雑貨大手「ロフト」「ハンズ」の巨大雑貨ビルが相次ぎ姿を消している。
【画像】1987年11月に開業したロフト1号店「渋谷ロフト」。開業当初はシブヤ西武の別館「ロフト館」だった。(計3枚)
2021年10月には池袋サンシャイン60通りの「東急ハンズ池袋店」(当時)が完全閉店、2025年4月30日には大阪梅田茶屋町の「梅田ロフト」が近隣百貨店「阪神梅田本店」への移転にともない、35年の歴史に一旦幕をおろした。
両館とも大手私鉄「西武」「東急」をルーツに持つ、日本を代表する雑貨大手の旗艦店としての役割にとどまらない、地域のランドマークとしての役割を担ってきた館であったが、同様の動きは池袋や梅田に限らず全国でみられている。
「ロフト」「ハンズ」の歴史をひも解き、岐路にある大型店の現状と今後の展望を、2回にわたって明らかにしていく。
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●三越・高島屋に対抗 西武の業態改革からうまれたロフト
まずは、ロフトとハンズ、両社の成り立ちから見ていきたい。
ロフトは1987年11月に西武百貨店渋谷店(シブヤ西武)の別館「ロフト館」として創業した。
前年1986年3月に開業したファッション専門館「シード館」が国内新進気鋭デザイナーとの協業による独自アパレルや、劇場併設による文化発信機能の強化を図り、成功を収めていた。
これと同様、ロフト館も米ニューヨークの若手芸術家が集うソーホー地区の屋根裏(=ロフト)文化に敬意を払った館名を冠し、既存の百貨店本館新館という概念とは一線を画した独自コンセプト「時の器」のもと、20〜30代女性を始めとする若者の感性を刺激する生活雑貨/文具やトレンド商品中心の売り場を構築する。
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仕入調達や販促施策に専門スタッフを起用するなど、従来の百貨店や雑貨店といった業態の枠組みを超えた館となった。
西武や東急といったいわゆる電鉄系百貨店は、創業以来長らく、三越や高島屋といった呉服系百貨店と比べて暖簾の価値に乏しい新興扱いであり、外商をはじめ、上得意客の獲得に遅れをとっていた。
こうした背景から、西武百貨店は1964年に西武鉄道グループから独立して以降、「モノ消費」の洗練化として国内外ブランドの育成・誘致といった商社機能を強化してきた。
また、「コト消費」の先駆けとして文化発信・レジャー事業との提携といった非物販機能も強化するなど、高度経済成長後の消費者ニーズ多様化に対応したグループ拡大と業態改革を特に重視していた。
一環として、西武百貨店は系列企業各社を「クレディセゾン」「西洋環境開発」といった非物販にひも付く社名に順次刷新。1985年にはグループ公称を「西武流通グループ」から「西武セゾングループ」に改め、小売業から「生活総合産業」への転身をめざしている最中であった。ロフトは過渡期にうまれた象徴的存在ともいえる。
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●歓楽街が若者の街に変貌 「梅田ロフト」のインパクト
ロフト全国展開の足がかりとして、1990年4月に開業した関西旗艦店「梅田ロフト」においても、当初はあくまで日本百貨店協会加盟の百貨店という業態区分にあった。しかし、渋谷同様のCDレコードショップ「WAVE」に加え、現代芸術系に強みをもつミニシアター「テアトル梅田」やブックセンター「リブロ」といった西武セゾン系専門店、西武セゾンが開局に携わったJ-WAVE同様に音楽を強みとするFM局「FM802」のサテライトを擁するなど、本店格といえる渋谷の約1.5倍という贅沢な売り場面積を生かしたトレンド文化の情報発信館となった。
梅田ロフト開業以前の茶屋町は、歓楽街的な要素が色濃い、雑多な雰囲気が漂う街並みであった。
その後、地域の商業核となるロフトに加え、MBS毎日放送の本社移転や梅田コマ劇場(現梅田芸術劇場)の整備、コナミ直営店チルコポルト(西武セゾン系への運営移行後閉店)をはじめとする有力路面店が登場し、若者の街として急速に変貌を遂げていく。
西武百貨店は1991年4月に宇都宮西武新館としてロフト地方1号店「宇都宮ロフト」を開店した。1996年8月のロフト事業分社化後も1998年6月に大宮西武を「大宮ロフト」に、1999年2月に西武スポーツ吉祥寺を「吉祥寺ロフト」に業態を転換。バブル崩壊後の消費低迷や競争激化で経営不振に陥った百貨店事業再建の一環として、従来型百貨店の巨大雑貨ビル化を加速させた。
