
ユーザーの中には、今までに水性ボールペンは使ったことがない人もいるかもしれません。個人的には、「uni-ball AIR」などは、三菱鉛筆の水性ボールペンの大傑作だと思っているのですが(今も現役商品です)。
水性ボールペンといえば、40年ほど前、まだ油性インクの書き味が重く書きにくかった時代に、とても滑らかに書けることでブームになったこともあり、また、欧米市場ではボールペンといえば今も水性インクが主流だったりするのですが、日本ではゲルインクや低粘度油性インクの普及もあって、ボールペンのインクとしてはあまり一般的なものではなくなっていました。
現在、ブームにもなっている万年筆のインクは水性インクなので、決してなじみがないインクというわけではないはずなのですが、ボールペンのインクとしてはこの「ZENTO」がヒットしたことで、久しぶりに脚光を浴びたという感じがします。
「もともと、私たちは常にいろいろなインクを開発し続けていて、水性インクもずっと開発を進めていました。ただ、普段の私たちは新しいインクができたり、新しい機構が完成したりしたときに、それを紹介し皆さんに使っていただきたいと思って新製品を作ることが多いんです。
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書くことに向き合う瞬間はデザートのようなすてきな時間

製品開発に当たって、ユーザーへインタビューを行う中で、仕事を終えて寝る前や子どもを寝かしつけた後、その日を振り返って手帳に書き込むのがとてもいい時間の過ごし方になっているという意見が多かったことが、今回の製品のきっかけになったそうです。
「書くことに向き合う瞬間は、とてもすてきなデザートのような時間なのかなと思ったんです。そこで、そのような時間を少しでも心地いい時間にすることはできないかと考えたときに、新しく開発した水性インクなら、そういった“ご褒美の時間”を作るお手伝いができるスペックを持っていると思い付きました」と板津さん。
滑らかでスラスラ書けるという点だけを取れば、低粘度油性やゲルのインクよりもはるかに優れている水性インクなのに、現在あまり使われなくなっている背景には、にじみやすいとか、裏抜けしやすい(紙の裏にインクが染みやすい)、乾きが遅くて筆記時に手や紙が汚れやすいということがありました。
「水性」という言葉のイメージからも、水に濡れるとにじんで読めなくなるのでは?といった心配もあったようです(実際は、乾いてしまえば、多少濡れても読めなくなることはほとんどないのは、万年筆が宛名書きに使われているのを見ても分かると思います)。
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加えて、水性インクが元から持っている書き心地の良さやインクフロー(ペン芯からペン先へ送るインクの供給量)がよくインクがたっぷり出る気持ちいい筆記感も、従来以上に向上させています」と板津さん。
水性インクのネガティブなイメージを払拭し、長所はより伸ばした新インク

実際、「ZENTO」のように粒子の大きい顔料を使った水性インクは、染料型の水性インクに比べて、すぐ紙の中に染み込むのではなく紙の上に乗っている時間が長いので裏抜けはしにくいのです。
また、くっきりとした線が書けるのも顔料型のインクの特徴です。加えて、今回のインクでは、乾燥時に紙に染み込む粒子を互いに引き寄せてインクの広がりやにじみを抑制する「引き寄せ粒子」が配合されています。
これらによって、にじみや裏抜けの問題はかなり解消されています。実際に書いていても、染料型のスタンプなどははっきりと裏抜けする紙でも全く裏抜けしませんし、線はくっきりとにじみのない筆跡になっていると感じました。
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0.38mmのような細字のペンでも、引っ掛かりがないだけでなく、伸びやかに書けるのは、このインクフローの良さとサラサラした粘度の低いインクの合わせ技なのでしょう。
「その『気持ちよさ』のような部分が、『デザートのような時間』という感覚とリンクするのではないかというのが、今回あえて水性インクの新製品を出した背景です」と板津さん。
性能や機能を売るというよりも、「書くという時間」を豊かにするツールとしての筆記具を売るという考え方だからこそ、このシリーズは日常的な事務用筆記具としての「スタンダードモデル」、気分に合わせた色の軸を選べる「ベーシックモデル」、金属軸の重さと手触りを楽しむ「フローモデル」、キャップ式で書くこと自体をじっくり楽しむための「シグニチャーモデル」の4つのモデルが用意されています。
ユーザーそれぞれの「心地よさ」に寄り添うためのラインアップ

「今、会社全体で『2036年にありたい姿』を策定していて、世界一の表現革新カンパニーにしていこうと目標を掲げているんです。
書くことで表現することの喜びを実感してもらえる、その価値を皆さまに提供していきたいというのが私たちの目標でもあり、そのような中で開発が進んでいったプロセスの1つがこの商品という形になったのだと思います。
ある意味、象徴的なアプローチになったのではないでしょうか」という板津さんの言葉は、「ZENTO」に4種類のモデルがあることの説明にもなっています。

