プロ野球3球団でプレーした米野智人が語る選手のセカンドキャリア 自身は飲食店経営、イベントMCも

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2025年05月08日 10:10  webスポルティーバ

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米野智人インタビュー 後編

(前編:「ポスト古田敦也」と呼ばれた米野智人が振り返る重圧 チャンスを掴みかけた時に訪れた体の異変>>)

 ヤクルト、西武、日本ハムの3球団でプレーし、2016年に現役を退いた米野智人氏は、飲食店を経営するWestside合同会社の代表として、充実したセカンドキャリアを歩んでいる。

 すでにベルーナドームで営業している2店舗(ヴィーガン料理専門店「BACKYARD BUTCHERS」、ポテト&チュロス「& Butchers」)に加えて、今年の春には豊島区池袋にある商業施設WACCA IKEBUKUROに「WACCA COFFEE CLUB(ワッカコーヒークラブ)」をリニューアルオープン。米野氏の父が経営する喫茶店「珈琲倶楽部イニング」(北海道札幌市)から取り寄せた本格的なコーヒーが楽しめるとあって、評判は上々だ。

 プロ野球関係者を招いたイベントのMCなども務める米野氏に、引退後のキャリアについて聞いた。

【「思い入れの強い同級生」青木宣親とトークイベントも】

 米野は、堅調な飲食店の経営に加えて、近年は野球に関連するイベントの企画やMCとしても活躍している。

「もともとは、話すことがあまり得意ではありませんでした」と語る米野氏がトークショーを始めたのは2019年のこと。

 元プロ野球選手のG.G.佐藤氏(元西武など)を介して、イベントを主催する(株)IforCの代表が、米野氏が経営する下北沢の店舗(現在は閉店)を訪れたことに端を発する。

 トークショーの企画に話題が及ぶと、そこからとんとん拍子で話が進み、やがて自身の店舗に集った約20人を前にしてイベントのMCを任された。だが......。あまりのたどたどしい米野の進行に、その場に居合わせた参加者からは不安の眼差しが注がれたという。

「縁があって人生初のMCに挑戦させてもらいましたけど、やっぱり思うようにはいかなくて、難しさを感じました。本番を終えたあとは少し落ち込みましたけど、本番前に感じる緊張や不安、そして仕事を終えた後の達成感は何となく野球に通じるものを感じて。それが僕のやる気を引き出してくれたのかもしれません」

 初回の失敗にも挫けず、その後も自身の店舗や、後に店を構えることになるWACCA IKEBUKUROのスペースで、元プロ野球選手を招いたイベントを実施。米野は「すぐに辞めてしまったら、その仕事が自分に向いているかどうかすらもわからない」という信念で経験を積み重ねていった。

 そして昨年12月には、元チームメイトで「同級生なので思い入れが強い」と話す青木宣親氏の引退を記念したトークショーも開催。石川雅規をゲストに迎えたイベント当日には、MCとして会場を盛り上げた。

「元プロ野球選手が進行を務めることで、『選手の素に近い表情を引き出せるのではないか?』という思いでやらせてもらっていますが、アンケートに書かれているみなさんの優しさと厳しさに溢れたコメントを見ていると、まだまだ成長の必要も感じています。参加してくださる方々にもっと楽しんでいただけるように、これからも努力を続けていきたいです」

【栗山英樹監督から学んだリーダーとしての振る舞い】

 米野が行き詰った時にふと思い出すのは、引退を決めた日本ハムで出会い、「組織における信頼関係の築き方や、やる気の引き出し方を学ばせてもらった」と話す栗山英樹監督の言葉だ。

 西武を自由契約になった2015年のオフに、捕手兼二軍バッテリーコーチ補佐として日本ハムの一員に加わった米野は、シーズン開幕後、二軍の拠点がある千葉県鎌ヶ谷で自身の調整や、投手を指導する時期が続いた。

