
今年もまた、この日がやってきた。
3月11日前後に行なわれるベガルタ仙台の試合は、必ずホームゲームとなる。東日本大震災を悼(いた)む機会を担うためだ。2025年3月8日開催のJ2リーグ第4節も、地元紙がスポンサードして「復興応援試合」と銘打たれている。
復興の二文字に込められた意味合いは、少しずつ広がりを持ってきた。試合前には黙祷が捧げられるのだが、昨年は令和6年能登半島地震の被災者へ向けた祈りでもあった。そして今年は、30秒の沈黙に岩手県大船渡市を襲った林野火災へのお見舞いも込められた。スタジアム内では、募金も行なわれている。
仙台駅から地下鉄でアクセスできる「ユアスタ」ことユアテックスタジアム仙台が芝生張り替え工事のため、6月まで仙台はキューアンドエースタジアムみやぎでホームゲームを戦う。2002年の日韓ワールドカップで日本代表がトルコに屈した通称「Qスタ」に、この日集まったのは9,084人だった。
ユアスタ開催の3.11前後のホームゲームは、2023年が1万2000人強、2024年は1万3000人強を動員している。2023年はいわきFC、2024年は水戸ホーリーホックが対戦相手で、今回はV・ファーレン長崎を迎えた。過去2年に比べると、アウェーのファン・サポーターの来場が限られたのは間違いない。ユアスタに比べるとアクセスに時間がかかることも、観客の足を鈍らせたのかもしれない。
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そうだとしても、3.11前後のホームゲームである。
ベガルタはここまで2勝1敗の5位で、長崎は2勝1分の4位だ。復興応援マッチとしてはもちろん、J1昇格候補の直接対決としても興味深いカードだったはずだが、4万9000人弱を収容するスタジアムは、前節のホームゲームよりも少ない観客にとどまったのだった。
【震災の記憶は風化したのか?】
ハーフタイムにメインスタンド付近のコンコースでスマホに触れていた男性に声をかけた。「復興応援試合としては、もう少し盛り上がってもいいような気がするのですが......?」と遠慮気味に聞く。仙台市内在住だという40代の男性は、スマホをコートのポケットにしまってから答えてくれた。
「3.11を忘れない気持ちはもちろんあるし、あの震災で亡くなった人のことを思う時間は、14年経った今も全然変わらないですよ。でも、今は大船渡が大変だし。東日本大震災のあとだけでも、日本のいろいろなところで災害が起こっていますからね......」
台風、大雪、豪雨、噴火、さらには地震と、全国各地で自然災害が発生している。大船渡市を襲った大規模な火災に前後して、大雪による被害も相次いだ。
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男性に思わず聞いた。
能登半島地震の被災地へ行ったことはありますか──。
「いえいえ、僕はないです」と、顔の前で手を振る。「あっ、でも」と、少し遠慮気味に続ける。
「知り合いで行ったことのある人とか、何回か行っている人はいますよ」
自分たち以外にも、大変な人たちはたくさんいる。「3.11」の記憶は決して忘れないけれど、今まさに支援を必要としている人たちに手を差し伸べたい──東日本大震災で被災した人たちは、2011年に感じた連帯を大船渡で、能登で、あるいはもっと以前から全国各地で、作り出しているのかもしれない。
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ふと、我に返る。
復興応援試合にたくさんの観衆が詰めかけなかったのは、震災の記憶が風化したからではなく、震災前の日常を取り戻す人が増えたからなのかもしれない。
はっきりしていることがあるとすれば、14年という年月の積み重ねによって、震災との向き合い方が、ひとつやふたつではなくなってきているということだ。だからきっと、観客動員という数字には表われないところにも、東日本大震災からの復興を願う人たちはいるのだろう。
【選手たちが格別な勇者に見えた】
3月8日に行なわれた長崎とのホームゲームは、1-1のドローに終わった。試合後の取材エリアで「震災」や「復興」がキーワードになることはない。試合に関するやり取りが交わされていく。
東日本大震災が発生した2011年や、J1リーグで2位に食い込んだ2012年、さらにはクラブ史上初のACL出場を果たした2013年あたりは、「無垢なヒロイズム」というフィルターを通してベガルタを見つめる報道が多かったと思う。
ほかでもない僕自身も、被災した当事者でありながら自身を奮い立たせ、「被災地と被災者の希望の光になる」と団結した手倉森誠監督と選手たちが、格別な勇者に見えたものだった。
胸のなかに不安を抱えながらも、ベガルタを応援してくれる人のために、応援したいけれどスタジアムに来られない人のために、彼らは覚悟を固めていった。自分で覚悟を固めたというよりは、模索や逡巡のただなかにあるうちに時間が進んでいったのかもしれないが、過酷な現実に立ちすくむことなく、使命感と責任感を結果に結びつけた。
文字どおりに、被災地の「希望の光」となったのだった。
当時の戦いに断片的にでも触れた僕は、毎年3月にベガルタのホームゲームへ取材に行き、選手たちの声を聞いてきた。「聞いてきた」つもりだったのだが、実は「言わせてきた」のではと思えてきた。
この日の試合後、宮城県仙台市出身の工藤蒼生選手に話を聞いた。後半終了間際から出場した彼に、試合について話せることは少ない。それでも、試合前の黙祷について聞くと、折り目正しく答えてくれた。
「自分も震災に遭いましたので、いろいろな思いがありました。自分たちはサッカーで夢と希望を与えられるように、がんばらないといけないとあらためて感じました」
誠実さにあふれる工藤選手に触れて、彼に「言わせている」気がしてならなかった。もっと言えば、これまでずっとベガルタの選手たちに震災について言わせてきたのでは、と思い至ったのだ。声にならない思いを、積極的に明かしたくない思いを、無理やり引き出していた気がしてならなかった。
【ベガルタだからこそできること】
今シーズンのJ2は、20チーム中11チームがJ1で戦ったことのあるクラブだ。J1から降格したサガン鳥栖と北海道コンサドーレ札幌が開幕から4戦勝利なしと苦しむ一方で、J3から昇格したRB大宮アルディージャが首位と勝ち点で並ぶ2位に立ち、初のJ2参戦となるFC今治も好スタートを切っている。
東日本大震災を経験したベガルタだけが、崇高な使命感とか壮烈な覚悟を背負っているわけではない。それでも、彼らが戦いのステージを上げ、J1で注目を集めることによって、「3.11」はもちろん防災や減災といった考えが、サッカーを通して人々の生活に染みわたっていくような気がする。
きっとそれは、彼らだからこそできることなのだ。