兵庫県姫路市在住の50代男性・Aさんは、まだ「花粉症」という言葉が一般的ではないころから、花粉症に悩まされていた。
当時小学生だった彼にとっては「謎のくしゃみ」が出つづける奇妙な症状。
何とかするためにバスで1時間かかる耳鼻科に通うことになったのだが......。
<Aさんからのおたより>
40年以上前のことです。小学3年生の私は謎のくしゃみに悩まされていました。
|
|
発熱も咳も無いのにただただくしゃみだけ出る不思議な状態でした。
今では「花粉症」と呼ばれるそれは当時、一般的な言葉ではなくて......。
小学3年生、1人で病院に通う日々
大した情報も無い時代。親があちこち聞いてようやくたどり着いたのはバスで片道1時間のとある耳鼻科の診療所でした。
平日しか診療をしていませんので、はじめの頃は親同伴でしたが、途中から一人で通うことに。
診療所最寄りの「地場産ビル前」という停留所だけを覚えて、毎週学校帰りに通院しました。
|
|
当時の私には大冒険でしたから最初はキョロキョロしていたと思います。
しかし慣れた頃にはバスの揺れも相まってうつらうつらするように。
自分でもそれが危険だと分かっていました。それでも学校終わりで、疲れもあって......。
そして、案の定やってしまいました。終点まで寝過ごしたのです。
窓から見える風景にパニック
窓から見えるのは、真っ暗な都会の景色。
|
|
半ばパニックになっている私に1人の女性がお声を掛けて下さいました。
「寝過ごしたんじゃない?」
「うん」と答えると、そうじゃないかと思って心配して気にかけて下さっていたとのこと。
どこに降りる予定かと聞かれ答えると、そこへ向かうバスを探し、そこまでの運賃も握らせてくださりました。
あの時の方へ。
あのあと無事に到着できました。時間が過ぎており診療は受けられませんでしたが、また帰りのバスに乗り帰宅できました。
帰りが予定より遅れた事で親がかなり心配していて、アレコレ聞かれたことは覚えています。
バスであったことを伝え、助けてくださった人のお顔も分からず、お名前も聞けず、ほとんどお礼らしいことも言えてないとわかると、こっぴどく怒られてしまいました。無念。
あのあと何度もお礼とお金を返そうとバス内を探しましたが、結局分からずじまい。
時は流れその停留所も無くなってしまいましたが、感謝の気持ちは消えていません。
あの時は見ず知らずの小さな冒険者にお声を掛けて下さり、ありがとうございました。
誰かに伝えたい「あの時はありがとう」、聞かせて!
名前も知らない、どこにいるかもわからない......。そんな誰かに伝えたい「ありがとう」や「ごめんなさい」を心の中に秘めている、という人もいるだろう。
Jタウンネットでは読者の皆さんの「『ありがとう』と伝えたいエピソード」「『ごめんなさい』を伝えたいエピソード」を募集している。
読者投稿フォームもしくは公式X(@jtown_net)のダイレクトメッセージ、メール(toko@j-town.net)から、具体的な内容(どんな風に親切にしてもらったのか、どんなことで助かったのか、どんなことをしてしまい謝りたいのかなど、500文字程度〜)、体験の時期・場所、あなたの住んでいる都道府県、年齢(20代、30代など大まかで結構です)、性別を明記してお送りください。秘密は厳守いたします。
(※本コラムでは、読者の皆さんに投稿していただいた体験談内の場所や固有名詞等の情報を、プライバシー配慮などのために変更している場合があります。あらかじめご了承ください)