写真 2024年11月に発売された、幼児向けのおもちゃAED「トイこころ」。1000個限定で販売され、予約段階で完売しました。「トイこころ」は、ボタンを押すと、「体から離れてね」「電気ショックが必要だよ」「心臓マッサージをしてみよう」などの音声が流れ、子どもは“お医者さんごっこ”のなかでAEDと触れ合うことができます。
「トイこころ」の開発者である、坂野電機工業所・代表取締役社長の坂野恭介さんは「遊びをとおして、命を守る大切さを学んでほしい」という想いから、3年以上試行錯誤を続けてきました。
開発のきっかけや、AEDの認知向上活動に対する思いなどについて、坂野さんと、「トイこころ」のプロモーションなどを担当する合同会社terasuの秋山楓果さんに話を聞きました。
◆開発者は“無類のAED好き”
坂野さんは、医師や看護師に医療機器の使い方を教えたり、機器のメンテナンスを行なう臨床工学技士として8年間、医療現場で働いていました。坂野さんにとって、AEDは特別な存在だといいます。
「一般の方が使う医療機器には体温計や血圧計などがありますが、基本的には『計測』をするものですよね。一方で、AEDは一般の方が電気ショックという極めて高度な『治療』を安全におこない、誰かの命を救える可能性を持っているんです。本当にかっこいい機器だと思います」
坂野さんは医療現場で働いたあと、5年前に家業の坂野電機工業所を継ぎ、AEDの販売・レンタル事業を始めました。そこにはAEDへの並々ならぬ思いがあったようで……。
「僕は、シンプルにAEDが好きなんです。なかなか共感されないし、周りからは変人扱いされるのですが(笑)。AEDを作っているメーカーは国内で7社あり、それぞれ色や形が違っているのですが、僕は街中で、『ここの施設はあのメーカーのAEDを使っているのか』とチェックしたりするのが楽しいんです。機能だけではなく使いやすさやデザインも含め、どのAEDもとてもかっこいいんですよね」
開発チームの秋山さんは、「坂野さんの“AED愛”は、私も理解不能です(笑)」と言いながらも、「坂野さんの熱い思いがあったからこそ、“小さい子ども向け”という部分に妥協しない、おもちゃとしての『トイこころ』が生まれたと思う」と言います。
◆「目撃された心停止」の中でAEDが使われたのは5%
坂野さんはこれまでのキャリアの中で、AEDの認知度の低さを痛感したといいます。
「医療業界にいたときは現場のドクターやナースから、『AEDを使ってもらっていたら、助かる命があったのに』というお話しを何度も聞きました。もっと皆さんにAEDを知ってほしいという想いから、AEDの認知向上のための発信や活動を始めました」
救急搬送された心原性心停止(心臓に原因がある心停止)の人は、全国で年間約9.1万人います。 その中の2.9万人は倒れる瞬間を他の誰かに目撃されていますが、AEDが使われたのはたったの5%だといいます。坂野さんはその要因について、「知識がないと行動する勇気を持つことは難しいのでは」と考えています。
「救急車が到着するまで平均10分はかかるので、その間何もしないでいると命が失われてしまうことがあります。でも、“AEDを使うのが何となく怖い”と躊躇してしまう気持ちも分かります。AEDを知ってもらうことで、そういう恐怖心が薄まっていけばいいなと思います。
実際に、心原性心停止の方に居合わせた人が心肺蘇生と AEDショックを行った例では、約半数が救命されています。しかし、AEDショックを行わず119 番通報のみの場合の救命率は6. 6%。AEDショックを行わず、119 番通報と心肺蘇生を行った場合の救命率は9. 9%と大きな違いがあるのです」
坂野さんは、小中学生向けにペーパークラフトのAEDを提供するなど、AEDに興味を持ってもらうきっかけを模索してきました。その中で、「小さい子どもたちに知ってもらうにはどうしたらいいのか」と考えるようになりました。
「幼い子どもが興味を持ってくれたら、その親御さんや祖父母の方々が知るきっかけにもなると思ったんです。そこで幼児向けのおもちゃAEDの開発を始めました」
◆子ども向けおもちゃとしてのバランスに苦悩
「トイこころ」という名前は、「男女どちらにも寄らず、AEDという言葉を使わないコンパクトでおもちゃらしい名前を」という思いから、秋山さんが数えきれないほどの案からネーミングしたのだそう。
「恐らく世界初となるAEDの知育玩具となるため、『こころ』という日本語を入れたかった」と秋山さんは言います。
「トイこころ」は、電源ボタン、「おとな・こども」を選択するボタン、電気ショックボタンだけのシンプルな作りです。
「本物に近づけすぎると“AEDのデモ機”のようなものになってしまいます。子どもたちに愛されるおもちゃにしなければ意味がないので、AEDっぽさを残しながらも、子どもたちが触ってみたくなるバランスを目指しました。
