DeNAの相川亮二新監督(49)が20日、横浜市内の球団事務所で就任会見に臨んだ。今季限りで退任する三浦大輔監督(51)の退任会見と同時に行われ、来季からチーム統括本部長を兼任する木村洋太社長(43)も同席した。
相川新監督は「来季より横浜DeNAベイスターズの監督に就任します相川亮二です。監督の話をいただいたときは、まさに武者震いするような全身に血が駆け巡るような思いでした。三浦監督がつくってきたものを継承し、アップデート、もっと付け足していって、リーグ優勝を達成したい」とあいさつした。
会見での主な一問一答は以下の通り。
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−木村社長へ。三浦監督が監督を務めた5年間は、改めてどんな5年間
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「本当にチームを成長させてくれた5年間だったなと思っています。特に4年連続のクライマックシリーズだったり、去年の日本一だったりを経て、今年チーム全体がCSに行くだけでは、目標達成してないということをみんなが感じるようなチームになったのは、数年前から比べると非常に大きな進歩だなと。優勝できなかったことを本気で悔しがって、本気で優勝したいチームにしてくれたこの5年間だと思っています」
−木村社長へ。三浦監督の退任が決まった際は、どんな言葉をかけられたか
「当然、4年連続Aクラスという中で、先ほども申した通り、今までの感覚からすると非常によくやっているっていうような評価になる。その中でご本人から優勝に全てをかけて、覚悟を持ってやってきた1年だったというお話を受けて、そこまで重い覚悟だったのかと私の方でも受け止めました。それを受けて、三浦大輔さんは横浜の宝だと我々も思っているので、今後も関わりを持たせてほしいというようなことはお伝えさせていただきました」
−木村社長へ。今、三浦監督の覚悟を受けて、相川新監督にはどんなことを期待するか
「背番号も含めて継承路線というような形でお願いはしていますが、継承するだけではなくて、当然よりパワーアップをする意味でも、三浦監督のやり方をリスペクトしながらも、ご自身の色を出して全力で努めていただいて、この街に悲願の優勝を届けてほしいなと思っています」
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−三浦監督へ。監督として5年間の戦いを終えた気持ちは
「監督として5年間、最下位からスタートした中で、年々チームとして、コーチもそうです。スタッフも選手たちも成長しながらAクラスで戦えるようになってきた中で、本当に充実した5年間だったと思います」
−三浦監督へ。退任を決断した具体的な理由やタイミングはどんなところにあったのか
「昨年クライマックスを勝ち上がって日本シリーズで優勝できて、今年もリーグ優勝からもう1度舞台に立つというところで、やっぱりリーグ優勝できなかった。そこですね。そこが一番。シーズン始まる前からそこを目指して全員で戦ってきた中で、それが達成できなかった。それが一番大きいですね」
−三浦監督へ。日本一からリーグ優勝を目指した今シーズンは改めてどんな1年間だった
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「全員がその同じ目標で、本気でそこを目指して戦っていく中で、なかなか思い通りにいかなかったり、苦しんだりした時もありましたし、1つになって戦って勝てた試合もたくさんありましたし。そうですね。やっぱりリーグ優勝できなかった、悔しかったシーズンですね」
−三浦監督へ印象残ったこと
「まず監督就任して最初に、1勝目挙げるまでに時間がかかった。1つ勝つことがどれだけ大変なことなのか改めて感じましたし、そのなかで戦っていく、年々こう選手たちが成長していく中で、最後まで諦めない姿勢、毎試合横浜スタジアムにたくさんの方が声援を送って、そのなかで戦えているっていう、それも幸せでしたし。昨年、クライマックスからでしたけど、日本シリーズ優勝できた試合もそうですし、そのあと横浜の街全体でたくさんのファンの方と喜び合えたことが印象に残ってます」
−三浦監督へ。監督として意識したこと
「意識したことは全員で戦う。選手だけじゃなく監督コーチスタッフも、ファンの方も一緒に全員で戦うっていう、その気持ちで常に過ごしていました」
−三浦監督へ。選手からもらった言葉は
「選手からかけられてですか? 直接、普段はたわいもない話しもしてますし。やっぱり負けたら悔しいっていうね、悔しさって表情とかもそうですし、全員が本当に悔しがれたっていう、選手たちの表情、言葉じゃなくね、表情とかがすごく印象に残ってます」
−三浦監督へ。支えになったことは
「一緒に戦ってくれる仲間たちですよね。選手も、コーチもそうですし、球団スタッフのかたも、ファンの方も毎試合、きょう勝つぞっていう気持ちで、背中を押してくれた。あとは家族ですね。家族はどんなときも味方でいてくれた。大変な思いもさせたと思うが、それでもそういうところを見せずに、最後の最後まで応援してくれてました」
−三浦監督へ。今後は
