私を“ゴミ扱い”する夫や義父母から逃げ出し、結局「生活保護」に。38歳シングルマザーの困窮

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2024年10月12日 22:11  All About

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結婚後、同居の義両親だけでなく夫からも虐待を受けるようになった女性。よちよち歩きの娘にまで暴力を振るう夫を目撃し、婚家から逃げ出した。しかし、シングルマザーが自立することは「思った以上に厳しい」のだった。
モラハラはもとより、ときには暴力をふるわれ、子どもにまで手を上げた夫を見れば、多くの女性は離婚を決意するだろう。

だが、その後の生活が物的にも心理的にも「思った以上に厳しい」と嘆く女性は少なくない。

結婚当初から「ふしだらな女」扱い

夫、同居する義父に家政婦扱いされ、「10年にわたる結婚生活で、心から安心して笑ったことは一度もない」と言うアツコさん(38歳)。28歳のとき、付き合って半年たつ4歳年上の彼からプロポーズされた。同時に妊娠が発覚、妊娠を機に結婚したわけではないのだが、義父母からは「ふしだらな女」と面と向かって言われた。

それでもなんとか婚姻届を出して夫の実家に引っ越した。結婚式も挙げなかった。

「義父は義母へのモラハラがひどかったですね。そんな義母だから、ひとりっ子である息子だけが頼り。だけど義父の薫陶を受けた夫は、自分の母親のことも『母さんは頭悪いんだから、しょうがないよ』と言う始末。義母はたまったストレスを私にぶつけ、義父も夫も私をゴミみたいに見ていました。

一緒に食卓につくのが当然だと思っていたら、『あなたはお給仕しなくちゃいけないんだから、そっちに座っていなさい』と言われ、家族の食事が終わってから残り物を食べさせられていました。妊娠中なのに……」

女性を下に見る父親だった

アツコさんが育った家庭も、決して穏やかではなかった。わがままな父に尽くす母という図式だったが、父は暴力はふるわなかった。暴言も吐かなかったが、ただ陰湿に黙り込むタイプだった。どちらの家庭も、女性を下に見ていることに変わりはない。

「それでも最初のうち、夫は『ごめんな。いつか別居するから』と言ってくれたんです。でもそれは口だけ。そのうち、つわりに苦しむ私に『なんだかこっちまで気持ち悪くなるから、ごはんを作り終わったら2階にいてくれない?』と言うようになった。

ひとりで2階に上がって横になっていると、階下では義父母と夫が楽しそうに話している声が聞こえてくる。私なんかいない方がいいんだろうなと思っていました。実家でもそんなふうに思ってばかりいたので、どこにいても私はそうなんだ……と」

アツコさんの目に涙がたまっていく。彼女は短大を出て入った会社を、結婚するとき夫に辞めるよう言われて素直に退職していた。仕事さえあれば、と何度思ったことだろうと述懐する。

娘が産まれてからも、彼女は婚家に居場所を作れなかった。

泣き止まない子、私をバーンと叩く夫

初孫だというのに義父母はあまり喜んだ様子はない。親戚が来たときだけ、「かわいいでしょう」と自慢していたが、世話をしてくれたこともなかった。

「子どもが泣きやまなかったとき、夫が私の頭をバーンと叩いたんです。何も言わずに。意味がわからなかったけど、苛立っていることだけは伝わってきた。同時に怒りがわきました。あなたの子でもあるんですけどと言いたかった」

子どもがよちよち歩きをするようになれば、親はハラハラしながらもうれしがるものだが、ある日、夫は家の中でよちよち歩く娘が邪魔だったのだろう、足をかけて転ばせた。アツコさんは夫に背を向けて、洗濯物を畳んでいたのだが、その瞬間だけ振り向いて見てしまった。夫と目が合った。娘が火がついたように泣き出した。

「娘を抱きしめて、言葉も発しないままに夫を睨みつけました。夫は『なんだよ、その目は』と私の髪の毛を引っ張った。なぜそこまで嫌われているのかわかりませんでした」

階下からは、「うるさいわよ」と義母の声が響いてくる。アツコさんは翌日、娘を連れて家を出た。実家に戻るわけにもいかず、いとこを頼った。

「いとこも結婚しているので、そうそう長くはいられない。数日で、今度は友だちの家へ。でも夫が迎えに来て、どうしても戻ってほしいって言われて」

戻ってみたら、義父母からのいじめと夫の暴力はさらにひどくなっていった。娘が5歳になったとき、夫に突き飛ばされてアツコさんは鎖骨を折った。ここにいたら生きていられないとアツコさんは感じた。

「また友だちの家に避難し、彼女の協力もあって支援団体とつながることができました。それから仕事を探して、2年かけて離婚して」

離婚後の生活がうまくいかず生活保護に

これからは娘とふたりで生きていこう、貧乏でもいい。そう思っていたアツコさんだが、離婚して1年後、体調を崩して入院。そこから自分でも心身が崩れていくような疲れを感じ、とうとう仕事を辞めるしかなくなった。

「それからは生活保護を受けています。本当は受けたくなかったけど、どうにもならなかった。今は少し体調も回復してきたので仕事を探し始めているんですが、なかなか見つからない。9歳の娘に慰められる日々です」

節約を重ねる日々にも疲れた。あのまま婚家にいたら、今よりましな暮らしができたはずだという思いが最近、強くなってきて、くよくよ考えてばかりいるという。

「あのときは身の危険すら感じていたから逃げたのに、離婚して意気揚々とうまく生きていくことができなくなると、やっぱり婚家の生活の方がよかったんじゃないかと思い始めて。弱いですよね、私。

シングルマザーで強く元気に頑張っている女性はたくさんいるのに、私はすぐに『ダメな人間だ』とあきらめてしまうんです。自分でも情けなくて」

生活保護から脱してきちんと自立しなければと思いながら、それがうまくいかない焦燥感が空回りしているだけだと彼女はつぶやいた。それでも頑張っていくしかないんですけどねと、最後に彼女は少しだけ明るい声で言った。

亀山 早苗プロフィール

明治大学文学部卒業。男女の人間模様を中心に20年以上にわたって取材を重ね、女性の生き方についての問題提起を続けている。恋愛や結婚・離婚、性の問題、貧困、ひきこもりなど幅広く執筆。趣味はくまモンの追っかけ、落語、歌舞伎など古典芸能鑑賞。
(文:亀山 早苗(フリーライター))

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