イチロー初告白、日本球界復帰悩んだ過去「止めてくれたのは妻だった」弓子さん助言「もう少し踏ん張ってみてはどうか」【独占取材】

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2025年03月08日 22:02  TBS NEWS DIG

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日本人初となる米野球殿堂入りを果たしたイチロー(51、マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)に独占インタビュー。2001年のメジャーデビューから数多くの大記録を打ち立て、殿堂入りを果たした今、現役中に苦しんだ時期のエピソードなど、これまで語ることのなかった真実に迫る。(第2回/全3回)

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現地1月21日(日本時間1月22日)、自宅で妻・弓子さんとともに連絡を待つイチローのもとに吉報が届いた。アメリカでの野球殿堂入り。日本人メジャーリーガーとして、史上初の快挙を成し遂げたイチローは、ともに伴走してくれた弓子さんへの思いを語った。

イチロー:アメリカに来て、この25年。2001年から現役の19年が終わるまで、とにかく妻がよく頑張ってくれたこと、ここにまず大きな感謝の気持ち。

1999年、イチローは弓子さんと結婚。2000年オフにマリナーズへ移籍が決まり、弓子さんは「私は、イチローが下した決断、それについていく」と伝え、夫婦でともに海を渡った。以来「ずっと一緒にやってきた」という2人。自身のたゆまぬ努力と弓子さんのサポートもあり、イチローは不動の1番として2001年のデビュー以来、毎年200安打をマーク。2004年には262本のシーズン最多安打を記録し、一気にメジャーを代表する選手へと駆け上がった。

順調にキャリアを重ねていくイチローだったが、2006年、その心が乱される状況に。マリナーズは8月に11連敗するなど、シーズン中盤で早くも自力優勝が消滅。チームのモチベーションは、最悪の状態に。そんな状況でもイチローは、記録に向かって黙々とヒットを量産。しかし、待っていたのはチーム内での“孤立”だった。

イチロー:チームが結束していく時って、ネガティブなことで結束していくことが多いんですよ、ダメなチームって。そこに巻き込まれたくない。だから僕は外れるんですね、そこから。その中で僕が「200本」「3割」、僕が続けてきたことを続けたいし。チームが希望を失っている中で、お客さんに喜んでもらえるとしたら、個人のパフォーマンスじゃないですか、いいプレー、野球ファンですから、来てる人たちって、基本的には。グラウンド上ではしっかり仕事をするっていうのがプロだと思ってる。
 

日本球界復帰も考えたイチロー、その候補は“巨人”

メジャー7年目の2007年、イチローは野球人生で初めて自らチームを選べる状況となった。世界一からはほど遠いマリナーズに残留するのか?熱烈なオファーを受けた、メジャー屈指の名門、ヤンキースへ移籍するのか?当時の胸の内を聞くと、意外な言葉が返ってきた。

イチロー:2007年は、実は日本に戻ろうかと考えたこともあった。でもそこを踏みとどまった。

帰国して日本のプロ野球へ復帰する。そのチームとは、当時、原辰徳監督が率いていた読売巨人軍だったという。

記者:あの当時は、巨人っていうチームはイチローさんから一番遠いイメージだと思ったんですけど、それでも巨人の可能性を考えたっていうのは、なぜだったんですか?

イチロー:面白いじゃないですか、人が想像しないからね。それはプロ野球選手としての一つの使命と捉えることもできる。

イチローは、オリックス時代のある出来事を覚えていた。

イチロー:春のオープン戦で、神戸にジャイアンツが来たとき、こんなに人が集まるのかって。巨人ってすごいなぁっていう記憶がすごくあります。

さらに、巨人で一時代を築いた西本聖が1992年、中日からオリックスに移籍。その西本の姿も強く印象に残っているという。

イチロー:西本さんがいらっしゃったときに、雰囲気がちょっと違うなって、オリックスの選手たちと。これが巨人かぁって。西本さんのイメージですね、僕の中では。
 

止めてくれたのは、妻・弓子さん

記者:でも、メジャーに残ったのはなぜ?