書くことの喜びを感じるシチュエーションは人それぞれですし、1つの筆記具で達成できるようなものではありません。
その意味では、今回価格的には3300円(シグニチャーモデル)、1100円(フローモデル)、275円(ベーシック&スタンダードモデル)と差がついていますが、高価になればなるほど体験が豊かになるようなものではありません。
使う人それぞれのこだわりや気分に合う製品を、その都度選べるようにという三菱鉛筆の配慮でもあるのでしょう。

「あえて、4つの中からメインを選ぶなら、スタンダードモデルかもしれません。例えば、このペンはラバーグリップが弊社の製品の中でもかなり長くなっていて、ペンの先端までカバーする構造となっています。これは、多くのユーザーに接してきて、ペンを持つ位置が本当に人それぞれであることを感じていたから生まれたデザインです。
自分の持ち方で握れないと、それだけでストレスになると考えたんです。ノックするときにノックボタンの角が当たって痛いのもストレスにつながるかもしれないのでボタンの角を丸くしていたりと、“使用時のストレス”をとにかく減らすように作っています」と板津さん。
実際、このスタンダードとベーシックモデルを握ったときの、抵抗のなさというか、自然に手になじむ感じは、軸の軽さもあってスムーズに筆記態勢に入れます。
一方で、もう少しプロダクトとしてのペンの質感を求める人や、特定のシーンでこだわりを感じられるペンを使いたい人のためのペンをということで出てきたのが、フローモデルとシグニチャーモデルなのだそうです。
“こだわり”を意識したフロー&シグニチャーモデル

「フローモデルは、素材感にこだわりたいとか、自分が持っているものへのこだわりといった方向の製品として作りました。持ったときの重量感や金属の質感を楽しんでもらうためにも、デザインはベーシックモデルに合わせていますが、ラバーグリップはありません。また、アルマイト加工の透明感のある仕上げを施しました」と板津さん。
実は、筆者は写真でこのフローモデルを見たとき、スタンダードモデルの金属軸タイプとしか思えずあまり評価していなかったのですが、実物を持って書いてみると、想像以上にカッコよくて驚きました。ツートンのカラーで上下の質感も微妙に変えてあるなど、仕上げが繊細なのが効いていると思いました。

「三菱鉛筆が達成したいビジョンとして、書いたときに少しでも心地よい体験してもらえたらうれしいと思って製品を作っているのですが、その、『日常』から『ちょっとうれしい時間』へ切り替わるスイッチのような働きを持つ動作として“キャップ”を採用したのが、シグニチャーモデルです。
カチッとキャップを外して、尻軸にカチッとはめる行為が、『これからZENTOを使う』という儀式のような感じになるといいかなと。
このモデルを購入してこだわって使う方には、恐らく使いやすいとか便利とか、性能のようなところではなくて、ちょっとしたルーティン的な行為自体を好きになってもらえるのではないかと思ったんです」と板津さんは、シグニチャーモデルへの思いを話してくれました。

実際、このシグニチャーモデルはカッコいいのです。この記事を執筆している時点では、全く手に入りませんでした。他のモデルはわずかながら探せば見つかったのですが、このモデルは筆者も三菱鉛筆さんで見せてもらうのが初めてでした。
3300円という価格にもかかわらず、しかもキャップ式のボールペンなのに、それだけの人気商品になっています。少し短い軸だったり、仕上げの美しさだったり、持ったときのなじみやすさだったり、確かに、持っていたいと思わせるペンでした。

実は「ZENTO」シリーズのリフィルは、「uni-ball one」シリーズのリフィルと同じサイズなのですが、メーカーとしては互換性を意識して作ったのではないそうです。これは偶然似たサイズになっただけで、相互に交換して使うこともメーカーとしては推奨しないとのことでした。
ともあれ、2025年に水性ボールペンが改めて大ヒットしているという事実は、水性ボールペンのファンとして、とてもうれしいことです。せっかくなら、LAMY safariのローラーボール用に、このインクを使ったリフィルを出してくれないかなと妄想したりしてしまいます。
納富 廉邦プロフィール
文房具やガジェット、革小物など小物系を中心に、さまざまな取材・執筆をこなす。『日経トレンディ』『夕刊フジ』『ITmedia NEWS』などで連載中。グッズの使いこなしや新しい視点でのモノの遊び方、選び方を伝える。All About 男のこだわりグッズガイド。(文:納富 廉邦(ライター))