「死ぬまで野球から離れられないし、離れたくないですし。またね、野球をもっともっと勉強して、そして野球の楽しさ、面白さをたくさんの人に伝えていきたい」
−三浦監督へ。横浜の街とは
「高校卒業してこの街に来て、34年ですか、34年間ね、本当にあの大好きな街ですよ。育ててくれましたし、横浜スタジアムも大好きですし、横浜の街も。たくさんの方がオフの日でも頑張ってねと声をかけていただきますし。大好きな街ですね」
−三浦監督へ。プライベートでやりたいことは
「まずはゆっくりしたい。ちょっとのんびりしたいと思ってます」
−三浦監督から相川新監督へ
「選手、現役の時も一緒に戦って、オリンピックも一緒にいきましたし。対戦もしましたし。そしてコーチとして戻ってきてくれた中で、一緒に毎試合毎試合いろんな話しながら、あーでもない、こうでもないって言いながらね、よくアドバイスをしてもらいましたし、助けてくれました。来年から監督ってことで、いろいろあると思う。横で見てきた中で、相川新監督がね、考える部分とか、感じた部分とかね、自分だったらっていう思いもいっぱいあったと思うんですよ。それを来シーズンからは遠慮なく、思い切ってだしてもらいたいなと思います」
−三浦監督から相川新監督に伝えたいこと
「頑張れよと。まあでもね、相川新監督だけじゃなくね、周りにたくさんの仲間がいますし、たくさんのファンの方が背中押してくれますから。一人じゃないんだってことをね、思いながら頑張って欲しいなと思います」
−三浦監督にとってベイスターズとは
「自分を育ててくれた、野球だけじゃなく人としてもいろいろ教えていただいたチームですね」
−三浦監督からファンへメッセージ
「監督としてリーグ優勝できませんでしたが、毎試合熱く最後まで諦めずに熱い声援送っていただき、ありがとうございました。今年で監督をやめますが、横浜DeNAベイスターズ、これからも応援して、皆さんと一緒にリーグ優勝、そして日本一目指してもっともっと横浜DeNAベイスターズを応援していただけたらなと思います。ありがとうございました」
−相川新監督へ。監督就任の話しを聞いて
「なかなか武者震いすることってこの年になってくるとないが、来年監督っていう話しを聞いたときは体が震えるというか、まさに武者震いするような全身に血が駆け巡るような思いでした」
−相川新監督へ。決断した一番の理由は
「社長も言ってくれたが、今まで三浦さんがつくってきたもの、チームがつくってきたものをそのまま継承していけるような形でやっていきたいと話しを聞いて。ぜひ、そこに微力だと思うが貢献したいと思ったのが一番です」
−相川新監督へ。背番号への思いは
「監督と先ほども話してたんですが30年、監督と出会って経つんですけど。本当に長く僕が18歳のころからの付き合いで。その監督のもと、4年間やってきて、監督がつくりあげてきたもの、これをまさにアップデートするというか、もっと付け足していって、リーグ優勝を達成したいと考えている」
−相川新監督へ。1軍監督になりたいという思いはあったか
「はい。1軍監督というのは指導者になってからは想像しながらコーチを務めていました」
−三浦監督へ。背番号81を渡す率直な気持ちは
「僕も先ほどその話をしたところなので。もう相川新監督がよければ、もう思うようにやってもらいたいと思います。継承してつけたいという思いを聞いた時はうれしかったですね」
−相川新監督へ。背番号81を背負うと決めたのはいつ。どういう気持ちで背負うか
「まず社長に相談して、背番号はどうしようかという話があって、もし三浦さんが良ければ三浦さんの背番号を付けさせてもらいたいと。三浦さんにも相談して、先ほどもお前が好きなようにしろよと言ってくれたので。先ほども申したように、何十年三浦さんにはお世話になっていて、コーチになっても4年間三浦さんの下でやってきた。そして、それをまたチームとしても継承するという理由で監督の81番をつけさせてほしいということをお伝えしました」
−相川新監督へ。新監督1年目でもありながら三浦体制6年目というような考え方もできる。来年の1年目でリーグ優勝という気持ちは今固まっている
「先ほどから言ってますけど、4年目で、4年間本当に優勝できると思って優勝も日本一もできると思って戦ってきてますし、来年もそれは変わらないです」
−相川新監督へ。三浦監督の尊敬している部分
「監督の元にコーチとして行って、とにかく自分の話をよく聞いてくれて。なかなか人それぞれイメージって違うと思うんですけど、監督っていう中で、やっぱり聞く耳をすごく持ってくれてるっていうところは、僕にとってはすごく尊敬していたところです」
−相川新監督へ。データ野球。どのように強くしていくか
「現在もセイバーメトリックスの統計学というのは野球の中でかなり浸透していると思う。僕は日本の野球にも素晴らしいところは数多くあるし、先人たちが野球っていう、またメジャーリーグとは違う野球を今まで築いてきたものを組み合わせれば1番いいことだと僕は考えているので、なんとかそこを融合できればと思ってます」
−三浦監督へ。相川監督はどんな捕手、コーチだったか
