限定公開( 2 )
「こち亀」こと、『こちら葛飾区亀有公園前派出所(集英社)。いわずと知れた秋本治による国民的ギャグ漫画だが、2025年3月 22日(土)、“聖地・亀有”にて、「こち亀記念館」がオープン、あらためて同作への関心が高まっている。
そうした流れに応じてか、電子書籍販売サイト「ebookjapan」の「ebjニュース&トピックス」(「漫画家のまんなか。」vol.26)では、秋本治のロングインタビューを掲載(https://ebookjapan.yahoo.co.jp/special/article/ja0181.html)、これがなかなか読み応えのある内容になっている。
そこで本稿では、同インタビューを参照しつつ、秋本治という漫画家のルーツと“偉業”を振り返ってみたいと思う。
秋本治は、1952年生まれ。物心がついた頃から漫画好きの少年だった。最初にハマったのは、前谷惟光『ロボット三等兵』。その後は、「国産初の30分テレビアニメシリーズ」にもなった手塚治虫の代表作『鉄腕アトム』や、横山光輝『鉄人28号』、関谷ひさし『ストップ!にいちゃん』などを「夢中になって読んで」いた。
特筆すべきは、「少女漫画では水野英子先生の『こんにちは(ハロー)先生(ドク)』や『白いトロイカ』などは、リアルタイムで読んでいました」という発言だろうか。水野英子は、少女漫画のパイオニア的な存在。当時は(いまも?)、少女漫画を読む男児は少数派だったかと思うが、「僕にとっては面白いものなら少年向けも少女向けもなかったのです」とのこと。こうした「面白いもの」に対する貪欲な姿勢は、のちに秋本の出世作になる「こち亀」の自由な題材選びにも充分活かされているといえよう。
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秋本が、漫画の習作を始めたのは小学3年生の頃。やがて、手塚治虫『ぼくらの入門百科 マンガのかきかた』や、石森(石ノ森)章太郎『マンガ家入門』などを参考にするようになった。後者は、先日放送された『浦沢直樹の漫勉neo』(NHK Eテレ)の大友克洋の回でも話題になっていたように、かつての「漫画少年」たちにとってはバイブル的な存在だった。
本格的にプロを目指そうと思ったのは中学生の頃で、この時期、手塚治虫主宰の実験的漫画誌「COM」や、大阪で活動していた「劇画集団」の洗礼を受ける。とりわけ、「劇画」のジャンルから受けた影響は計り知れず、「映画的な要素を取り入れたドラマ作りは、それまでの子供向け漫画では表現できない世界を描いていました」
また、高校卒業後、秋本はアニメ制作会社の竜の子プロダクション(現・タツノコプロ)に就職。同社は、アメリカン・コミックス調の絵柄の『科学忍者隊ガッチャマン』などで知られる制作会社だが、この経歴からも秋本の「劇画志向」、「リアリズム志向」が伺えよう。
なお、この「劇画志向」があったからこそ、連載初期の「こち亀」は革新的なギャグ漫画になったといっても過言ではない。
「少年ジャンプ」で「こち亀」の連載が始まったのは、1976年――「月例ヤングジャンプ賞」で入選した投稿作がもとになっている。
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ちなみに、投稿作構想時の秋本は、当初はコミカルなアメリカのポリス・アクションを描こうとしていたのだが、思うような資料が手に入らなかったため、日本の下町を舞台にした警察物へと変更したようだ。「下町の怖い人が銃を持ち、ギャンブルをするは、酒を飲むは――というおよそ警察官らしくない男を描いてみようと思ったんです」
この「およそ警察官らしくない男」の熱くコミカルな日常を、秋本は、自分好みの劇画タッチの絵で描いた。これが、初期の「こち亀」の最も新しかった点である。
というのも、いまでこそ劇画調の絵でギャグを描いた作品は珍しくはないが、当時その種の作品はほとんど存在しなかったのだ(とりわけ、同じ雑誌で『ドーベルマン刑事』のような劇画に親しんでいた「少年ジャンプ」の読者にとっては、かなりのインパクトがあったことだろう)。
ただし、同系統(劇画×ギャグ)の先行作として、山上たつひこの『がきデカ』(1974年、「少年チャンピオン」にて連載開始)の存在は無視できまい。2作とも同じ「規格外の警察官」が主人公であるというだけでなく(『がきデカ』の主人公は少年警察官)、秋本は「こち亀」の連載初期においては、(おそらくは編集部の意向もあったと思うが)「山止たつひこ」というペンネームを使用しており、明らかに山上の存在を意識していたものと思われる。
とはいえ、徐々に秋本は、過激な『がきデカ』路線とは異なる独自の道を歩み始める(絵柄も、劇画調のタッチは残しつつも、柔らかい記号的な漫画絵へと変化していく)。
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「『こち亀』を40年間描き続けられたのは、好きな題材がたくさんあったからです。自分が好きなジャンルであれば、どんどんアイディアが生まれます。バイクにしてもマニアックなスポーツ・カーにしても、航空機、鉃道、銃、プラモデルなどなど――。いずれも僕が好きになったものでした」
また、自著『秋本治の仕事術〜「こち亀」作者が40年間休まず週刊連載を続けられた理由〜』(集英社)では、こんなことを書いている。「『こち亀』は最初に設定した路線にこだわらず、そのときどきに僕の好きだったもの、たとえばミリタリーやゲーム、デジタル機器などをテーマとして取り入れ、少しずつ内容を変化させていきました」
こうした趣味性・情報性を前面に打ち出していく一方で、「こち亀」は、従来のドタバタ喜劇だけでなく、心温まる人情話も時おり織り交ぜるようになり、さらに漫画としての深みを増していく。
また、90年代末以降、それまで独身貴族だった主人公・両津勘吉が疑似家族(擬宝珠家)の一員となり、物語も全体的にマイルドな内容に変わっていくのだが、これは、下町の風景や人と人のつながりなど、「時の流れとともに失われゆくもの」を愛おしく想う作者の心情の表われなのだと私は思う(余談だが、大ヒット作である『DRAGON BALL』と『SLAM DUNK』が終わり、『ONE PIECE』がブレイクするまでのいわば“空白”の期間、「少年ジャンプ」が“看板作品”として最も推していたのは、実はこの「こち亀」であったように私は記憶している)。
いずれにせよ、物語の基本パターンは決まっているとはいえ(※)、毎週1本、読切形式のギャグ漫画を40年間、休載なしで描き続けたというのは驚異的なことである。秋本治という漫画家の偉業は、もっともっと評価されてもいいのではないだろうか。
(※)両津勘吉がなんらかの金儲けのアイデアを思いつき(起)、一時は良い目を見るものの(承)、調子に乗ってしまい(転)、最終的には破滅する(結)、というのが、ある時期以降の「こち亀」のパターンの1つ。
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万博 GWにアニメ・マンガフェス(写真:ORICON NEWS)225
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