本体のカラーにもこだわりがあるそう。
「実際のAEDはメーカーによって、オレンジ色や青色、緑、白などさまざまなカラーがあります。『トイこころ』の本体カラーは、始めはピンクや水色の配色の試作品を作ったりしましたが、最終的には現在の赤色に決定しました。僕にとってAEDはヒーローそのものなので、戦隊モノのイメージから赤にしようと思ったんです」
◆試作品では我が子に怒られてしまったことも
また、トイこころは本物のAEDの蘇生の手順に沿った流れで遊べるようになっており、基本的には本物にない機能は入れていないとのことですが、一方で、子どもが楽しく遊べるための配慮もほどこされています。
「ただ、本物のAEDは電気ショックをしたあとに心臓マッサージをする時間が2分間あるんです。その間ずっとピピピ……と電子音が鳴り続けるのですが、子どもにとっては2分間は長いし、飽きちゃいますよね。
しかも、救急車が到着して救急隊に引き継ぐまで、再診断・電気ショック・心臓マッサージを繰り返さなくてはいけないので、終わりがありません。最初はそういう作りにしたのですが、試しに5歳の息子に遊んでもらったところ、『このおもちゃ、いつ終わればいいの?』と怒られてしまいました。おもちゃの場合は、子どもに達成感を与えてあげなければならないと考えて、実際のAEDには無い『ミッション完了!』という音声を入れることにしました」
◆子どもたちの反応は……
すでに完売している分のトイこころは2025年2〜3月の発送となるため、まだ購入者からの声は坂野さんのもとに届いていませんが、イベントなどで子どもたちに遊んでもらう機会はこれまでに何度もあったそう。
子どもたちはトイこころを受け取ると、大人に教えられなくても、自発的に遊びかたを見出してくれるといいます。
「本体から伸びている2つの電極パッドには、それぞれ体のどの部分に貼ればよいかイラストで示されているのですが、子どもたちは何も説明されなくてもそれを見てぬいぐるみの正しい場所にパッドを装着し、ショックボタンを押したり、心臓マッサージをしたりして遊んでくれます。
本体に『AED』と入れることで、無意識のうちに子どもたちにAEDを認識してもらうことを狙っています。文字を読めない子どもでも、繰り返し目にすることで印象に残りますし、おもちゃで見た記憶を思い出して、街中で宝探しのように『AED見つけた!』と興味を持ってもらえたら嬉しいですね。
イベントではたくさんのお子さんが来てくれるので、なかなか一人ひとりに遊び方を教えてあげることができないのですが、まったく問題なく楽しんでくれますね。蘇生中に注射器のおもちゃでぬいぐるみに注射をしている子もいれば、電気ショックボタンを押すと振動するのが楽しすぎて音声を聞かずに連打している子もいます。本来の救命ではありえない場面ではあるのですが、AEDを知ってもらうきっかけとしては、楽しく遊んでもらえているだけで十分だと考えています」
坂野さんに「トイこころ」を送っていただき、筆者の7歳の子どもに遊ばせてみました。イラストで使い方が説明されているのを見てぬいぐるみにパッドを貼ると、「ピッピッピッ」という音に合わせて懸命に心臓マッサージ。
意外にも、AEDショックを与えるボタンより、トイこころの指令に合わせて心臓マッサージを繰り返すことにハマっていました。
ミッション完了後は、ぬいぐるみを抱きしめて「よかったね」と感無量の様子でした(笑)。
◆日本中のおもちゃ箱に「トイこころ」を
坂野さんは、多くの人が幼児期から日常の中でAEDに触れ、“大人になったら気づいたらAEDを使えるようになっていた”というサイクルを作ることを目指しています。
「最初は3〜5歳くらいで『トイこころ』で遊んでもらって、6〜12歳ではより精密なペーパークラフトで『AEDってどんな仕組みなんだろう』と学んでもらう。その後、中学生や高校生に取り組んでもらえるような試みもどんどん作っていきたいと思っています」
今後は再販を目指しながら、「幼稚園・保育園への寄贈を同時に進めていきたい」という坂野さん。現在は、全国で50程の園へ寄贈が決まっています。
「日本中の幼稚園、保育園や、個人のお宅のおもちゃ箱の中に『トイこころ』が入っているというくらいに広げていきたいと思っています。SNSで親御さんたちから『うちの子どもにも遊ばせたい』という声をたくさんもらえるようになったので、今後も発信を続けながら、AEDを知っている人が今よりももっと増えている未来を作っていきたいですね」
<取材・文/都田ミツコ>
【都田ミツコ】
ライター、編集者。1982年生まれ。編集プロダクション勤務を経てフリーランスに。主に子育て、教育、女性のキャリア、などをテーマに企業や専門家、著名人インタビューを行う。「日経xwoman」「女子SPA!」「東洋経済オンライン」などで執筆。