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2024年9月の能登豪雨で設けられていた石川県内の避難所が、今月13日にも全て閉鎖される見通しだ。
「やっと、安心して眠ることができる」。4日夕、輪島市内の避難所から市中心部の仮設住宅へ移った谷内サノエさん(96)と長女の初江さん(76)、長男の行寛さん(75)の家族は、ほっとした表情を見せた。
24年元日の能登半島地震の被災者向けの避難所は今年3月末に閉鎖されており、これで能登半島の被災地で避難者はゼロになる。
地震と豪雨で最大約1900人が避難
能登地方では24年9月21日、線状降水帯が発生して大雨特別警報が出されるほどの記録的な雨量を観測した。
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このため、県内では輪島市や珠洲(すず)市など7市町で最も多い時には1400人余りの被災者が、地震と合わせると1900人近くが避難所に身を寄せた。
谷内さん家族が暮らしていた輪島市では24年元日の地震の時、最大で震度7の揺れを観測した。
日本海から少し内陸に入った美谷(みたに)町では、谷内さんの家族を含めて約30世帯が停電。上下水道も止まった。
谷内さん家族は石川県加賀市の片山津温泉の宿泊施設に避難することになり、約160キロの道のりを車で移動した。
地震から4カ月近くがたった4月末、電気が復旧して自宅に戻ることができた。ようやく生活が落ち着いてきた頃、豪雨に見舞われた。
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裏山が崩れ落ち、1階が土砂で埋まった。初江さんと行寛さんは、サノエさんの手を引いて2階に逃れ、無事だった。
すぐに市中心部に近い公民館に避難した。
布団敷くスペースなく
暮れにその避難所が閉鎖されると、福祉避難所となっていた市内のグループホームに移った。
3人の居場所は6畳間の広さしかなかった。3人は「温かいご飯やおかずも用意してもらった。文句を言ったら、ばちが当たる」と同じ思いを抱いていた。
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ただ、段ボールベッドを1台入れると、床に布団は広げられなかった。
谷内さん家族が避難生活を続けている間、県内では地震や豪雨の被災者向けの仮設住宅が建設されていた。
地震の被災者向けは計画していた全6882戸が24年12月までに、豪雨の被災者向けは用地の確保が難航し工事が遅れていた所もあり、全286戸が先月までに完成した。
最後まで工事が続いていた輪島市の木造2階建ての仮設住宅52戸では、今月4日に谷内さん家族ら入居者に鍵が渡された。避難所から順次、入居が進んでいる。
仮設近くにスーパーや病院
住宅にはテレビや冷蔵庫、洗濯機などが備え付けられている。谷内さん家族は自宅から、まだ使うことができるテーブルや椅子、衣類などを持ち運んできた。
土砂に埋まって使えなくなった布団や掃除機などを買いそろえると、10万円近くの出費となった。
ただ、近くにはスーパーや病院などがあり、暮らしやすい環境という。
美谷町の自宅は大工だった夫が建てた。サノエさんも長さ3メートル以上もある木材を担いで手伝ったという。
今回の豪雨で自宅が全壊状態となるなど、町内では5軒ほどの家が流されたり壊れたりした。「残念で、悔しくて……」。サノエさんは涙ながらにそう語る。
初江さんは「年金暮らしで、二重に被災した美谷町に自宅を再建することは考えられない」と話す。
仮設住宅に入居できる期限は2年間。ようやく新たな一歩を踏み出せた行寛さんは、先を見据えている。
「金沢などに出た4人のおいやめいがお盆や正月に戻って来られるように、2年の間に災害公営住宅など次の住まいも探したい」【中尾卓英】
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