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米シカゴ大学と米ミシガン大学などに所属する研究者らが発表した査読前論文「Hilbert’s sixth problem: derivation of fluid equations via Boltzmann’s kinetic theory」は、125年も未解決だった「ヒルベルトの第6問題」に対する解答を示した研究報告である。
ヒルベルトの第6問題は、数学者ダフィット・ヒルベルトが1900年に提示した23の未解決問題のうちの一つである。この問題は、物理学の理論を厳密な数学の形で表現し直すという公理的方法の確立を求めるもの。「目に見えない小さな粒子の動きを記述する法則から、私たちが日常で観察できる流体の動きを記述する法則を数学的に導き出せるか」という課題に取り組んでいる。
研究の本質は「スケールの橋渡し」にある。私たちの世界は異なるスケールで、異なる法則に従っているように見える。原子や分子のようなミクロなスケールではニュートン力学が支配し、中間(メゾスコピック)スケールではボルツマン方程式が適用され、水や空気などの流体のマクロなスケールではナビエ・ストークス方程式やオイラー方程式が成り立つ。これらの一見全く異なる法則の関係を厳密に証明することが長年の難問だった。
研究チームは問題を2段階で解決した。第1段階では、多数の小さな硬い球体が衝突する系から、粒子の分布を記述するボルツマン方程式を導出。ここで重要なのは、粒子の数が増え、サイズが小さくなるとき、衝突の頻度が適切に保たれるという「ボルツマン-グラッド極限」である。
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第2段階では、ボルツマン方程式から流体力学の基本方程式であるオイラー方程式やナビエ・ストークス方程式を導出している。これにより、ミクロな粒子の運動からマクロな流体の振る舞いまでの道筋が数学的に明らかになった。
これまでの研究では、第1段階の導出は短い時間でしか証明されておらず、長時間にわたる証明は大きな障壁とされていた。しかし研究チームは、周期的トーラス上での粒子衝突系を分析する新しい数学的手法を開発。ボルツマン方程式の解が存在する限り任意の長い時間にわたる証明を可能にした。これは2次元と3次元両方のケースで成功している。
この研究はまた、物理学の根本的な謎の一つである「時間の矢」の問題にも光を当てている。ミクロなスケールのニュートン力学では時間を逆向きに進めても法則が成り立つ(時間可逆性)のに対し、マクロなスケールでは時間は一方向にしか進まないように見える(時間非可逆性)。
この研究は、時間可逆的な微視的理論から時間非可逆的な巨視的理論がどのように創発するかを数学的に厳密に説明する重要な一歩となっている。
Source and Image Credits: Deng, Yu, Zaher Hani, and Xiao Ma. “Hilbert’s sixth problem: derivation of fluid equations via Boltzmann’s kinetic theory.” arXiv preprint arXiv:2503.01800(2025).
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※Innovative Tech:このコーナーでは、2014年から先端テクノロジーの研究を論文単位で記事にしているWebメディア「Seamless」(シームレス)を主宰する山下裕毅氏が執筆。新規性の高い科学論文を山下氏がピックアップし、解説する。X: @shiropen2
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