医師の偏在により地方や一部の診療科で医師不足が深刻化するなか、その原因の一つとされる美容クリニックへの医師流出を規制する対策を国が打ち出した。公的保険適用対象の診療に最低5年程度、従事しなければ、開業したクリニックに保険診療の提供をさせないという内容や、都道府県が開業医が多い地域で開業する医師に在宅医療や救急対応などを担うよう要請し、応じない場合は勧告を行うという内容が検討されている。医学部で医師を育成するためには多額の税金が投入されている一方、初期研修終了後に専攻医を経ずに直接、美容クリニックに就職する医師が急増していることには医療界でも問題視する向きが多いが、こうした国の施策は医師偏在の解消につながるのか。専門家の見解を交えて追ってみたい。
一般的に、医師は医師国家試験の合格後2年間は臨床研修の研修医として、その後3〜5年間は専攻医(旧・後期研修医)として働いた後に専門医資格を取得する。医師免許を取得する者の人数は年間約9000人いるが、近年ではその数%、約200人が臨床研修を終えた直後に専攻医を経ずに美容クリニックなどで働くとみられている。こうした動きを受けて、外科全般・産婦人科・小児科などで医師不足が顕著になりつつある一方、美容外科の診療所は23年時点で対20年比44%増の2016施設に増加し、美容外科の診療所に勤務する医師の数は22年時点で対16年比2.4倍の約1200人に増えたという(厚生労働省の調査による)。
この流れに歯止めをかけるべく、国は前述の対策を検討中だが、専攻医をスキップして美容クリニックで働く医師が増加している理由としては、専攻医の長時間サービス残業の常態化による過酷な労働と賃金の低さがあげられる。一方、大手美容外科クリニックの医師の給与は高い。求人サイトなどによれば、たとえば湘南美容クリニックの提示年収は2200万円で、研修医1年目の応募も可能、未経験可となっている。東京中央美容外科(TCB)は医師採用専用サイト上で年収3000万円〜と提示している。
「職業選択の自由という法律上の大前提があるものの、医療が保険料という国民から集めた事実上の公金で運営されている以上、医師偏在の解消のために保険適用診療を行う医療機関や医師に国が規制をかけたり、一定の条件を満たさない医師に保険適用診療をさせないという施策は合理的です。ちなみに自由診療で美容外科手術を行う美容クリニックの多くが皮膚科治療などの保険適用診療もやっているため、保険診療の提供ができないと経営的には痛手となります」(大学病院勤務の医師)
医師偏在のもう一つの要因とされるのが、医師の都市部への集中による地方での医師不足だ。厚労省はこの解消策として、必要な医師数を確保できない「重点医師偏在対策支援区域」で働く医師の手当増額や休日に代理出勤する医師の確保、周辺地域に医師を派遣する同区域外の中核病院への支援金支給の原資として保険料を使う案などを検討。開業医が多い地域で開業する医師に都道府県が在宅医療や救急対応などを担うよう要請し、応じない場合は補助金を交付しない案も検討されている。
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こうした厚労省の対策案は、医師偏在に有効となり得るのか。医師で特定非営利活動法人・医療ガバナンス研究所理事長、上昌広氏に解説してもらう。
厚労省が打ち出した美容クリニックへの規制や、地方勤務の医師への支援強化は、医師の偏在解消には役立たない。厚労省が美容クリニックを規制しようとしているのは、若手医師が労働環境が厳しくなく、収入も高いといわれている美容外科に進むと考えているからだ。初期研修を終え、そのまま美容外科に進む「直美」と呼ばれる医師たちは、年間200人といわれている。この結果、内科や外科などの従来型の診療科に進む医師が減るというわけだ。
これは詭弁だ。問題の本質は医師不足で、「直美」を規制しようが、問題は解決しないからだ。それは、我が国の医師養成数が極端に少ないからだ。図1をご覧いただきたい。経済協力開発機構(OECD)加盟国の中で、イスラエル、韓国に次いで少ないことがわかる。韓国は、政府が主導する形で医学部定員を大幅に増員した。
このことが日本で報じられることはほとんどない。厚労省は「医師は余る」と言い続けている。2006年に厚労省が発表した医師需給に関する検討会の報告書では、2022年には臨床に従事する医師数は、必要とされる数を超え、その後、過剰になると報告していた。日本の医師の養成数は、国際的に極めて少ないのだから、常識的にこんな事はありえない。
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厚労省は居直っている。そして、「医師は足りており、偏在が問題である」と言い続ける。だから、強制的に配置せねばならないというわけだ。医師の絶対数が足りなければ、必ず偏在が起こる。確かに、医師が都市部に集中し、僻地に少ない事は事実だ。ただ、人口減が進む我が国で地方都市の衰退は避けられない。地方の医師不足は、このような文脈で議論すべきだ。これは世界が共通して抱える問題で、オンライン診療の普及や、医師の業務独占を緩和し、看護師の権限を強化するなどの対応をとっている。
また、自治医科大学の設立から、医学部進学時の地域枠制度まで、厚労省は若者の職業選択や居住の自由という憲法で保障された人権を侵害してまで、巨額の税金を投入して、僻地対策を進めてきた。新たな規制を強化する前に、まずやるべきは、このような政策の検証である。もちろん十分な効果を果たしていないのであろう。
厚労省は政策課題に挙げないが、我が国で深刻な医師の偏在は、西高東低の偏在だ(図2)。都道府県の医師数は、地元での医師養成数と相関する(図3)。西高東低の形で偏在するのは、医学部が西日本に多いからだ。
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こうなるのは、我が国の近代史が影響している。現代の統治体制ができたのは、明治維新から戦前にかけてだ。中心になったのは、薩長を中心とした西国勢力である。西日本に官立の高等教育機関が優先的に設置されたのは、そのせいだ。この中には幕末の藩校が、そのまま国立大学へと発展したものが少なくない。東日本では、藩校が潰され、高等教育機関の設置は後回しにされた。戦前、九州には九州帝国大学、熊本医科大学、長崎医科大学の3つの官立大学が存在したが、関東・甲信越・東北地方に存在したのは、東京帝国大学、東北帝国大学、新潟医科大学、千葉医科大学の4つだけだ。この格差を、高度成長期の一県一医大政策がさらに拡大させた。1980年当時、人口442万人だった四国には新たに3つの国立医学部が新設されたが、人口537万人の千葉県は千葉大学があるという理由で新設されなかった。
このような格差が拡大したのは、西日本の県は小さく、東日本は大きいからだ。これは明治維新の勝者である西国は、各藩が独立を維持できた一方、東日本は合併を余儀なくされたからだ。この結果、県単位で予算を配分すれば、西に厚く、東に薄くなる。これが医師偏在の背景だ。
各地の教育は、高等教育機関への進学を目指して、高校、中学のレベルが上がる。教育格差は、地域の人材格差を固定する。ノーベル賞受賞者から総理大臣まで、西高東低での偏在が続いているのは、このような背景が影響している。我が国の医師偏在を緩和するには、このような歴史的見地に立った対応が必要だ。そのためには、東日本に医学部を新設するのがいい。若手医師への規制を強化しても、何も問題は解決しない。もっと合理的に議論すべきだ。
(文=Business Journal編集部、協力=上昌広/医師、医療ガバナンス研究所理事長)
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