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草加次郎って知ってますか?1962(昭和37)年11月から1963(昭和38)年9月にかけて爆破、脅迫などを繰り返した「男」です。ただし、その正体は今なお不明。日本犯罪史に残る未解決事件のひとつです。(アーカイブマネジメント部 疋田 智)
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相次ぐ爆破、脅迫、狙撃一連の事件は1962年から1963年にかけて首都圏で発生しました。
犯人は「草加次郎」を名乗り、合計十数件の爆破、脅迫、狙撃などの事件を起こしたのです。
犯行の多くは、時限式爆破装置を使用するものでした。
画像は地下鉄銀座線の爆破事件ですが、これ以外にも日比谷劇場爆発事件、上野公園おでん屋台の銃撃、電話ボックス爆発事件など、犯行場所はさまざまでした。
しかし毎回、人を殺害するほどの火薬は仕込まれておらず、爆弾の製造技術や使用された材料から、犯人には高度な理工系の知識があったと推測されています。
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草加を名乗る何者かは、現場や脅迫文に指紋と筆跡を残していました。
警察はのべ1万9,000人もの捜査員を投入して捜査にあたりましたが犯人を特定できず、草加次郎は「そうか」と読むのか「くさか」と読むのか、何に由来するのか、単独か複数も不明。はては性別すら分かりませんでした。
実は目的も不明です。
草加を名乗る何者かは、複数回にわたって現金の受け渡しを指示しましたが、受け渡し場所に現れることは一度もなかったのです。
脅迫文などの文面は冷静かつ知的で、犯行を正当化するような内容が含まれていました。
また、指紋捜査が有効でなかったということは、草加には前科前歴などが一切なかったことになります。
一方、若い女性の有名人を狙うのも草加次郎の特徴のひとつで、歌手の島倉千代子さん(当時24歳)や、吉永小百合さん(当時18歳)の元にも爆弾や脅迫文が届きました。吉永さんに届いた脅迫文には「現金百万円を用意しろ」と受け渡し場所まで指定されましたが、結局犯人は現れませんでした。
また、これ以外にも、鰐淵晴子さん(当時18歳)や、桑野みゆきさん(当時21歳)なども標的とされていたのが分かっていますが、犯行内容は「脅迫のみ」。この点では一種の愉快犯とも思えました。
政治的主張は「ありそうだが、不明」動機の解明は難航しました。
声明文の内容から、金銭目的ではなく、社会に対する抗議や反体制的な動機があった可能性も指摘されましたが、では特定の政治的主張や明確な要求があるかといえば、それはなかったのです。
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捜査は、声明文の筆跡鑑定、爆弾の製造方法の分析など多方面から進められました。火薬に詳しい者や爆弾マニアなど約9,600人をリストアップして、理工系で爆弾知識を持つ人物を洗い出したりもしました。しかし、決定的な手がかりは見つかりませんでした。
迷宮入りのまま公訴時効に1965年を境に、草加次郎による爆破事件は突如としてぴたりと途絶えました。それ以降、彼の名をかたる者も現れず、連続犯行は完全に停止したのです。
犯人がなぜ突然活動を停止したのかは不明でした。
逮捕の危険を察知したのか、あるいは個人的な事情によって犯行を継続できなくなった、たとえば極端な話、不慮の事故で死亡したのではないか。そういう可能性が囁かれました。
1978年9月5日に公訴時効が成立。すべてが謎のまま捜査は終了しました。
草加次郎事件当時の日本は高度経済成長期にあり、社会の変革が進んでいましたが、その中で発生したこの事件は「都市の安全対策の強化」を促すきっかけとなったとも言えます。