
前編: 大谷翔平とウィリー・スタージェル
大谷翔平が地区優勝決定シリーズ第4戦の第3打席で放ったドジャー・スタジアムでの場外弾。その52年前、同球場で自身2発目の場外弾を放った選手がいた。メジャーリーグのオールドファンに馴染み深いウィリー・スタージェルである。
ピッツバーグ・パイレーツひと筋で現役を貫いたスタージェルとは何者なのか。スタージェルの現役時代、そして現在の大谷も現場で見ている関係者の言葉を中心に、掘り起こす。
【ドジャー・スタジアムの場外弾はこれまで6発】
10月17日(日本時間18日)、ロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平がMLBポストシーズン史上に残る"最高のパフォーマンス"を見せた。ミルウォーキー・ブルワーズとの地区優勝決定シリーズ。3連勝で王手をかけて迎えた第4戦、打っては場外本塁打を含む3本塁打、投げては7回途中まで2安打無失点・10奪三振で勝ち投手。チームを2年連続のワールドシリーズ進出へと導いた。
なかでも筆者の心を躍らせたのは、4回に飛び出した場外弾だった。打球速度116.9マイル(約188.1キロ)、打球角度33度、飛距離469フィート(約142.9メートル)――ドジャー・スタジアム特有の外野スタンド屋根の上部に当たった打球は、跳ねてスタンドの外へと消えていった。
|
|
覚えている読者もいるのではないだろうか。昨年7月21日、大谷の30号本塁打は"あわや場外"という当たりだった。ボストン・レッドソックス戦でセンター右へ弾き返した打球は、速度116.7マイル(約187.8キロ)、角度28度、飛距離473フィート(約144.1メートル)。今回とほとんど変わらぬ飛距離だったが、センター右方向ではわずかに場外までは届かず、屋根の下――ダイソーの看板付近に落下した。
そのとき、筆者は思った。大谷は10年契約の身。いつか必ず、この球場で本物の場外弾を放つ日が来るだろう――そう考えて、スタジアムの構造や過去の記録を取材しておくことにした。
ドジャー・スタジアムの外野スタンド奥には、右翼ポールから左翼ポールまでをつなぐコンコースがある。その外壁の裏側には、ホームベース型のプレートが6枚掲げられており、いずれもこの球場で放たれた場外ホームランを記念している。右打者がレフト方向に放った場外弾は、これまでに4人。ドジャースの選手では唯一、マイク・ピアザが1997年9月21日に記録した478フィート。ほかに、1999年5月22日のマーク・マグワイア(セントルイス・カージナルス、483フィート)、2015年5月12日のジアンカルロ・スタントン(フロリダ・マーリンズ、478フィート)、そして2021年9月30日のフェルナンド・タティス(サンディエゴ・パドレス、467フィート)がその名を刻んでいる。
一方、ライト方向への場外ホームランを記録した左打者は、2024年までただひとりしかいない。しかも、その一発はドジャー・スタジアム史上、最長の飛距離を誇るものだった。ライト側にそびえる巨大な電光掲示板の裏側――ホームベースから見て右手の柱の下には、「507フィート(約154.5メートル)」の表示がある。これは1969年8月5日、ピッツバーグ・パイレーツのウィリー・スタージェルが放った伝説の場外弾を示している。スタージェルはこの球場で、もう一本場外ホームランを放っている。それは1973年5月8日の一撃で、飛距離は470フィート(約143.3メートル)だった。
【大谷の場外弾は「時間の問題」とコーチたちは語っていた】
大谷翔平は果たして場外弾を打てるのか。彼の打撃練習を日々見守っている打撃コーチ陣は、口をそろえて「時間の問題だ」と断言した。ロバート・バンスコヨックコーチはこう話していた。
|
|
「翔平は十分なバットスピードとパワーを兼ね備えている。バットトラッキングのデータを見れば、スイングスピードは常にMLB全体でもトップクラス。ブラストの数値を見ても、速いスイングで正確に芯を捉える能力がリーグ随一だと証明されている」
アーロン・ベイツコーチも続ける。
「昔の記録では、ベーブ・ルースやミッキー・マントルが575フィートとか565フィートの特大ホームランを放ったとされているけど、当時のデータがどこまで正確だったかはわからない。確かなのは、翔平のほうがパワーがあるということ。しかも、力任せではない。てこの原理を巧みに使って、ボールを遠くに飛ばす。少なくとも1本か2本は、場外に届くはずだよ」
