
7月27日、神戸。満員のスタジアムは熱気が立ち上っていた。それが異常な暑さによるものか、集まった人々が作り出したものか。多くのファンが"推しの選手の一挙手一投足を少しも見逃さない"と視線を送る。それはもしかすると、"こんな機会が巡ってくるのは奇跡だ"と愛おしむ思いが混ざっているのかもしれない。
「予定されていたヴィッセル神戸対バルセロナのフレンドリーマッチは中止」
7月23日、そのニュースが朝早くから駆け巡った。プロモートしていた「ヤスダグループ」に重大な契約違反があったことにより、バルサ陣営はフライトを拒否。日程を考えれば、もはや開催に持っていくのは不可能に思われた。
だが、楽天グループを中心に総力を上げ、バルサと直接交渉に入った。金銭的な補填もすることで、薄氷を履む思いの交渉で合意。25日の朝に日本に到着する便もどうにか手配し、まさにウルトラCで試合開催を実現させている。
つまり、目の前の風景は幻だったかもしれないのだ――。
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「サプライズではありました。(一度、日本での試合が中止になって)コーチングスタッフとゆっくり夕食を取っていたのですが。知らせを受けて、慌ただしくフライトの準備をすることになりました」
バルサのハンジ・フリック監督は、生々しいドタバタを振り返っている。神戸の三木谷浩史会長の交渉力も驚くべきだが、バルサの監督もスタッフも選手も、よく刻々と変わる状況に対応できたものである。4日後の試合が一度中止になり、翌日には一転開催で日本へ。それは簡単な決断ではない。
「トレーニングは2回、なくなってしまいましたし、日本に着いてから2日間の試合で、コンディション的に厳しかったところもありました。前半は30分までは悪くない展開ができたと思います。ただ、そこからゲームコントロールのところでミスが多く出てしまいました。ピッチ上は湿度が高く、プレーしづらかったですが、後半は得点もできたし、自分たちのプレーができたと思います」
【試合ができたこと自体を評価】
試合の結果は1−3でバルサが勝利している。もっとも、その結果自体に大きな意味はない。コンディション的には、本来の半分にも及ばないはずである。
「すばらしいスタジアムで試合をすることができました。神戸はとてもいいチームで、プレッシングも機能的だったし、インテンシティも高く、我々が求めるようなフィロソフィを持ったチームだと思いました。結果的にいいテストになりました」
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フリックは、試合ができたこと自体を高く評価していた。監督会見は、とても和やかなムードだった。
一方、ミックスゾーンをバルサの選手は素通りしている。日本側の関係者は、「選手に声をかけて止めてください」と声を上げていたが、ひとりも止まっていない。たとえばロベルト・レバンドフスキはスマートフォンをいじりながら通路を歩き、止められても「バスの時間があるから」と外を指で差し、素気なく過ぎ去った。ペドリ、ラミン・ヤマルなども少しも止まるそぶりを見せていない。
しかし、これは彼らの態度が悪いわけではない。現在、ラ・リーガの取材でコメントを出すのは、試合で得点者になったなどのヒーロー的な選手だけ。日本のように選手全員が通路を歩いて、声をかけられたら答える仕組みではないのだ。
極めつけはテレビのインタビューだった。ダニ・オルモが一度はカメラの前に立ったが、「バスが出るぞ」という声がかかると、質問に答えずに立ち去っている。
「一問だけでもいいから!」
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関係者の必死の懇願にも、彼は首を振っている。非情にも映ったが、彼らにはミックスゾーンでそうやって取材のために止まる習慣がもうないのだ。
さらに言えば、各選手は試合後、疲労困憊だっただろう。なぜなら、前後半に分かれて試合に出場した選手たちは、ハーフタイムと試合終了後、それぞれフィジカルコーチにゴールからゴールまで何往復も全力疾走させられていた。ベテランのレバンドフスキは45分間プレーした後のラントレで、さすがに腰に手をついていた。まるで真夏の高校サッカー部の合宿のようだったが、それもフィジカルメニューのひとつだ。
「バルサの選手はとにかく走れるようになったし、強度が格段に増した」
それが昨シーズン、バルサが"最強"を取り戻した理由の変化のひとつとして語られる。プレシーズンの体力強化は、フリック体制になってからの目玉のひとつ。彼らは高温多湿の日本でも、その姿勢を貫いていた。フレンドリーマッチの勝利に安堵することなど少しもなく、新シーズンに向けて照準を合わせていたのだ。
ひとつの狂騒曲が終わった。すでにチームバスは出た後にもかかわらず、関係者入り口の周辺には人だかりができていた。誰かに会えるんじゃないか。そんな一縷の望みにかけて出待ちするバルサファンだろう。その熱がさらなる熱を作り出す。
アジアツアー、バルサは韓国に飛び立ち、7月31日、8月4日と2試合を行なう。