夫は「味音痴」だと思っていた
「うちの夫は体育会系の人で、何でもがつがつ元気に食べる。デートのときの食事が丼飯だったときは驚きましたけど、気取りがなくていいなと思っていました」セイコさん(42歳)はそう言う。結婚して14年経つが、つい最近まで彼女はずっと、「夫は味音痴」だと思い込んでいたのだという。
彼女は高校生のころから料理が好きで、自分でお弁当を作っていたほど。仕事をしている両親や弟の分まで毎朝作り、家族に「おいしい」と感謝されていた。
「結婚当初は、私が作る料理をおいしいと食べていたんです。だけど子どもが産まれて私が夫に目がいかなくなったからなのか、いつの間にかアレンジして食べるようになっていた。
きちんと出汁をとった薄味の煮物を出すとするでしょう? そうすると夫はそこにしょう油をドバッとかけて、さらに紅ショウガなんかを乗せるわけですよ。あまりにショックで、夫の行動に気付いて以来、どうしてそんなことをしているのか聞くことすらできなくなっていました」
「味変」は、料理好きにとっては屈辱
一生懸命手をかけて作ったものを、味見もせずにアレンジされるのは、ある種の屈辱だろう。だが、どうしてそんなことをするのかと尋ねるのはプライドが許さなかった。だから夫は味音痴なのだと決めつけていたのかもしれないと彼女は言う。
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「時間的に難しいときは義母が料理を作ってくれましたが、子どもたちは私の味に慣れているためあまり食べないんですよ。夫は義母に気を遣い、子どもたちを諭すために、義母の料理をおいしいおいしいと食べていた。私が作るといきなり紅ショウガなのに」
だんだんセイコさんの我慢も限界に達していた。かといって夫をなじるわけにもいかないし、家庭内で揉めるのは嫌だった。だからじっと黙って、なるべく義母に料理をしてもらうようにしていた。
義母が亡くなると、夫の発言に驚いた
1年前、義母が亡くなった。体調が悪いのに病院へ行くのを渋っていた義母が倒れたときには、すでに末期の膵臓がんと宣告された。夫だけがそれを聞き、母親本人にも妻にも話さなかった。セイコさんが知ったのは義母が亡くなってからだった。「それはおかしい、夫の判断は間違っていると思いました。義母には自分の命の終わりを知る権利があったはず。息子とはいえ他人が大事な情報を隠すのは違うと思う。そう言ったら、夫は『うるさい、いいんだ、母さんはオレなんだ』って叫んだんですよ」
いくつになっても息子は、母親に特別な思慕があるようだ。だが、それにしてもこの発言はセイコさんを驚かせた。
「なんだか、夫と私の間にずっとあったわだかまりの正体を見たような気持ちになりました。夫は母親に愛されて育ったはずなんですが、もっともっとと求めていたんでしょうね。結婚後はそれが私にすり替わった。
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セイコさんから見れば、ごく普通の母子に見えたが、夫の「母を求める気持ち」は想像を超えていたようだ。夫には3歳違いの兄がいた。兄は病弱で、小学校入学を目前に命尽きた。母親はその後、喪失感にさいなまれて、あまり次男である夫の面倒をみられなかったようだ。
だからこそ、夫は求めても求めても母親の愛情に満足できなかったのかもしれない。
パートナーのトラウマは見えづらい
「結婚するときは、兄がいたけど子どものころに病気で亡くなったとしか聞いていなかった。夫はそのことは話したくなかったんでしょう。義母はもしかしたら、自分が次男を苦しめたと気づいていなかったかもしれない。そういうことも話してくれていれば、私は夫に、もう少し別の接し方をしていたかもしれません」何年結婚生活を送っていても、相手の心の奥深くを知ることはできない。夫は夫で、パートナーだからといって、子どものころから引きずるトラウマを告白することはできなかったのだろう。根深く浸潤したトラウマは、強烈なトラウマと違って自分でも把握しきれていないこともある。
「なんとなく習慣で家庭生活を続けていますが、夫との関係はもう一度見直さなければいけないんだろうなとは思っています。この14年を一度総括しないと、私は先には進めない。もうじき義母の1周忌なんです。それをきっかけに話そうと思っています」
「夫は味音痴」という話の裏に、それほど深い夫の苦悩があったことに、セイコさんも衝撃を受けた。だが、このまま夫も自分も、何もかも見て見ぬふりをし続けてはいけないような気がする。彼女は覚悟を決めたかのようにきっぱりとそう言った。
亀山 早苗プロフィール
明治大学文学部卒業。男女の人間模様を中心に20年以上にわたって取材を重ね、女性の生き方についての問題提起を続けている。恋愛や結婚・離婚、性の問題、貧困、ひきこもりなど幅広く執筆。趣味はくまモンの追っかけ、落語、歌舞伎など古典芸能鑑賞。
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