「僕が二軍で過ごしていた時に、栗山監督から『ヨネの力が必要になるタイミングが絶対に来るから』と話していただいたことがあって、今もその言葉が印象に残っているんです」

 米野は当時を振り返りつつ、二軍選手の心情についてこう続ける。

「出番が限られる選手は、少なからず不安を感じながらシーズンを過ごしています。でも、チームリーダーの監督から『君は大事な選手だ』と伝えられたら、きっと選手のモチベーションは上がるでしょうし、『一軍から声をかけてもらった時に向けて、しっかり準備しよう』という気持ちが湧き上がり、毎日を大切に過ごすようになる。相手の性格や置かれている立場に理解を示しながら、それぞれのやる気を引き出す言葉を選ぶ栗山さんの姿は印象的でした」

 ヤクルト時代は古田敦也氏の後任として正捕手を任されるも、イップスによってポジションを失い、トレード、30歳での外野手転向も経験。その現役最終年に生まれた出会いが、自身が目指すリーダー像の指針になり、その後の成功を支えている。

【「セカンドキャリアでの成功に必要なこと】

 引退後もさまざまなフィールドで活躍を見せる米野には、スポーツ選手のセカンドキャリアに関する講演の依頼が舞い込む。そんな講演を行なうたびに熱を込めて訴えるのは、「自分の現状を受け入れ、異なるフィールドでも実力を高めていくことの大切さ」だ。

「僕を含めた多くのプロ野球選手は、子どもの頃に野球を始め、楽しく続けているうちに野球が仕事になり、そのままキャリアを重ねている方が多いように感じます。やがてベテランに差しかかると、それまで過ごしてきた野球漬けの日々に劣等感を味わったり、引退後の生活に対する不安が込み上げてくるんですけど......。それらは本人の気持ち次第で、いくらでも乗り越えられるものだと僕は思っています」

 かくいう米野も、店舗の経営を始めた当初は、料理はおろか、緊張のあまり表情が強張り、挨拶もろくにできなかったという。それでも料理好きの兄や妻、喫茶店を営む父らのサポートを受けるなかで成長していき、今がある。

「野球に打ち込んできた人生を悲観する必要はありませんが、まずは自分の現状を受け入れて、少しずつできることを増やしていこうとする姿勢が一番大切だと感じています。

 元プロ野球選手は、一度は幼い頃の夢を叶えていますし、再び心を動かされるような夢を見つけるまでは、少し時間がかかる人も多いのではないか思うんです。なので、もし次にやりたいことを見つけた時にそれをしっかり実現できるように、目の前の状況に向き合いながら自分を高めていくことが大切なのかなと感じています」

 そして「現役時代とは畑違い」の飲食業に取り組み、経営者として再び球場に戻ってきた米野は、インタビューをこのように締め括った。

「野球を辞めた後も、野球を上達させてきた頃と同じように、失敗を乗り越えながら経験を積んでいくしかない。かつて野球少年だった頃のような気持ちを思い出せたら、きっとどんな苦難も乗り越えられる。まずは強い気持ちを持つことが大切だと思います」

 米野はさまざまな苦労の末に出会った信念と、これからも歩み続けていく。

【プロフィール】

米野 智人(よねの・ともひと)

1982年、北海道生まれ。北照高から1999年ドラフト3位で捕手としてヤクルト入り。入団当初から"ポスト古田"の一番手と期待された。古田兼任監督が就任した06年には自己最多の116試合に出場。2010年に西武へ移籍、2012年に外野手にコンバートされたが、2015年限りで退団。同年オフ、日本ハムと捕手兼2軍バッテリーコーチ補佐として異例の契約を結び、2016年限りで引退した。引退後は、"体の中から綺麗に健康"がコンセプトのカフェ、「westside cafe」を4年経営。現在は、古巣である埼玉西武ライオンズの本拠地・ベルーナドームにて新規店舗を出店し、Westside合同会社代表を務めている。

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