくわかっておらず、ボークを連発したという。エミールは本気なのか冗談なのか判然としないトーンで、こう訴えた。
「(セットポジションから)グラブをポンポン叩いたら、ボーク取られた。ドミニカにはそんなルールない」
投手転向時点では球速は110キロ台で、コントロールも壊滅的だった。だが、練習を続けるなかで球速は向上し、コントロールも徐々によくなっている。エミールは目を輝かせて、最近あった技術的な進化を語ってくれた。
「コントロールは前とちょっと違うです。メカニックを直して、よくなった」
以前までは右腕を押し出して投げるフォームだったのが、上から腕を叩けるようになり、パフォーマンスが向上したという。
それにしても、父は元プロ野球投手なのに、投球は教わらなかったのか。そんな疑問をぶつけると、エミールはこう答えた。
「わたしのお父さん、いつもバッティングを教えていた」
その答えに、どう反応していいのか困ってしまった。ドミンゴといえば、投手とはいえ打撃が苦手な選手として有名だったからだ。日本時代には18打席連続三振という世界記録まで樹立している。俊足を生かし、セーフティーバントで安打を稼ぐイメージが強かった。
エミールは打撃動画を父に送り、アドバイスを受けることもあると語った。
「悪い時『ちゃんとやれ!』と怒られます。わたしのお父さん、一番いいファンです」
そのエミールの無垢な笑顔には、細かなことはどうでもいいと思わせるだけの魅力があった。
一方、エミールとバッテリーを組むユニオールは、棚橋監督が「彼は哲学者です」と評するほど、聡明な選手だった。
後編へつづく>>