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「立ち食いそば」といえば、忙しく働く人がちょっとの時間にさっとかき込めて、かつ財布に優しい「庶民の味方」というイメージがあるはずだ。
それを利用するのが、選挙運動中の政治家だ。普段はミシュランだなんだと高級店で会食をしているのに、この時期になると急にネットやSNSで「立ち食いそば」をすする写真などをアップする。今回の衆議院選挙でも、何人かの政治家が首都圏で展開する立ち食いそばチェーン「名代(なだい) 富士そば」(以下、富士そば)の名前を挙げて発信している。
「生配信前に富士そばで腹ごしらえ。安定の天玉そばでエネルギーチャージ完了」
「富士そばパワーで頑張ります!」
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ただ、そんな「庶民の味方」というイメージもこれから大きく変わっていくかもしれない。報道によれば「進化系立ち食いそば」なる新しいムーブメントが起きているというのだ。
最近は、都心の一等地でスターバックスのすぐ隣に、おしゃれなカフェのような立ち食いそば店が新たにオープンするほか、「グリーンカレーつけそば」など、斬新なメニューを提供する店が増えているのだ。
・“進化形”立ち食いそばメニューが続々 東京・日本橋は「グリーンカレー」、渋谷では「セリ」「ワイン」とのコラボも(FNNプライムオンライン 2026年1月29日)
「はいはい、どうせインバウンド対応でしょ」とシラける人も多いかもしれない。ご存じのない方もいらっしゃると思うが、実は今、世界的に「そば」の人気が急上昇している。
「世界が熱狂…日本のそば なぜ、知る人ぞ知る『浅草橋のそば店』に外国人?」(テレ朝NEWS 2025年12月20日)によれば、健康志向や、より日本っぽい食事を求める人々に大きな支持を集め、今やラーメンに次ぐ人気だという。そのため都心の立ち食いそばが外国人観光客で盛況なのはもちろん、東京では、そばの名産地として知られる調布市の「深大寺そば」や、老舗店なども外国人観光客が押しかけている。
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つまり、「進化系立ち食いそば」が増えている現象は、東京、大阪などにおしゃれなラーメン店、寿司店、和牛専門の焼肉店などが続々と増えているのと同じで、過去最多となる4268万人の訪日外国人観光客と、彼らがもたらす9.5兆円という過去最大の観光消費が「追い風」になっているのだ。
●「立ち食いそば」は誰のものか
……という話を聞くだけで、ムカムカする人もいるかもしれない。先ほど述べたように「立ち食いそば」は庶民の味方であり、忙しくて小遣いの少ないサラリーマンのオアシスでもある。
そこへ大きなスーツケースを引きずった外国人観光客が大勢で押しかけて、注文した品が来るたびにスマホで記念撮影をしたり、地図やガイドブックを広げて談笑する様子を見て、イラッとする人は多いはずだ。昼休みの時間が限られている人などは「時間に余裕があるのに、なんで昼休みにオフィス街のこんな店に来るんだよ」と腹を立ててしまう人もいるだろう。
サラリーマンや庶民が毎日のように利用する「立ち食いそば」ぐらいは「鎖国」、つまり外国人観光客は全面立ち入り禁止でもいいのではないか――。もっとも、今のご時世、「排外主義者」と叩かれてしまうので黙っているものの、心の奥底ではこのように感じている人も多いのではないか。
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そんな日本人の「静かな怒り」を象徴するような騒動が2025年末、先ほど登場した「富士そば」で起きている。都心のオフィス街にある店舗の入り口に「Notice」と書かれた掲示を出し、英語、中国語、韓国語で以下のようなメッセージを掲示したのだ。
「旅行者の方は、ランチタイムの来店をご遠慮ください。当店は、この近辺で働く人たち・学ぶ人たちを優先します」
ちょっと前に注目を集めた「日本人ファースト」を、これ以上ないほど分かりやすく実践した店というワケだ。
●批判よりも共感のほうが圧倒的に多いワケ
ご存じの方も多いだろうが、国籍や人種、言語などで店側が入店を拒否することは「人種差別撤廃条約」違反および民法上の不法行為として違法になる可能性がある。外国人という理由だけで入店を断った店が裁判で負けて、賠償を命じられたこともあるのだ。
この「Notice」では「旅行者」としており、国籍や人種を直接示してはいないが、外国人観光客に向けたものであることは明らかで、かなり攻めたメッセージと言っていい。これは「富士そば」本部の指示ではなく、店舗側が独断でやったものらしい。
現場が勝手に不適切な言動をしてSNSが大炎上……というのは、これまで多くの外食チェーンが味わってきたパターンだ。が、今回はちょっと様子が違った。
いつものような批判はあったものの、店の呼びかけに対して一定の理解を示したり、共感したりする声が圧倒的に多かったのである。実際、本部が謝罪して撤退することに対し「なぜ撤回する!」「余計なことをするな」と店を擁護するような声も一定数あった。
なぜこうなったのか。都市部や観光地で見るからに増えてきた外国人観光客に対する不満が爆発したということもあるが、この業態にとって、外国人観光客が「迷惑客」になりやすいという事情も大きい。
ご存じのように「立ち食いそば」のように「安さ」を訴求して、もうけの少ないビジネスモデルがなぜ存続できるのかというと、鍵になるのが「回転率」だからだ。
注文を受けてサッと作ったら、それをサッと食べて、サッと出ていく。その間は、わずか5分。早食いの人などはもっと短い。だから、椅子を置かず、極めて狭いスペースでも成立する。
