岡野雅行が振り返る「地獄の日々だった」高校時代 「それでも逃げなかったことが今につながっている」

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2025年10月02日 07:10  webスポルティーバ

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 学校での部活を取り巻く環境が変化し、部員数減少も課題と言われる現在の日本社会。それでも、さまざま部活動の楽しさや面白さは、今も昔も変わらない。

 この連載では、学生時代に部活に打ち込んだトップアスリートや著名人に、部活の思い出、部活を通して得たこと、そして、今に生きていることを聞く──。部活やろうぜ!

連載「部活やろうぜ!」
【サッカー】岡野雅行インタビュー/第3回(全4回)

第1回◆岡野雅行に聞いた「部活やろうぜ!」>>

第2回◆岡野雅行が啞然とした高校初の練習試合>>

 漫画みたいな大乱闘から始まった高校のサッカー部でしたけど、とにかく続けていたら、だんだんと強くなっていきましたね。

 僕らが3年生になったときには、選手権(全国高校サッカー選手権大会)の県予選前に、「"あの高校"が、今や優勝候補!」みたいな感じで新聞に特集されるまでになり、今度はサッカーで有名になりましたから。

 だって、もともとヤンキーだったヤツらがふたり、島根県選抜にも選ばれたんですよ。それ、ヤバくないですか。彼らは高校からサッカー始めたんですよ。

 ケンカが強い人たちって、やっぱり根性があるんですよ。だから、走りの練習でも絶対にサボらないし、ギブアップもしない。

 それを見ていたら、「自分ももっとやらなきゃ!」って思うじゃないですか。僕は監督兼キャプテンみたいな立場でしたけど、あれで教えられました。

 今考えると、あの高校へ行ってよかったなって、ちょっと思います。

 僕自身も大阪まで行って、中学生のいい選手がいたら、「うちで一緒にサッカーやろう」って勧誘したりして......、よく考えたら、そのころからGMやってんじゃん、みたいな感じですよね。だんだんとサッカー経験者だったり、結構有名な中学生だったりが来てくれるようになり、強くなっていきました。

 ただ、高校最後の選手権予選では、島根県で優勝候補って言われていたのに、あれは何回戦だったのかな、すぐに負けちゃって。それも最後のPKを外したのが、僕だったんです。

 試合は同点のまま延長でも決着がつかず、PK戦になったんですけど、相手は5人全員、うちも4人目まで全員が決めて、僕が最後のキッカー。それを外したんです。

「うわー、やっちゃった」って思いましたね。今でもよく覚えていますけど、「自分でサッカー部を作ってここまでやってきたのに、こんな結果になってしまった」って。

 でも、泣き崩れていた僕のところにみんなが駆け寄ってきてくれて、「ありがとう。おまえがいなかったら、ここまで来るのは無理だった」って言ってくれた。あれには僕、感動しましたね。

 あのときの選手権予選は、今考えても、全国大会に行ける自信があったんですけどね......。島根県のなかで負けるとしたら、大社か、益田くらいしかなくて、ひょっとしたら余裕で(選手権に)行けるんじゃないか、と思っていたくらいですから。

 その後、母校(現・立正大学淞南高校)は選手権に何度も出場するようになって、(2010年度大会ではベスト4に進出して)国立にも行っています。

 初出場のときは、めっちゃうれしかったですね。だって、あのとき僕、エナジードリンクのCMに出ていたので、差し入れで持っていきましたから。僕が初めて選手権の試合を見に行ったときには、スタンドの応援団が「岡野先輩、ありがとう!」なんてコールしてくれてね。もう本当に感動しました。

 だけど、僕が見に行くと、だいたい負けるんです、うちの高校。ベスト4のときも、僕が見に行かなかったから、国立まで行けたんですよ、きっと。

 そのときも僕が国立へ応援に行ったら、準決勝で負けちゃいましたからね。「やっぱ、オレが行ったら負けるんだ......」って、かなりヘコみましたね。

 だって、その大会で優勝した滝川第二高校を相手に、内容的には圧倒していて、絶対勝てる試合だったんですよ。相手GKと1対1になってGKも抜いたのに、無人のゴールへのシュートを外しちゃったりして。結局、0−0のままPK戦になって、そこで負けてしまいました。

 あれ以来、もう母校の試合は見に行かないと誓っています。

 高校時代は、今振り返っても地獄のような日々でした。それでも、やっぱりあそこで逃げなかったことが、今につながっているのかなとは思います。

 たぶん、あのとき逃げていたら、今はないですね。サッカーもやっていなかったかもしれないし。

 卒業式では、当時すごく怖かった先生が大泣きして、「おまえら、よく耐えた! おまえらは、これで生きていけ!」って言ってくれたのを思い出します。

 卒業したのに「おめでとう」じゃないのかよ、って感じですけど、でも、言っていることはよくわかります。あそこで耐えることができたから、世の中に出ても何も怖くないんだろうなって思いますから。

(つづく)◆壮絶な高校生活を送った岡野雅行が語る部活動>>

岡野雅行(おかの・まさゆき)
1972年7月25日生まれ。神奈川県出身。松江日大高を卒業後、日本大学に進学。1994年、大学を中退し浦和レッズ入り。快速FWとして1年目から活躍。1995年には日本代表に選出され、1997年のW杯予選アジア第3代表決定戦ではVゴールを決めて日本を初のW杯出場に導いた。1998年フランスW杯では第2戦のクロアチア戦で途中出場。その後も浦和で奮闘し、2001年にヴィッセル神戸に期限付き移籍。2002年に完全移籍したあと、2004年には完全移籍で浦和に復帰。2009年2月には香港リーグの天水圍飛馬に移籍し、同年8月には当時JFLのガイナーレ鳥取に移籍した。2013シーズンを最後に現役引退。以降、同クラブのゼネラルマネジャー、代表取締役GMなどを歴任し、2024年12月に南葛SC事業本部長に就任。2025年1月には古巣・浦和のブランドアンバサダーにも就任した。

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