「花園ラグビー場があった場所は昔、競馬場だった」。花園ラグビー場といえば大阪府東大阪市にあり、2019年ラグビーワールドカップ日本大会の会場で、毎年冬には全国高校ラグビーが行われる。そんな“聖地”と競馬にはつながりがあったという。歴史を追い続ける研究家に話を聞くと、花園競馬場にまつわる約100年前の謎が浮かび上がってきた。
「難しければ難しいほど解明したいという気持ちが沸いてきます」と話すのは、アマチュア歴史研究家のsakataishizukaさん(ペンネーム)。元々父親が花園ラグビー場を本拠地とする近鉄ラグビー部(現:花園近鉄ライナーズ)の選手で、チームと花園の歴史を調べる過程で競馬場のことを知った。ただ建設されたとされるのは100年近く前の1926年のこと。JRAの前身にあたる日本競馬会誕生の36年よりさらに前で資料はとぼしいことから、実は開催されたという確固たる証拠がない。
花園競馬場は近畿日本鉄道(当時は大阪電気軌道)が乗客数の向上を狙って建設したとされる。しかし26年秋に建設過程の中で小作農民による反対運動が発生。その後和解したことまでは東大阪市の市史やデジタル保存された当時の新聞記事で確認できた。ただネットを中心に伝わる「3日間のみ開催された」という説については資料が見つかっていない。現状では “幻の競馬場”ともいえる。
もちろん開催の記述があるのではと50年前に出された地方競馬史など、目をつける資料はある。しかし「精読したいのですが古く貴重な本であり、大学図書館の場合は、地元の図書館から紹介状を書いてもらうなど、様々なハードルがあってまだ実現していません」と、アマチュア研究家ならではの苦労を明かす。
そんな研究を続ける中で思いを巡らせているのは、花園競馬場が草競馬程度だったのか、それとも一大イベントだったのかである。「私は大阪電気軌道が集客という面でもメリットがあるので、大々的にやったのではと考えています。ただ近鉄の古い資料も見てみたのですが、ここにも記述がありません。もし3日間しか開催されなかったことが事実なら失敗だったという捉え方もできます」。
今後も文献を探しつつ、古地図などにも目を向けながら開催された証拠を見つけだし、後世に伝えたいと意気込む。その上で競馬の奥深さについても強調した。「Jリーグのセレッソ大阪がホームにしたヤンマースタジアム(大阪市)がある場所も元々は競馬場でした。競馬場には他の公営競技場にはない歴史があり、それだけ古くから人を魅了していたんだと感じます」。あなたの身近にある場所でもその昔、レースが行われていたかもしれない。
◇地元メディア編集長 活動に「ありがとうという気持ち」
東大阪市の地域情報サイト「週刊ひがしおおさか」の編集長・前田寛文さんも花園競馬場について取材。地域の高齢者への聞き取りも行ったが証拠は出てこなかった。前田さんは「ラグビー場がオープンしたことや皇族の方が来られたという話は出てきましたが、競馬場の話は一切出てこないんですよ」と振り返り、sakataishizukaさんの活動について、「東大阪について調べていただいてありがとうという気持ちです」と感謝した。
また今後の展開については、「花園周辺は軍用地だった過去もあり、なかなか資料が出てきにくい場所ではありますが、草競馬に近いものが行われた形跡が出てくるのでは」と展望を語った。
【花園ラグビー場と競馬場の年譜】
競馬場の建設が大阪電気軌道(大軌)によって計画
1926年9月:建設に伴う小作農民による反対運動
同年11月:反対運動解決
同年内:竣工?
〜この間、資材置き場だったとされる〜
1928年:秩父宮雍仁親王が大軌に乗車中にラグビー場建設を提案
1929年:花園ラグビー場開場