しかし、外国人観光客はそんなに急ぐ理由がない。旅先で初めて出会った食文化に驚き、感動して、写真に収めて、余韻にひたる。同行者がいたら話に花も咲く。つまり、立ち食いそばのビジネスモデルを真正面から否定するような客だ。
そういう意味では、オフィス街で高い地代の中で、シビアに回転率を上げなくてはいけないこの「富士そば」の店舗責任者が抱える苦悩は容易に想像できる。あのような掲示をしたくなるのも無理はない。
●「鎖国系立ち食いそば」の道しかないのか
では、今回の「富士そば騒動」を踏まえてわれわれはどうすべきか。日本は内需の国であり、年間90万人ほどの日本国民が減っていくなかで、インバウンドへの依存は避けられない。つまり、外国人観光客はこれからも増えていく。
そんな中で「立ち食いそば」のようなビジネスモデルを守っていくには、やはりネットやSNS上で支持されがちな「鎖国」しかないのか。それとも「平等」の観点から、立ち食いそばのような店も外国人観光客にもどんどん「開放」していくべきなのか。
いろいろな意見があるだろうが、筆者は「温泉や銭湯と同じように、利用者啓発をしていく」道が、最も現実的ではないかと思っている。
皆さんも観光地の日帰り温泉や温泉宿の脱衣所で、温泉の入り方に関するマナーやNG行為をイラストと多言語で説明したポスターを目にしたことがあるだろう。体を洗ってから湯船に入るとか、タオルをお湯の中に入れないなどの「温泉文化・入浴文化」を尊重しなくてはいけないことを、分かりやすく掲示しているのだ。
今ほどインバウンドが騒がれていなかった10年ほど前、全国で外国人観光客による温泉や銭湯のトラブルが多発した。体を洗わずに入る、カメラで記念撮影する、全身タトゥーで入浴する。そうした人たちへの対応に、多くの施設が頭を悩ませた。
そこで生まれたのが、このような「HOW TO ONSEN」といった啓発活動だ。もちろん、今でも温泉や銭湯でマナーの悪い外国人観光客もいるが、浴室にこのような掲示がたくさん貼られ、ガイドブック、ゲストハウス、ホテルなどにも配布されたことで、この10年でかなり改善された。
同じような取り組みとして「立ち食いそば版」を作成して、観光地にある立ち食いそば店では、入り口に掲示するのだ。
●日本人も海外では同じだった
例えば、「ここは近隣で働く人たちが、短い休み時間にランチを食べに来る店ですので、お昼時は非常に混雑します」とか「日本の立ち食いそばは、サッと注文して、黙ってサッと食べて、サッと出ていく文化です。食後の休憩は近隣のカフェをご利用ください」など。
つまり、「立ち食いそば」というのは温泉や銭湯と同じく、日本独特の文化であって、ここを利用する以上、日本のルールに従うことを入店条件とし店の入り口に大きく掲示して、守れない場合は入店をお断りする。これならば国籍や人種での拒否ではないので、人権侵害にもならない。
一番のネックは「立ち食いそば」は基本的に個人経営店が多くて、業界団体のようなものがないので、こうした統一ルールを進められるような体制がないことだ。そこで考えられるのは、「ゆで太郎」や「富士そば」など大きな規模に成長した店もあるので、このような人々がリーダーシップをとって、ルールの啓発を進めていくことだろう。
「観光に行くんなら、その国のことをちゃんと勉強するべきだろう。こんなもんは大した効果もないから鎖国すべきだ!」という意見もあるだろうが、何を隠そう、こういう文化啓発のおかげでわれわれ自身も変わったという過去がある。
1980年代、日本人観光客は今の中国人観光客並みに嫌われていた。ローマの教会でミサ中にドカドカとツアー客がやって来てフラッシュをたきヒンシュクを買い、ハワイで地元民が大事に保護していたビーチを荒らし、東南アジアの夜の街では、企業や町内会の団体ツアー客が大暴れ、中には「売春ツアー」のようなものまであった。
あまりのやりたい放題ぶりに米『TIME(タイム)』誌では「世界の観光地を荒らすバーバリアン」と特集されるほどだった。しかし、それを恥じた日本、そして受け入れ国側双方で、日本人観光客に対する「文化啓発」が広まった。
ここでは写真を撮ってはいけません、この国ではこういうことがマナーです、ということを、分かりやすく図で解説した資料が配布され、現地の言葉を知らない、文化をよく知らない日本人でも、現地の人に迷惑をかけずに観光を楽しめるようになったのである。
●「そば」が世界で愛される日本食になるために
人は、自分に都合の悪いことほど、すぐに忘れてしまう生き物だ。日本人もこうした恥ずべき過去があったにもかかわらず、そんなことは一切なかったように、日本にやって来る外国人観光客は、常識もモラルも欠けた「バーバリアン」だとして憎悪を向けている。
日本人観光客に置き換えてみてもらいたい。異国の屋台でどんなルール、買い方、食べ方が推奨されているのかなんて知らずに、その国を観光する人などいくらでもいるではないか。
皆さんも海外旅行に行って、現地の食事を楽しみにして店に向かったら「外国人観光客お断り」「英語を話せない方の入店をお断りします」とあったらどうか。日本で外国人観光客を店から締め出すことは、われわれ自身も海外で同じような仕打ちをされても文句が言えないということだ。世界は日本を中心にまわっているわけではないのだ。
「そば」が本当の意味で、世界に愛される日本食になるためにも、立ち食いそば業界の方たちには「この近くの働く人たち」だけではなく、広い世界に目を向けていただきたい。
(窪田順生)
※下記の関連記事にある『【完全版】富士そば「外国人観光客お断り」は悪なのか 立ち食いそば騒動が問いかけた現実』では、配信していない豊富な写真とともに記事を閲覧できます。
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