在留外国人数が過去最高を記録するなか、SNSでは問題行動が目に余る一部の不良外国人を敵視する声も溢れる。果たして、共生の道はあるのか? 今回、日本で必死に生きる彼らの自宅に突撃。虐げられた魂の叫びに耳を傾けた。
今回は、静岡県磐田市にかつて存在した“スラム街”と呼ばれた団地で育ったHIPHOPグループ・GREEN KIDSにインタビュー。彼らが生まれ育った街でじっくり話を聞いてきた。
◆ACHA(28歳)
国籍:ペルー
日本滞在:26年
静岡県磐田市の東新町を拠点に活動するGREEN KIDSのリーダー。幼い頃は貧困や差別へのやり場のない怒りから「近所の自宅に空き瓶を放り投げて回った」こともあるという
◆“スラム”団地で育ち多国籍グループを率いる
静岡県磐田市には、かつて“スラム街”と呼ばれた団地がある。JR磐田駅から車で10分ほど。田畑が広がる先にあるのが、古びた5階建ての住居棟が並ぶ東新町団地だ。
1990年代、入管法が改正され日系3世までの定住資格が認められた。大手メーカーらが工場拠点を構える磐田市にも仕事を求め、南米から出稼ぎ労働者が来日。東新町団地も最盛期には8割が外国人の住む“コロニー”だった。
そんな団地で育った日系二世の多国籍HIPHOPグループ・GREEN KIDS。日本語にこだわった歌詞は差別や貧困、疎外感からくる怒り、暴力や犯罪に明け暮れた過去の日常について描かれている。
待ち合わせに現れた日系ペルー人のリーダー・ACHA(28歳)。見た目は強面だが、「今日はよろしくお願いします」と丁寧に挨拶された。
「老朽化で住民が減ったせいもあって、今は綺麗とよく言われます。俺らが小学生の頃はゴミだらけで、喧嘩や警察沙汰も絶えなかった。それがスラムって呼ばれていた所以かもしれないですね(笑)」
狭い階段を上がって2階に上がると彼の自宅だ。ベランダには洗濯物が揺れていて生活感が溢れる。家賃1万8200円の2DKの県営団地に、彼と母親と姪っ子と甥っ子の4人で暮らす。リビングに通されると、すでにGREEN KIDSのメンバーたちが酒盛りを始めていた。
◆貧困や差別との闘いだった学生時代
ACHAは福岡で生まれ、2歳の頃に両親が仕事を求めて磐田に移住。学生時代は貧困や差別との闘いだった。
「クラスや近所で何か問題が起こると俺のせいにされる。担任には『外人なんだから学校卒業したら行く先ないぞ』って言われて。今でもそいつの顔と名前は忘れていない」
両親は時給750円の非正規社員で家族を支えた。今も必要最低限の物しかない部屋は、決して余裕のある生活でないことをうかがわせる。
ACHAも高校には行かずに働いたが、懸命に仕事をしても変わらない現状を知った。貧困から抜け出す手段として、万引きや暴行、大麻売買にも手を出した。大半のメンバーに逮捕歴がある。
◆「差別はなくならない。俺らのリアルを誰かに伝えたい」
日系ブラジル人のBARCOは、「俺らは外人だから選べる仕事も時給も限られてる。すべてはカネがなかったから」と言葉を吐いた。
そのやり場のない気持ちをラップに昇華した。
「社会からの逃げ場が薬物になって、最後は団地から飛び降り自殺した知り合いもいます。差別はなくならない。俺らのリアルを誰かに伝えたい」
音楽活動も軌道に乗りつつあるが、メンバーの全員が生活のために非正規で働いている。日系ブラジル人の双子(兄のFlight-Aと弟のSwag-A)は建設業の会社を立ち上げている。Flight-Aが言う。
「俺らは遠征ライブの翌日でも必ず遅刻せず、朝から現場で汗を流すんだ。現場の連中が“お前ら外人だろ?”ってナメてくるなんてザラだよ。だから俺たちの腕前や働きぶりを見せつけてやるんだ。そうすると、最後にはみんな認めてくれる」
◆「テキトーに生きるな」という親の言葉
小学校の卒業アルバムを見ながら、ACHAは言う。
「親には『日本人は私たちを受け入れてくれている。だからテキトーに生きるな』と言われて育ちました。だから、音楽も仕事も真面目にやって、今の子供世代の手本となる背中を見せてやりたいですね」
取材後、団地から近い彼らの行きつけの定食屋で、一緒に乾杯した。音楽や恋の話を熱心に語る姿は日本の若者と変わらない。会計に向かうと、ACHAが駆け寄り、「今日はありがとうございました」と笑って、ご馳走してくれた。
「団地に生まれたことを憎む日もあった」という。過去をチカラに変え、今と向き合う彼らの姿に希望を垣間見た。
<取材・文/週刊SPA!編集部>
―[突撃ルポ[元不良外国人の自宅]]―