なぜ旅館は「1泊2食付き」を続けるのか 観光地の夜が静まり返る本当の理由

100

2025年04月23日 07:31  ITmedia ビジネスオンライン

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

ITmedia ビジネスオンライン

「1泊2食付き」を選ぶ人が減っている?

 こっちが「喜んでくれるだろ」とやっていることが、実は相手はそれほど喜んでおらず、むしろ「押し付けがましい」と煙たがられてしまう――。


【その他の画像】


 職場などの人間関係などでよく聞く話だが、これは「おもてなし」にも当てはまる。日本の温泉宿や旅館の売りの一つである「1泊2食付き」が利用者から思いのほか不評で、「朝食のみ」や「素泊まり」へと転換する事業者が増えているというのだ。


 『東洋経済オンライン』の記事(2025年4月20日)によると、京都などの観光地において「1泊2食付き宿」に宿泊する外国人観光客は、提供された夕飯にちょこっとだけ口を付けて食べ残し、「明日からは出さないでくれ」とキャンセルするパターンが多いという。彼らが考える「日本食」というのは焼肉、寿司、ラーメンなどであり、「1泊2食付き宿」が提供する懐石料理的なものではないからだ。


 そう聞くと「日本の旅館文化へのリスペクトもなく、ワガママ三昧の外国人観光客など今すぐ日本から出ていけ!」と外国人観光客へ憎悪を募らせる方も多いと思うが、実は同様の声は日本人観光客からも挙がっている。


 『日本経済新聞』の記事「草津や城崎温泉、素泊まり拡大 旅先の夕食は街ごはん」(2025年3月1日)によると、草津温泉や城崎温泉などの有名観光地で、「夕食に好きなものを食べたい」「食事時間の制約を受けたくない」という客のニーズが高まっており、宿側も人手不足の解決策として「素泊まり型施設」が相次いで開業しているという。


 例えば、群馬県の伊香保温泉に2024年11月にオープンした「楓と樹」(ふうとき)は、温泉街を一望できるテラスやルーフトップバーなどを備えているが、食事は朝食しか付いていない。公式Webサイトでは以下のように記載している。


「画一的な『旅館メシ』からの脱却と、みんなでわいわい楽しめる食の空間創りを目指して私たち楓と樹は、メインダイニングを『焼肉レストラン』としてクリエイトいたしました」(楓と樹の公式Webサイト)


 つまり、宿泊客の中で「焼肉」を食べたい人は館内のレストランで食べるが、それ以外の食事を求める人は温泉街に繰り出して、地元レストランで好きなものを食べてください、というスタイルが増えているのだ。


●日本にとって明るい兆しといえるワケ


 さて、このようなビジネストレンドを聞いて、皆さんはどう感じるだろうか。


 「日本の旅館の魅力といえば、やはりそれぞれの宿が趣向を凝らした料理なので、それが減っていくのは寂しい」と否定的に見る人も多いだろう。あるいは、「このままいけば日本の昔ながらの旅館のいいところが消えてしまうのではないか」と日本文化の衰退を危惧する人もいるかもしれない。


 いろいろな意見があるだろうが、この「泊食分離」と呼ばれる取り組みは、日本の観光業界のプラスになると考えている。実際、人手不足や売り上げ低迷に苦しむ宿泊施設や、しなびた観光地を「再生」させるための手段として一部で注目を集めている。


・泊食分離、人手不足に解 「夕食は外」広がる(日本経済新聞 2024年10月19日)


・温泉旅館が25年間でほぼ半減「泊食分離」絶品料理でニッポンの危機を救う!(テレビ東京『ガイアの夜明け』 2024年1月12日)


 断っておくが、「1泊2食付き宿」が悪いとか時代遅れだと言っているわけではない。観光ビジネスというのは「多様性」が大事だ。国内外からさまざまな背景・趣向を持つ人々がやって来るのだから、「1泊2食付」以外にも「朝食のみ」や「素泊まり」という宿がもっとあっていいのだ。