ただし、大谷は最もスイングスピードが上がる"引っ張りの打球"が必ずしも多くない。基本的にはボールを引きつけて、反対方向へ打ち返すタイプだ。今季の55本塁打のうち、引っ張った打球は半分以下の24本にとどまっている。いくらパワーがあっても、反対方向への場外弾はさすがに不可能だ。そんななか、今年10月8日にはフィラデルフィア・フィリーズの左打者カイル・シュワバーがひと足先にドジャー・スタジアムで場外ホームランを放った。相手は山本由伸。455フィート(約139メートル)だった。ちなみにシュワバーは今季56本塁打のうち38本が引っ張り方向でプルヒッターである。
それにしても、スタージェルの「507フィート(約154.5メートル)」という数字は驚異的だ。そこで筆者は今年5月、スタージェルをよく知る人々に話を聞いた。
|
|
【証言者が語るスタージェルと大谷翔平の共通点】
1940年生まれのスタージェルは、パイレーツ一筋で21年間プレーしたスラッガーだ。通算本塁打は475本で、メジャー歴代32位タイ。数字だけを見ればトップではないが、彼の真骨頂は「飛距離の異常な長さ」にあった。1979年、スタージェルのパイレーツがワールドシリーズ制覇を果たした年、球団でインターンとして働いていたのが、現在パイレーツの実況アナウンサーを務めるグレッグ・ブラウン氏である。
ブラウン氏はこう振り返る。
「スタージェルの飛距離は、ドジャー・スタジアムだけの話ではありません。モントリオールのオリンピック・スタジアムには、1978年に彼が右翼席に打ち込んだ場所を示す座席がありました。フィラデルフィアのベテランズ・スタジアムでも、アッパーデッキの打ち込んだ地点に印が付けられました。ピッツバーグのスリーリバー・スタジアムにも、2〜4カ所、記念の座席が残されていたんです。スタージェルは、行く先々の球場に伝説の打球痕を残していったのです」
当時はまだインターリーグ戦がなかったため、ナ・リーグ各球場の約半分で、スタージェルが最長本塁打記録を保持していたという。なかでもオリンピック・スタジアムでの一撃は、535フィート(約163メートル)と測定された。その着弾地点の座席は、他の赤いシートとは異なり、特別に黄色に塗られていた。そして2004年、エクスポズがこの球場を去る際、座席はカナダ野球殿堂に寄贈された。
身長188センチ、体重85キロのスタージェルのパワーの源はどこにあったのか。ブラウン氏は、その秘密は独特の「ウインドミル・スイング」にあったと語る。
「ピッチャーの投球を待つ間、彼はずっとバットをぐるぐると回していました。ボールが来る直前にスイングの準備を整える、そんな動作です。打席では圧倒的な威圧感を放ち、バットスピードもものすごく速かった。打球音もボールの飛び方も、他の打者とはまったく違っていました」と証言する。
一方、リック・マンディ氏(79歳)はスタージェルより5歳下で、1970年代にシカゴ・カブスやドジャースでプレーしていた。対戦相手としてよく知る人物であり、現在はドジャースの球団専属解説者兼実況アナウンサーとして大谷を毎日見ている。比較するには、まさにうってつけの存在だ。
「ネクスト・バッターズ・サークルでは、普通の打者は重りのついたバットを振りますが、スタージェルはスレッジハンマー(建設や解体作業に使う、とても大きくて重いハンマーのようなバット)を振っていました。
ふたりには共通点がたくさんあります。パワーはケタ外れで、打球がとても高く上がる。スタージェルが打席に立つと、スタンドのファンは誰も席を立たず、息をのんで見つめていました。大谷も同じです。売店のスタッフさえ販売をやめて、彼の打席を見守るんです」
打球の速さも規格外だった。「私がカブスでプレーした最後の年(1976年)、センターから一塁にポジションを移しました。その最初の試合がパイレーツ戦で、スタージェルが打席に立ち、走者が一塁にいたんです。私は本当に怖かった。ランナーを一塁で抑えながら、スタージェルの打球に備えなければならなかったからです。先日も大谷が打席に入ったとき、内野陣は前進守備を敷いていたのに、一塁手だけは後ろに下がっていました。安全のためですよ」と笑っていた。
ドジャー・スタジアムで左打者が場外本塁打を放てば、実に52年ぶりの出来事となる。そしてそれが、ついに起きたのだ。マンディ氏はこう話していた。
「翔平はいつか必ず場外弾を打つでしょう。あるいは外野スタンドの屋根を壊してしまうかもしれませんね」。実際には、打球は屋根に当たって跳ね、場外のセンター・フィールド・プラザの茂みに消えていった。
つづく