「黙らせたい」「悪魔では?」と思うほど
「うちは8歳と6歳、2人の男の子がいるんですが、次男が本当に口が達者で、しかも聞き分けがない。時々、悪魔のように思うほどなんです」アスカさん(40歳)はそう言って顔をしかめた。疲れているのだろうが、眉間に寄る縦じわが切ない。
「実は夫が転職して収入が激減。本人は『嫌な人間関係から脱することができたから、今が結構幸せ』と言っていますが、夫の気持ちが穏やかになったからといって、私たちがじゅうぶんに食べていけるわけではない。私もパートで働かざるを得なくなりました。
夫にそう言ったら、『あのままだったら確実にオレ、自ら命を絶っていたと思う』と。それならそれで生命保険が入るけどねと思わず言ってしまいました。夫は『きみがそんな怖い女だと思わなかった』って。そうしたのは誰ですかとツッコみましたが」
やはり相当疲れている様子のアスカさん。パートの帰りにスーパーに寄って買い物をしてから、学童と保育園に息子たちを迎えに行く。そこから3人でそれぞれ自転車に乗って帰宅するのが日課となっている。
「子どもたちをスーパーに連れていくと、あれも食べたいこれも食べたいとなるので私一人で行くのが習慣になりました。それでも合流すると次男はまず、『今晩のおかずは何?』と聞いてくる。答えると『それは嫌だ』と。
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長男がなだめすかしてくれて帰ってくることが多いが、時には次男が他人の家の軒先で自転車を止め、「だってお母さん、どうして僕が嫌いなおかずを作るの? おかしいでしょ」と言い出す。なかなか頭の回転が速い子なのだ。
「口答えするな!」とキレる自分は罪深い
「わざとじゃない、栄養を考えているのと言っても『僕が好きなものはめったに作ってくれない、おかしいよ、お母さんのやることは』と。生意気なんですよね。そのころにはもう私の方が耐えられなくなっている。こんなところで時間を潰したくない。早く帰って洗濯物を取り込んで夕飯の準備をして、お風呂をわかして……と考えていると、カッと頭に血が上ってきて『口答えするな!』『おまえなんかここに捨てていってやる』とか言ってしまうんです……」
語気が荒いので周りの人が振り返る。そうするとアスカさんはますます頭に血が上って、なんとかこの場から子どもたちを連れ去りたいと思うのだそう。
「その時は、近所の家から年配の女性が出てきて、『ぼく、お母さんを困らせちゃだめよ』とお菓子をくれたんです。次男もさすがにバツが悪かったのか、ありがとうと受け取って黙りました。
『お母さんも大変だけど、子どもが小さいのは今のうちだけだから』と女性は笑顔でしたが、私はひたすら恥ずかしくて、ろくにお礼も言わないまま自転車をこぎ始めた。なんでこんな恥ずかしい目にあわなければいけないのか、次男を恨む気持ちがわいてきて」
子どものやることだからと思えない自分が罪深いとも思ったそうだ。
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私がしてしまったことを長男は見ていた
その後も数回そんなことがあり、長男は「お母さん、大丈夫?」と言うようになった。何もなければ穏やかな性格のはずが、次男のおしゃべりや自分への批判には「頭の後ろが熱くなるような怒り」を覚えてしまうらしい。「ある時とうとう道端でぐちぐち言っている次男の自転車を、誰にもわからないように足で小突いたんですよ。次男は自転車ごと倒れて泣き出した。わ、大変と言って助け起こしたんですが、それを長男は見ていたんですね。その晩遅く、夫から『疲れているなら、少し仕事を休んだらどうかな』と言われました。
話をしているうちに長男が夫に告げ口したんだとわかり、私は家族のためにこんなに頑張っているのに誰もわかってくれないと号泣してしまいました」
夫からは代理ミュンヒハウゼン症候群という言葉も出た。自ら子どもを虐待し、その子を懸命に看病したり心配したりする精神疾患である。夫はそれを心配したようだ。
だが、アスカさんの場合は、自分が計画した通りにものごとが進まないからイライラする、子どもという自分が支配すべき立場の人間が批判をしてくることなどが耐えられなかった。そしてベースには「私だけが頑張っている」ことへの絶望感があった。
「何もかも夫の転職から始まったと、夫への恨みが実は一番大きかったのかもしれません」
カウンセリングで落ち着きを取り戻した私
その後、カウンセリングにかかりながら、以前より夫とも会話するようになった。次男のおしゃべりや理屈っぽいところを、夫はむしろおもしろがっていたので、夫は帰宅すると次男とより多くの時間を過ごすようになった。
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家族だからといって子どもを支配するのも無理だと悟った。夫は家でできる副業を始めて、少しだが家計も楽になった。それがアスカさんの気持ちを大きく変えた。
「根本的な原因は、減収になっても平然としている夫が憎かったのかもしれません。夫が少しでも副収入を稼ごうとしているのを見たら、いや、私もがんばるよと素直に言えた。子育てのストレスとか、そういうことは後付けの私の言い訳だったのかなと思うこともあります」
自分のストレッサーが本当はどこにあるのか、なかなか気づけないこともあるだろう。話し終わったとき、アスカさんの表情は少し明るくなっていた。
亀山 早苗プロフィール
明治大学文学部卒業。男女の人間模様を中心に20年以上にわたって取材を重ね、女性の生き方についての問題提起を続けている。恋愛や結婚・離婚、性の問題、貧困、ひきこもりなど幅広く執筆。趣味はくまモンの追っかけ、落語、歌舞伎など古典芸能鑑賞。(文:亀山 早苗(フリーライター))