同じく西武セゾン系の西友を母体とする無印良品に加え、直営雑貨と親和性の高いムラサキスポーツやヴィレッジヴァンガードといった専門店を配したトレンド文化の情報発信館が全国で広がりをみせた。
ロフトは西武百貨店からの業態転換でノウハウを蓄積したこともあり、2000年代初頭には「イオン」「そごう」「パルコ」といった西武百貨店と資本業務提携関係にあった企業の不採算フロアに相次ぎ大型店を展開。ロフトを核とする館に全面刷新するなど、店舗再生の急先鋒となった。
また、競合大手私鉄の本拠地である渋谷や梅田茶屋町で若者の新規獲得を実現したことで、大型店跡地活用と後継店誘致を喫緊の課題とする自治体からの進出要請に加え、地域の求心力向上を狙う競合グループの百貨店や総合スーパーからも歓迎の声も聞かれるようになった。
●東急不動産の「遊休地活用」でうまれたハンズ
ロフトの大型店が、電鉄系百貨店の直営雑貨、大型店再生から派生した直営雑貨核の生活提案商業施設として生まれた一方、ハンズのルーツと大型店の運営手法は、似て非なるものだった。
ハンズは1976年11月、東急不動産の完全子会社として創業した。
同年11月に1号店となる「東急ハンズ藤沢店」、1977年11月に2号店「東急ハンズ二子玉川店」、1978年11月に国内最大級の都市型ホームセンターとなる3号店「東急ハンズ渋谷店」を開店した。
ハンズに先駆け、1972年に日之出自動車が日本初となる欧米型本格ホームセンター「ドイト」を埼玉県で創業する。1974年に三井不動産が「ユニディ」を千葉県で創業。1980年に大和ハウスが「ランバー」(現ロイヤルホームセンター)を奈良県で創業するなど、木材金物や家具小売店からの業態転換に加え、不動産・建設・交通事業者など異業種においても、遊休地活用や小売流通事業強化の一環として、市場開拓余地があるホームセンター事業に参入する動きが全国各地でみられた。
なかでも“渋谷の大家”と称される東急不動産を母体とするハンズは、欧米で主流だった郊外型平屋建てでの多店舗化をめざす同業と異なり、会社設立時点で渋谷店開店が決まっていたことから、「都市型ホームセンター」業態の確立を前提とした事業展開を意識していた。
東急不動産が旗振り役となり、全国主要都市の再開発事業の核として名乗りを上げ、グループの経営資源やネットワークを生かした一等地の確保や各種催事、DIY初心者に向けた手厚いサービスの提供、ハンズ大賞(2007年に事実上終了)といった文化事業を打ち出すなど、業界をけん引する存在となっていく。
これら一連の取り組みは、業界随一の都市型ホームセンターというブランドイメージの定着にとどまらず、日曜大工から発展途上だったDIYの普及促進につながるなど、ハンズが果たした役割は大きい。
●関西に“東急村”つくったハンズ
ハンズはその後も、1983年10月に関西1号店「東急ハンズ江坂店」を開店する。
東急不動産系複合商業施設「江坂東急プラザ」(現カリーノ江坂)の核として、地下鉄御堂筋線を介して日本有数の交通の要衝である新大阪駅や大阪都心部(梅田・難波)とのアクセスが良好な北摂のビジネス街を、1989年3月開業の子供専門館「ブーミン」や1991年10月開業のファッションビル「オッツ」とともに塗り替え、関西に“東急村”の飛び地を形成した。
都市型ホームセンターという業態と多層型の店舗構造への徹底したこだわりは、1986年11月開店のハンズ初FC店舗「東急ハンズ名古屋ANNEX店」や、沖縄地場提携店舗「ハンディマンマキシー」を含めた全国各地の都市開発参画案件においてもみられた。
1988年3月開店の「東急ハンズ三宮店」や1990年9月開店の「東急ハンズ横浜店」では、本店格といえる渋谷店独自の構造「スキップフロア」を踏襲した店舗開発まで行われた。
ここまで取り上げてきた通り、ロフトは百貨店の流れを汲む直営雑貨フロア核の複合商業施設を志向してきたのに対し、ハンズは直営都市型ホームセンターを志向するなど、大型店の設計思想や運営手法に大きな違いがある。
両社ともに、首都圏を代表する大手私鉄グループと文化発信を重視する企業風土、という共通したルーツを持つものの、不動産業の遊休地活用、百貨店の別館/新業態というルーツが似て非なる「巨大雑貨ビル」という館を生み出したといえる。
これらの大型店は両社の顔ともいえる存在であったが、ともに解決すべき課題をかかえていた。後編では、巨大雑貨ビルがもたらした課題と、その克服をめざし、新たな動きを模索する両社のいまを追う。
淡川雄太(都市商業研究所)
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