イチロー:それで逃げたら負けだと思ったからです。悩みましたけどね。それを止めてくれたのも妻だったんですよね。「あまりにもそれは勿体ない。大変だろうけど、もう少し踏ん張ってみてはどうか」という助言をもらいました。時間が経ったときに、それが5年10年経ったときにどうかって想像したときに、じゃあ、日本にそのときに戻ります。瞬間的にはおそらく盛り上がってくれる。じゃあ翌年、3年、4年続きますか?確かにそれは難しいという想像もしました。その熱量は続かないですね。それも大きかったですね。冷静に考えると、瞬間的なものだなって。で、もう一度アメリカでプレーすることは極めて困難になるだろうなと、それもありましたね。

妻・弓子さんの言葉で、アメリカに踏み留まったというイチロー。厳しい逆風の中でも戦い続け、マリナーズでは、デビューから10年連続200安打という金字塔を打ち立てた。

2012年には38歳でヤンキースに移籍した。7月には移籍後初本塁打を放ち、メジャー通算100本塁打を記録。自身11年ぶりとなる地区優勝にも貢献した。2015年には、41歳でマーリンズに移籍、翌年にはメジャー通算500盗塁と通算3000安打も達成。2018年に再び、古巣・マリナーズに戻った。
 

引退試合で「後悔などあろうはずがない」

そして2019年3月、東京ドームでのアスレチックス戦を最後に、イチローは多くのファンに見守られ、45歳で現役を引退。試合後、午前0時近くから行われた引退会見には、200人を超える報道陣が集まった。

記者:引退の決断に後悔だったりとか、思い残したようなところというのは、ないでしょうか?

イチロー:いや、今日のあの球場での出来事、あんなものを見せられたら後悔などあろうはずがありません。自分なりに頑張ってきたということは、はっきりと言えるので、これを重ねてきて、重ねることでしか、後悔を生まないということはできないんではないかなというふうに思います。

記者:イチロー選手が貫いたもの、貫けたものは何でしょう?

イチロー:野球のことを愛したことだと思います。これは変わることはなかったですね。孤独を感じて苦しんだこと、多々ありました。ありましたけど、その体験は、未来の自分にとって大きな支えになるんだろうと、今は思います。だから、辛いこと、しんどいことから逃げたいと思うのは当然のことなんですけど、でもエネルギーのある元気なときに、それに立ち向かっていく。そのことはすごく、人として重要なことではないかなというふうに感じています。

日本、そしてメジャーリーグという最高峰の舞台で、地道な努力を重ねてきたイチローは、28年に及ぶプロ野球人生で4367本もの安打を積み上げた。愛し抜いた野球を全うした先に待っていたのは、殿堂入りというゴールだった。
 

イチローの“地元” シアトルとの絆

殿堂入りの発表から約3時間後、マリナーズの本拠地・T−モバイル・パークには、多くの球団職員の姿が。「ICHIRO」と印刷されたプラカードを持っている人も多く見られた。

イチローが現れると歓声が沸き、「イチローコール」が鳴り響く。あまりの歓迎ぶりに、イチローからも笑みがこぼれた。そして主役は、地元・シアトルのメディアが待つ会見場へと入って行った。そこで語ったのは、地元・シアトルへの感謝だった。

イチロー:今日この日を迎えられたことは、言葉では言い表せないほどの気持ちです。2018年にシアトルに戻ってきたんですけど、そのときに迎え入れてくれたあの温かい気持ち。今回いろいろ振り返ってみたんですけど、2018年の(マリナーズの)開幕戦、もうトップ5に入るぐらいのハイライトでした。そのシアトルのファンの方々の前で、球団に対してもですね、出ていった選手をまた戻してくれた、その思いがとても嬉しかったですし、人の思いがこんなにも刺さるというか、自分がやったことというよりも、人のその気持ちがすごく、この歳になったからなのか、経験を経てなのか、そこはわからないんですけども、特別な関係になりましたね、あの2018年で。

愛着のあるシアトルで殿堂入りを果たしたイチローは、改めてその喜びをかみ締めた。

イチロー:僕はコツコツとヒットを重ねる選手。いろんなことをコツコツとやってきた人間ですけど、最後こんなとこに来られるんだなって。地道に重ねてきた結果、今日のこの日以上のものはない、プロ野球選手にとってはね。僕の中では(殿堂入りは)あり得ないことだったんだけれど、徐々に近づいてきた。一歩ずつ近づいていって、最後こんなとこに来たのかという実感が沸いてきましたね。

(第3回に続く)

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