 そこに加えて、「泊食分離」が普及すれば、日本の観光ビジネスを衰退させてきた構造的問題も改善されていく。その問題とは、一言でいえばこうなる。


 「旅館が宿泊客を囲い込めば囲い込むほど、周辺の観光地が衰退していく」


●「夜」が静かな日本の観光地


 世界中から観光客が集い、大きな観光収益を上げているハワイのワイキキ、あるいはタイのバンコクなどは「夜」も賑(にぎ)やかだ。レストランやバー、クラブだけではなく、さまざまなショーやナイトツアーもある。「ナイトタイムエコノミー」という巨大産業が多くの雇用を生み出している。


 しかし、日本の有名観光地は基本的に「夜」は寂しい。昼間はスイーツやカフェに行列ができる箱根や熱海といった有名観光地も、夜に歩いてみると明かりがついているのはスナックやバーなどで、レストランは思いのほか早く閉まり、温泉街はひっそりと静まり返る。


 なぜこうなるかというと、観光客が「1泊2食付き宿」に泊まっているからだ。


 海外の有名観光地のホテルは「素泊まり」が基本だ。だから部屋や館内でゆったり時間を過ごすだけではなく、ホテル周辺や街に出掛けてグルメや観光を楽しむスタイルが一般的だ。


 しかし、日本の旅館や温泉宿に宿泊する人は基本、夕飯を「外」で食べない。もちろん、食後に街へ繰り出す人もいるが、懐石フルコースで腹一杯なので、バーやスナックで酒を飲むくらいだ。


 しかも、これが高級旅館となると、 高い宿泊費を払っているので、寝るだけではもったいないという意識が働く。翌朝のチェックアウトまで温泉や施設を堪能するので、なおさら温泉街や付近の繁華街に足が向かない。そうなると、その地域の観光ビジネスがじわじわと廃れていくのは説明の必要がないだろう。


●自分自身の首を絞めることに


 つまり、「1泊2食付き宿」というビジネスモデルは「晩御飯を食べて温泉に入って寝る観光客」を大量に生み出してしまうので、結果、宿周辺にカネが落ちず地域経済を衰退させていくのだ。


 これはまわりまわって「1泊2食付き宿」の経営にも、悪影響を及ぼすことは言うまでもない。当たり前だが、観光客は「宿」だけが目的ではなく、その地域全体に魅力を感じて訪れている。いくら旬の食材を使ったおいしいコース料理を出す素敵な旅館であっても、周辺がシャッター商店街で閑古鳥が鳴いているような地域だったら「また来たい」となりにくい。


 つまり、どんなに宿の雰囲気、料理、温泉などが良くて「人気の宿」になったとしても周辺がさびれていれば結局、リピーターが付かないので、宿も次第に閑古鳥が鳴くようになるのだ。


 これは「イオンモール」などの巨大ショッピングモールができた地域をイメージしていただければいいだろう。客が殺到してモールの活気が上がれば上がるほど、モール周辺の商業施設は廃れ、近隣の住宅街もゴースト化が進んでいく。詳しくは、以下の記事を読んでいただきたい。


・「イオンモール」10年後はどうなる? 空き店舗が増える中で、気になる「3つ」の新モール(ITmedia ビジネスオンライン 2025年3月5日)


 これと同じような「負のスパイラル」が日本の観光地では何十年も繰り返されてきた。「1泊2食付き宿」がいくら繁盛しても、宿周辺の飲食店は潤わず、人口減少や過疎化で地域の「にぎわい」はどんどん失われた。


 観光客は「静かで自然豊かなところに行きたい」と言うが、廃れた場所やシャッター商店街は敬遠するものだ。結果、京都や大阪などのメジャー観光地を除くマイナーな観光地では衰退がどんどん進み、繁盛していた宿もどんどん苦戦するようになったというわけだ。


 ビジネスの世界では「顧客の囲い込み」が盛んに言われるが、自分たちだけで客を独占して周辺を弱らせることは、まわりまわって自分自身の首を絞めることにつながるものなのだ。


●「1泊2食付き宿」はなぜ日本で長く定着した?


