58歳になった“キングカズ”こと三浦知良。「40年目のシーズン」突入で、いったい何を見せてくれるのか

2

2025年02月26日 09:21  日刊SPA!

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

日刊SPA!

ウォーミングアップを行うアトレチコ鈴鹿・三浦知良 ©産経新聞
JFLアトレチコ鈴鹿でプレーする三浦知良。2月26日に58歳の誕生日を迎え、プロ40年目を迎えようとしている“キング”は、いよいよプロ生活40年目を迎えようとしている。
還暦へはあと2年、白髪も混じりながら三回り以上歳下の選手たちと汗を流し続ける男にネット上では「往生際が悪い」などという心ない言葉も多く飛び交う。

一方で、「話題性や集客で盛り上げてくれている」というコメントもあることから、30年以上にわたりサッカー界に貢献しているのも紛れもない事実。

節目の40周年を迎える間に、これまでの主な足跡を抜粋しながら振り返ってみる。

◆Jリーグ初代MVP、アジア人初のセリエA進出も

静岡県出身の三浦は高校を8ヶ月で中退し、「ブラジルでプロのサッカー選手になりたい」と単身で渡る。その後下積み生活を経て頭角を表すと、86年にサントスFCとプロ契約を結び、ここからプロサッカー選手としてのキャリアがスタートした。

ブラジルでは90年までプレーし、日本へは同年7月に帰国。当時はまだW杯出場権を獲得できていなかった日本代表入りを視野に入れ、読売サッカークラブ(現:東京ヴェルディ)に移籍し、今度は日本でのキャリアが始まった。

Jリーグ開幕元年にはヴェルディ川崎の中心選手として得点源として、日本人選手最多の20得点(リーグ3位)を挙げるなど年間総合優勝に導く。タイトルも初代MVPに加えて日本年間最優秀選手賞、さらにはアジア年間最優秀選手賞にも輝くなど、その地位を確立した。

翌94年は期限付き移籍でアジア人初のセリアAに挑戦し、1得点に終わるも今に続く海外挑戦のパイオニアとして確かな足跡を残す。

◆「97年ごろ」からパフォーマンスに陰りが

帰国後もヴェルディの中心選手として活躍を続け、96年にはキャリア初の得点王を獲得し、”キングカズ”の地位を不動のものにしていた。

しかし、30歳を迎えた97年ごろからパフォーマンスに徐々に陰りが見えてくる。怪我の影響もあり出場試合数は14試合、得点も4点にとどまった。

ヴェルディもJリーグ開幕当時からの勢いから衰え始め、さらに経営が縮小されていったこともあり98年限りで退団しクロアチアへと渡った。ここで三浦は得点を挙げることはできず、99年に京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)へ移籍し国内復帰を果たす。

2000年に17得点でリーグ3位にランクインし復活の兆しを見せるも、チームがJ2に降格したこともあり、“ゼロ円提示”を受ける。そのため21年からはヴィッセル神戸へと移籍した。同年は29試合で11得点と健在をアピールするも、この年が最後の2桁得点となる。

◆横浜FCでは最年長記録を続々と更新

05年7月からは、今も所属元となっている横浜FCへ移籍。シドニーFCへ一度期限付き移籍を経るも、06年は39試合に出場してチームのJ1初昇格に貢献し、国内最高峰の舞台に戻ってきた。

40歳を過ぎても横浜FCの一員としてJリーグでのプレーを続け、年齢とともに衰えは隠せず出場機会は減少していくが、背番号11はピッチに立ち続けた。

50歳となった17年には、3月12日のザスパクサツ群馬戦で決めたゴールが50歳14日となり、「リーグ戦でゴールを決めた最年長のプロサッカー選手」としてギネス世界記録に認定される快挙となった。

上述のゴールが現在三浦にとってJリーグ最後のゴールとなっており、18年以降は出場試合が減少。以降は出場試合とともに出場時間もクローズアップされるようになる。

◆「出場時間1分」で最年長記録を塗り替える

18年は出場9試合で時間は合計59分、翌19年は109分と伸ばしたが今度は試合数が3試合のみとなった。

20年からはチーム昇格に伴いしたことに伴い2年間J1でプレー。13年ぶりとなったJ1での出場はリーグ戦4試合で計68分だったが、J1での最年長出場記録を53歳6ヶ月28日へと更新した。

21年は3月10日の浦和レッズ戦(埼スタ)にロスタイムに出場し、自身の最年長記録を54歳12日に塗り替えたが、シーズンはこの1試合のみ。出場時間は1分と、当時メディアを賑わせた。

◆2022年にはJFL歴代最多の動員を記録

それでも、三浦の灯は消えることはなかった。22年に転機が訪れる。背番号にちなんだ1月11日、兄である三浦泰年が監督兼GMを務めていた鈴鹿ポイントゲッターズ(現:アトレチコ鈴鹿クラブ)へ期限付き移籍することになった。

JFL所属ということで、これまでプレーしていた舞台からさらに下部組織となるが、出場機会を大きく増やした。怪我で4ヶ月ほど離脱する期間はあったものの、10月9日に国立競技場で行われたクリアソン新宿戦では後半31分から出場。

観衆もJFLとしては異例の16218人を集め、歴代最多の動員となる原動力になった。同30日に17年以来のゴールを決めるなど2得点をマークし、改めて当時55歳という年齢を感じさせないプレーを見せつけた。

◆ポルトガル挑戦を経て40年目のシーズンへ

当然ながら23年も現役続行となったが、ここで驚きの挑戦を発表する。ポルトガル2部のUDオリヴェイレンセへ期限付きで移籍である。

56歳、プロ38年目にして5カ国目となる海外リーグへのチャレンジ。これは、所属元の横浜FCの親会社が経営権を得たことから実現したものだった。

ただ、出場は2シーズンでリーグ戦計9試合・94分に終わり、昨年6月に期限付き移籍として旧ポイントゲッターズのアトレチコ鈴鹿クラブへと移った。

ポルトガルでは出場時間も限られていたが、鈴鹿復帰後は6試合で165分以上ピッチに立つなど健在をアピール。1試合で30分以上プレーする機会も大幅に増えた。

そして今年も1月11日に、来年1月まで鈴鹿での契約延長が発表された。しかしコンディション不良により調整が遅れ、復帰が4月以降になる見込み。

それでも節目の40年目のシーズンに向けて、“キングカズ”は不死鳥のように戻ってくるに違いない。

<TEXT/神楽ヒロミチ>

【神楽ヒロミチ】
神楽坂に拠点を置くフリーライター。2017年に通信系の企業でラグビーのサイトを手掛けた際に記事制作を行い、これをきっかけにライターとしての活動も開始する。以降地域メディアを担当しながらスポーツへも進出し、ラグビーのほかサッカーや野球にも執筆範囲を拡大している。趣味は筋トレと地域のデカ盛り店を回ること

このニュースに関するつぶやき

  • まさか還暦までやるのかな!
    • イイネ!18
    • コメント 0件

つぶやき一覧へ(2件)

ランキングスポーツ

前日のランキングへ

ニュース設定