「現役時もバッテリーを組んだ中で、本当いろいろよく話をしたなと。たくさんの相手打者と対戦するときのまず1球目どうするか。次の対戦どうするかっていうところで、自分も意見は言いますけども、相川新監督はもうどんどんこの意見を言ってくれる。お互い話をして、対等に、先輩後輩ではありましたけども、対等にその野球の話ができた。それも監督、コーチとなったとしても、それは変わらず遠慮なく思った意見も言ってくれてましたし、一緒に勝つっていう目的は一緒だった。そこの勝ちを目指し、勝つことに執着して、いろんなことを考えて、そこだけを向いて取り組んでる選手、コーチでした」
−三浦監督へ。この5年間で学んだこと
「監督としてチームマネジメントっていうところもたくさんのことを学ばせていただきました。その中でやっぱり今ずっと自分が大事にしていたコミュニケーションていうのがすごく大きな武器になりました。そういうことを考えればたくさんのことを得られたかなと。その試合で勝った負けたっていう結果もそうですし、結果以外の部分でも、その人と人とのつながりというものがどんどん、どんどん広がって深くなった時間でしたね」
−三浦監督へ。相川監督に大事にして欲しいこと
「コーチとして4年間戻ってきてくれて、そこでいろんなことを感じたと思うんですよね。その思ったこと、感じたことをね、来シーズンからは監督として遠慮なく出していってほしいなと思います」
−相川新監督へ。小さいことを突き詰めれば、と。突き詰められる部分は。具体的に。
「『凡事徹底』と監督からいつも言われていたこと、実際に守備前、打撃前も、基本的には打っていかなくちゃいけない、当たり前ですけど、守らないといけないというところで、細かい、ピッチャーであればクイックであったり、走者を背負ったときの投球。守備面であれば、取れるアウトは確実に取っていく。本当に小さいところのそういうミスからなかなか勝てないということが多々あると思うので。そこを突き詰めていって、打者であっても一緒だと思うんですよね。チームバッティングの重要性も。得点の期待値から考えるとアウトになることって、余り良くはないことではありますけど、そういうものをしっかり考えながら、チームとしてできるようなチームになっていけば必ず優勝できる」
−相川新監督へ。三浦監督のチームスローガンは横浜○○。そこも継承するか
「そこまでは考えてないです。三浦監督と相談して、チームの方とも相談して、来年どうするのかこれから話し合っていきたい」
−相川新監督へ。ドラフトのくじ引き
「そこも含めて、またこれからチームの方と話し合って。引けるんであれば引きたいです」
−木村社長へ。2人の新旧監督による同席会見は珍しい
「今回このような会見させていただいたのは、ベイスターズでは我々の知ってる限り初めてではないかと思っています。やっぱり三浦監督というフランチャイズプレーヤーとしてずっとやられてきた方がここまでの功績を残した中で、当然我々としても、それを引き継いでより進化をすることを選んでいる中で、そのメッセージが一番伝わりやすい形って何だろうと社内で議論しまして、直後にドラフトも控えていることも材料として考えたうえで、おふたりと相談させていただいて、それだったら一緒に会見しようという結論に達しました」
−三浦監督へ。退任の決断されたことが世の中に出たのは9月29日。引退試合と同じ日付。これに縁を感じたか
「全く、考えてなかったですね。たまたまその日になっただけで。あとから周りから言われて。そういえばそうだなという感じでした」
−相川新監督へ。南場オーナーが最終戦後、チームのいいときと悪いときとの差があるという話をされていた。チームの課題は
「今年も9月の戦いは素晴らしい戦いができた。それを1年間続けるのはなかなか難しいことかもしれないですけど、それをできなければリーグ優勝できない、苦しいときにどう踏ん張るか、っていうところがチームとして一番重要なところ。最低でも月単位でいえばマイナスをつくらない。常にプラスをつくって1年間、半年戦っていくことがすごく重要。まずそれができるチームだと。順位が9月ということである程度だと決まって中での戦いかもしれませんが、できるというのは事実ですし。昨年もそうですし、ここ一番で力を出せるチームいはなっている。うまく1年間通して戦っていくチームになっていくことが重要」
−木村社長へ。三浦監督の今後の役職、肩書は
「戦いが終わってからゆっくりお話しさせていただくということでご相談していましたので、具体的に決まっているということはなく、決まりましたら、速やかに発表したいと思っています」
−相川新監督へ。最初に入団した横浜に還元したいという思いあっての監督就任だったのか
「はい、もちろん、そうですね、14年間選手としてお世話になった。最初の思いは、やっぱり三浦監督のもとで優勝、リーグ優勝を目指すことが目標でしたが、素晴らしいチーム、球団スタッフ、選手ともに、ほんとに違うチームに生まれ変わっているというか、こんなに素晴らしいチームになっているんだというのがうれしくて、本当にチームのために強くすることができれば。ベイスターズで戦いたいなっていう思いが日に日に強くなっていったし、そのチームで優勝したいという思いが強くなってきました」
−相川新監督へ。三浦監督は横浜の街ごと大好きだと。相川監督も?
「そうです。はい」
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