 では、こういう問題があるにもかかわらず、なぜ日本の宿泊業は「1泊2食付き宿」が常識として長く定着してきたのか。


 厳しいことを言わせていただくと、他のビジネスでは当たり前のようにやっている「利用者の立場になって考える」ということを観光業界ではやってこなかったことが大きい。


 そもそもなぜ日本では世界的にも珍しい「1泊2食付き」が定着したのかというと、ユーザーメリットを重視したとか、市場調査をした結果などではなく、単に「江戸時代から続く商習慣だから」だ。


 江戸時代、庶民にも旅行ブームがあった。お伊勢参りや「富士講」と呼ばれる富士山を信仰する人々による参拝などだ。その時に生まれたのが「旅籠」という食事付きの宿だった。


 当時の旅行は、基本的に徒歩で毎日20〜30キロを歩くことはザラだった。というわけで、旅籠は基本的に「食べて寝る場所」だったのだ。しかし、それでは競合と差別化ができないので、旅籠側はより多くの客を取り込むため、宿独自の料理をアピールするようになったというわけだ。


 では、そんな江戸時代の宿側の都合で生まれた「1泊2食付き」が、なぜ戦後も見直されずに踏襲されたのかというと、実はこれも「宿側の都合」が大きい。


 戦後、高度経済成長で日本人が豊かになると再び旅行ブームが到来するが、このときは「団体ツアー」が人気だった。そこで問題になるのは食事だ。団体客が個々で食べたいものを注文すると旅館の厨房は大パニックになってしまう。しかし、「外で食べてください」ではもうからない。その解決策となったのが「1泊2食付き」だ。


 「全ての宿泊客は、朝食も夕食も宿側が提供したものだけを食べてもらう」というルールをつくってしまえば、食材の仕入れや調理スタッフの補充などを計画的に行える。団体客を多く受け入れても、最小限の人員とコストでうまく回すことができる。


 つまり、日本の旅館に「1泊2食付き」が定着したのは「おもてなしの心」などではなく、資本やマンパワーに乏しい旅館が、団体客などをさばくために編み出した「事業戦略」なのだ。


●「泊食分離」が進む


 これまで紹介したように、昭和の宿泊業は「客側のニーズ」よりも「宿側の都合」が優先される傾向があった。朝食も夕食も全て宿が決めて、門限や風呂に入れる時間も決められている。客はあくまで宿側のルールに従って滞在を楽しませていただく、というスタイルだ。


 しかし、時代は変わった。10人の観光客がいれば10通りの楽しみ方があるように、国や人種、世代によってホテルや宿での過ごし方、旅先で何を食べるのかというニーズも多様になっている。観光業界としても昭和のビジネスモデルから転換しなくてはいけない。


 「1泊2食付き」を見直す宿が増えていると聞いて「寂しい」と感じる人もいるだろうが、実は逆で観光業界にとって明るい兆しだ。「泊食分離」は日本の旅館が長く苦手だった「客のニーズに耳を傾けて真摯(しんし)に対応する」ことに、いよいよ本気で向き合い始めたからだ。


 江戸時代の商習慣を引きずっているということは、裏を返せば、日本の旅館はまだまだ成長の「伸び代」があるということでもあるのだ。


(窪田順生)



このニュースに関するつぶやき

  • 一食一晩の恩義を大切にする客がいる。だから宿も住民も通りすがりの人にさえ優しく接する。今はすっかり観光地だが、厳しい時代を生き抜いた古き秩父人の考えは受け継がれているだろうか。人を見るのも観光だよ。
    • イイネ!8
    • コメント 0件

つぶやき一覧へ(71件)

前日のランキングへ

ニュース設定